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それぞれの気持ちがわかるからこそ、できること、というか。

私は物心ついたときから、いろいろなことを感じやすくて、傷つきやすく生きてきた気がします。

鈍感だったり、気が強い人を羨ましいと思ったことは数知れず。

けど、最近ふと、自分が人の感情に気付きやすくて、傷つきやすいからこそ、出来ていることがあるなあと気づいたんです。

すこし前に、私がいないときに、職場の人同士が言い合いになったことがあったらしいんですね。

そのときのことを、それぞれからこっそり聞きました。

私はそのそれぞれの言い分を聞いているうちに、片方から見えている世界と、もう片方から見えている世界の違いがなんとなくわかって、どのポイントでずれてしまったから衝突しているのかも、わりとしっかり見えてきました。

そんなとき私にできるのは、そのずれているポイントというか、こじれてしまっているポイントを、それぞれにそっと教えてあげることです。

あのとき、あの人があなたを突き放したような言い方をしたのは、あなたに全てを丸投げしたかったからじゃなくて、このポイントをあなたに自分で考えて欲しかったからだったみたいよ。とか。

あのとき、あの人がああいう態度をとったのは、もしかしたら不安だったからかもしれません。そういえば、その数日前にこんなことを言っていたので。その不安の原因は、たぶん、あのことだと思います。とか。

あの件で、この人がこうに対応したのは、やる気がなかったわけじゃなくて、あなたがあのときこうに言ったから気を遣ったみたいだよ、とか。

こじれているポイントはここなんだけど、今のこの人に言っても受け止められないと思うから、様子を見て落ち着いてきてから言おう、とか。

それぞれと話しているときの私は、基本的にそれぞれの味方をしながら聞くので、はたからみると八方美人なんだろうなあと思います。

けど、そのおかげで見えてくるお互いの本音みたいなものがあって、それは当人同士では絶対に晒し合えない本音だったりするんです。

それぞれに感情移入して聞くので、それぞれの気持ちがわかるからこそ、わかることというか。

半年〜1年以上かけてじっくり知った相手に対しては、わりとそういう声かけができるようになります。

このことは絶対に言わないでねと言われたことは、何があっても言わないけど、言わないでねと言われなかったことについては、これは言った方が円滑に進むだろうなと思えば、わりと言ってしまうタイプです。

私にだから言ってくれたけど、直接はたぶん言い合えないだろうなあ、でもお互い知っておいた方が今後のためにもいいだろうな、とか。

私のスタンスがいいかどうかはわからないけど、自分のいる環境が快適な方が気持ちがいいし、他の人もそうだと信じているので、雰囲気が悪くなったら、よくなるようにできることはやるタイプです。

人と人との間に緩衝材のように存在して、それぞれの言い分をオブラートに包んで、そっと渡すみたいな、そんな感じ。

感じやすく傷つきやすいからこそ、できることがあるのかなあと、そんなふうに感じた出来事でした。

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