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天下ノ不如意

サイコロのあれこれについて


人生をかけた雙六

村上帝の御時、民部卿藤原元方の女祐姫は長子廣平親王を産んだ。元方は階位の低さを日ごろ嘆いていたが、これは千載一遇のチャンスで、もしこの子が立太子でもしようものなら将来は約束されたようなものである。ところがこの陽の当たる出世街道に暗雲が立ち込めた。藤原師輔の女、皇后安子が懐妊してしまったのである。元方の心中はいかばかりであったことか。 そんな折、庚申待ちの日に公卿がうち揃い双六に興じていると、師輔が戯れに
「皇后の御懐妊中の御子が男子であられるなら重六よ出ろ。」
と賽を振ると、あやまたず重六の目が出てしまった。 そののち生まれた子は男子。無論皇后の子であるため第一位にすえられ立太子をした。廣平親王即 位の夢が費えたとき、元方は悶死したという。

それってあり?

ところはドイツ、十七世紀の半ばのこと。一人の美しい少女が殺害された。このとき容疑者として名前 が挙がったのは二人の兵士、ラルフとアルフレッドであった。日頃この少女をめぐり諍いの絶えなかった二人が、思い余って殺害したのであろうというのが当局の推測であったが、お互いに自分の無実を訴えるばかりで、拷問にかけても自白は得られなかった。そこで、この地の領主たるフリードリッヒ・ウィルヘルム公が裁決を下すこととなった。
その裁決とは、
「骰子を振り、その敗者を犯人とする。」
という、いわゆる『神意裁判』であった。 公の御前で厳粛なる儀式が執り行われ、まずラルフによって二粒の骰子が振られた。転々と転げた骰子は二つとも六を出し、12点。この時点でラルフの負けはなくなった。誰の目にもアルフレッドが犯人であると映った。
一方、アルフレッドは狼狽し、跪いて神に祈った。
「私は無実です。全能の神よ、私をお守りください。」
そして全霊をこめて振り出した骰子は転々と転げ、留まったときに皆が声をあげた。一つの骰子は六 を、もう一つは真っ二つに割れて六と一を表にしていたのだ。 これには誰一人声が出ず、神意の恐ろしさからラルフは全面自供をはじめたのである。公はこれを、
「まさに神の神意である。」
として、直ちに死刑を宣告し、この骰子を大切に保管させたという。
ドイツ帝室博物館にはこの骰子があって、『死の骰子』として展示されているという。
(穂積陳重 『法窓夜話』より)

元方もそこで愕然としないで、
「女であればわれを勝たせよ。」
と、サイコロ振っときゃよかったのに。サイコロが二つとも割れて、「重七」が出たかもしれないのに …。
(でもそれって勝ちではないか)

朱いには理由がある

『平家物語』には双六の出目に付いての記述がある。古来日本ではぞろ目のことを重~と呼び慣わした。「重一(でっち じういちの転)」、「重二(じうに)」、「重五(でっく じうごの転)」、「重六(ちょうろく)」、しかし三と四ばかりは「朱三(しゅさん)」、「朱四(しゅし)」と呼ぶ。この疑問に答えたのは当時の薀蓄親父の信西。
「昔は他と同じように重三・重四と呼んでいましたが、唐の玄宗皇帝と楊貴妃が双六をなされたとき、皇帝が重三の目を出したいと思われ、『朕の思い通りになるなら五位に叙そう』と申されてお振りになられると、見事重三の目が出た。一方楊貴妃の番となり重四の目を出したいと思われたとき、『私の思い通りの目が出たなら共に五位としましょう』と言って振ると、重四の目が出た。こうして共に五位に叙された賽は五位の印『紅袍』をまとう代わりに、目に朱が指されるようになったので、重三・重四を朱三・朱四と呼ぶようになったのです。」
平安当時、というより日本の賽には三にも四にも朱は指してない。それどころかその頃は一にも朱が指してなかった。一に朱が指されるのは明治になってから、日の丸のイメージ定着のためとか。では中国はどうか。ほとんどが日本と同じがだ、一部で使われているサイコロは一と四が赤く塗られているという。三は忘れられたか。

賽は身を滅ぼす

狂言『博奕十王』。念仏を唱えれば誰でも極楽往生ができるようになってしまった鎌倉末期。地獄は衰 微をきたし、亡者が供給されないから今日食うものにさえこと欠く始末。業を煮やした閻魔大王。獄卒を率いて極楽と地獄の境『六道の辻』で待ち伏せをして、やって来る亡者に難癖をつけては地獄に落とそうと、てぐすね引いて待っていた。そこへやってきたのが名うての博打うち。
「そんなことをしている者は地獄行きだ。」
と言い渡されるが、
「博打など、誰もするもの。」
と突っぱねる。実は閻魔大王博打というものを知らないので、判断に困ってしまう。
「では教えて差し上げよう。」
と、博打うちが賽を取り出しいちいち教えてやると、これがなかなか面白い。のめりこむ内に閻魔大王も獄卒も身包み剥がされ丸裸。とうとう博打うちの極楽行きの道案内をさせられてしまう。
ヘロトドスの『歴史』に描かれたラムセス三世の地獄行きも、同じように冥府のオシリスとサイコロで勝負をして黄金の手巾を貰ったうえ、地獄から蘇るというストーリー。古今とも似たような話があるもので。

アレアヨイショ!

Alea jacta est. (賽は投げられた。)
ジュリアス・シーザー (『ローマ皇帝伝』)
行動学者カイヨワの「遊びの定義」の一つ「アレア(賭け)」。賭け(アレア)とはラテン語のサイコロ (alea)からきている。

大博打

さあ、お隣中国、それもぐんと遡って秦滅亡後の話。 天下の覇権は、楚の項羽と漢の劉邦の両雄いずれが握るのか、いよいよ終盤に差し掛かっていた。しかし秦が滅びてから幾年月、絶え間なく続く戦争に国は荒廃し兵士の厭戦ムードは嫌がおうにも高まっていた。そこで講和会議が開かれ、鴻溝の東を楚の国、西を漢の国とし、二国分立とすることで大乱を終結することで合意された。 鴻溝の会談の約定はすぐに実行され、項羽は東の都を指して軍を引き上げていった。これで平和な時代がやってくる、従軍していた諸侯も皆安堵して帰路を急ぎだした。一方の劉邦も西の漢中を目指し踵を返そうとしていた、そのとき軍師韓信がそっと耳打ちした。
「いまです。」
劉邦は耳を疑った。
「項羽軍は食料もなく兵士は疲弊しています。叩くなら今しかありません。」
渋る劉邦に韓信はとどめを刺した。
「天下万民のためです。」
こう言われると義の人劉邦は弱い。馬を回すと大返しに項羽軍を急襲したのだ。里心が付き始め、気が緩んでいた軍兵はろくろく抵抗も出来ず蹴散らされ、項羽は生涯初の大敗を期してしまう。この一勝が二人の運命を大きく分けてしまったと言ってもいい。
後年唐代の詩人韓愈は、ここ鴻溝を訪ね七言絶句を詠じている。

鴻溝を過ぐ  韓愈

竜疲れ虎苦しみて川原を割く
億万の蒼生、性命存す
誰か君王に勧めて馬首を回さしむ
真成に一擲、乾坤を賭く

竜とは劉邦、虎とは項羽のことである。この末尾、「一擲、乾坤を賭く」の句から「一世一代の大博打」のことを「乾坤一擲」というようになった。
まさに劉邦は「天地」をこの一投に賭けたのである。無論賭けであるから投げたのは、たかだか「一粒のサイコロ」だが、このサイコロは天地鳴動の大サイコロであった。

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