負けても負けても

 加藤一二三九段が引退した。
 勝ち進む限り引退は回避できた。しかし最近はなかなか勝てず、予測できることではあった。それでもちょっと、不思議な感じである。
 私がプロ棋界に興味を持ち始めた頃、加藤九段はA級に在籍していた。そこから次第に降級していき、一番下のC級2組まで。すでにタイトルに挑戦することはなく、負けた棋譜ばかり見ていた気がする。
 それでも。加藤九段の将棋には、魅力を感じていた。

 私がずっと指し続けているのが、角換わり棒銀である。理由は単純で、腰掛け銀の細かい違いが覚えられないのだ。最初は右玉を指していたのだが、加藤流棒銀を知ってからずっと使っている。そう、加藤九段は角換わりでも棒銀が得意なのである。
 加藤流棒銀は、飛車を横に使う。まっすぐ縦に攻める棒銀のイメージとは、ちょっと違う感じである。このギアチェンジしてからの戦いが非常に趣深く、私は大好きである。
 角換わり以外でも、加藤九段が考え出した指し方は数多くある。序盤の研究家といえば田中九段や藤井九段の名前がまず挙がるだろうが、加藤九段もなかなかのパイオニアである。

 話題の中学生棋士、藤井四段との対局。そして、引退のかかった高野四段との対局。それら二つの対局でも、加藤九段はオリジナルの指し手を試した。結果上手くはいかなかったものの、引退まで新しい手を探し続ける姿に、誇りを感じた。年齢とともに読みの力は衰えたに違いない。けれども、ただ対局を重ねるのではなく、最後まで新しい可能性を探し続けていたのである。
 正直なところ、私には何が衰えていたのか、はっきりとわかるほどの棋力はない。プロは皆強くて、結果としての勝敗によってしか力関係を知ることができない。加藤九段が相手だと、居飛車党でも飛車を振るということがあった。棒銀だとわかっていれば、何とかなると思われていたのだ。そして確かに、加藤九段はなかなか勝てなかった。棒銀対策が進んだこと。そしてちょっと有利ぐらいの局面からは逆転されてしまうこと。プロは勝負にシビアだから、そういうところは見逃さない。
 それでも。加藤九段なら何か新しい対策を見せて、今回こそ勝ってくれるのではないか、そう思わされた。私は加藤九段のファンと言うわけではなかった。それでも加藤九段には勝ってほしかった。ひょっとしたらそれは、「尊敬」なのかもしれない。
 元名人が、誰相手でも勝ったら話題になるまでになった。いくつもの負けと、ちょっとの勝ち。加齢とともに棋力は落ちていく。それでも、気力は衰えない。最後まで指し続けることによって、他の棋士には魅せられない世界を魅せてくれた。

 「ひふみん」の愛称で親しまれ、引退してもテレビに引っ張りだこである。言いたいことをしゃべり続けるので、ハラハラしている人も多いだろう。けれども、努力をし続けた自負があるからこそ、加藤九段は謙遜しない。言いたいことは言う。自慢もする。今でもきっと、将棋に対して情熱を燃やしている。
 そして。佐藤会長や森内理事が誕生したように、羽生世代も将棋界での立ち位置が変わってきた。彼らの中から、加藤先生のように最後まで勝負にこだわり続ける棋士は出てくるだろうか。そうなれば、あと30年は見続けることができる。加藤九段という前例ができたことにより、そういう道も不自然ではなくなったと感じる。負けても負けても、ファンは見守り続ける。
 負けても負けても。プロ棋士の生き様を見るのは、楽しい。

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