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福島第一原発を訪問した菅総理(当時)は現場の士気を上げたのか?(1)

能登半島震災の岸田政権による対応がTwitterでさまざまに評価されています。その中の批判のひとつとして「現場に行かない」とするものがあります。
しかし、2011年の東日本大震災で福島第一原発の現場に赴くなどさまざまな介入を行った菅総理(当時)について、評価は散々なものとなっています。
報告書では「菅総理の個性が政府全体の危機対応の観点からは混乱や摩擦の原因ともなった」「場当たり的な対応を続けた」とまで書かれてしまう始末。

その一方で「東電が逃げたいと言ったから行かざるを得なかった」「吉田所長も現場も菅直人総理のほうを信用していた」「総理の訪問で士気が上がった」などとする評価があります。

本当にそのように菅直人総理は現場から信頼されていたのか。「訪問で士気は上がったのか」を吉田調書から紐解いてみましょう。

以下はいわゆる吉田調書、政府事故調査委員会ヒアリング記録の吉田所長による証言部分からテキスト書き起こし。
https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/fu_koukai_2.html
から、手作業でテキストにしたものである。

まず、当時の菅総理が福島第一原発の現地視察にきた際の対応
https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/020.pdf

要約:

・菅総理はなんのために来るのかも知らされずにやってきた。
・午前7時過ぎに来て、8時過ぎに帰っていった。
・現場への激励などはなかった。
・吉田所長は菅総理を出迎えも、見送りもしなかった。

結論

「菅総理の訪問で士気が上がった」「現場も吉田所長も菅総理を信用している」との記述は見つからなかった

続く(予定)

以下、テキスト書き起こし部分

質:この辺り、そのあと7時11分に、内閣総理大臣が到着されるということが書いてあるんですけども、総理が来られるということは、いつごろそういう話になったんですか。
吉:時間の記憶がほとんどないんです。いつ最初の情報が来たとか、でも、多分1時間くらい、今出られたと、ヘリでですね、そういう話が入ってきているので、到着の最低1時間以上前には出られたという話が入ってきているはずですから、その6時前後とかには、来るよという情報は入ってきたんだろうなという、これは今からの推定ですけれども、そうだと思います。
質:これは、本店を通じてですか。テレビ会議か何かで。
吉:はい。
質:では、何のために来るということだったんですか 。
吉:知りません。
質:そういう目的も伝えらず、いきなり来ると。
吉:行くよという話しかこちらはもらっていません。
質:実際に、向こうに来られたときというのは、総理とほかにはどういった方が来られていたんですか。
吉:私は、覚えているのは、総理と斑目原子力安全委員長と、それから県の代表だとおもうんですけ、内堀副知事の顔は知っていますから、その御三人は覚えていますけれども、ほかに数名いらっしゃったんですけれども、防災服を着て、その人の顔は存じ上げないので、どなたかよくわからない状態ですが、総勢10名くらいいらっしゃったんじゃないでしょうか、そんな感じで。
質:そのときの、プラント側の方の、サイト側の方の対応はどなたがされたんですか。向こうから来られますね。所長がまず対応されますね。ほかに一緒に対応されたのは。吉:私だけです。
質:お一人だけですか。
吉:私だけです。支持をしているので、ベントの継続だとか、その辺の指示をして、張と継続してやれと、それで何かあれば、あのとき携帯が通じなかったから、PHS通じなかったから、だれかこっち来いと指示をして、それで、そういう対応をしていた。
質:その御一行は、免震重要棟の方に来られたんですか。
吉:そうです。
質:免震重要棟の2階は緊急対策室がありますけれども、そのお部屋に来られたわけではないんですか。
吉:いえ、違います。免震重要棟は、円卓がここにありますね。大きい部屋がこうありますけど、私はこの辺に座っているんですけれども、ここに構造上、廊下がこうあって、ここに席を用意して、ここに総理、ここに○○さん、ここに内堀さんがいて、あとは、よく知らない人がいらっしゃって、SPの人がいらっしゃって、私と武藤がここにいて、ユニット所長、○○とかが代わりに指揮を取ると、あとは班長が、だからここで判断できないことがあれば言いに来いという形です。
質:武藤さんは、どこにおられたんですか。
吉:オフサイトセンターに。
質:では、総理が来られるのに合わせて。
吉:それで、オフサイトセンターからこちらに来た。
質:これで来られて、総理は、結局何をここで所長に対してお話をされていたんですか。
吉:まず来られて、ここから先に案内をしていたので、そこから私が入っていって、座った時点で、かなり厳しい口調で、どういう状況になっているんだということを聞かれたので要するに電源がほとんど死んでいますということで、制御が効かない状態ですと、何でそうなんったんだということで、その時点ではっきり津波の高さも分かりません、津波で電源が全部水没して効かないですという話をしたら、何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだということを斑目先生に質問したりとか、そういうことをされていて、要はそういう現場の状況を説明して、あとはベントについて、ベントどうなったというから、経産大臣から命令が出た直後だったので、出しましたと、我々は一生懸命やっていますけれども、現場は大変ですという話はしました。記憶はそれぐらいしかない、時間はそんなに長くなかったと思います。
質:例えば今のベントなんか先ほどの話ですと、国やどんどん現場から離れていくと、その認識が薄くなってくると、どれだけ大変なのかということがね、それで、この機会なんかに、いかに今、現場が厳しい状況になっているかということは、説明されているんですか。
吉:そこは、なかなかその雰囲気からしゃべれる状況ではなくて、現場は大変ですよということは言いましたけれども、なんで大変かということですね、十分に説明できたとは思っていません。今となってはですね。要するに自由発言できる雰囲気じゃないじゃないですか、殊勝の場合、えっと言うことを聞かれるのに答えているだけですから。
質:それで、横の部屋に行けば円卓があって、そこでみんなでわいわいと対応をされている現場に非常に近い状況が、壁一枚向こうにあるんですけども、総理はそこに激励なり。
吉:こういって、こう帰られましたから。
質:行かれていないんですか。
吉:はい。
質:中を。
吉:全く、こう来て、座って帰られましたから。
質:それで、帰られたれたのは、8時頃なんですね。
吉:はい
質:この時系列を見ると、8時3分にベント操作を9時目標で行うよう、発電所長指示とあって、8時4分に内閣総理大臣が発電所を出発というのがあって、何か8時3分というと、まだ総理が出発される前にと言うような感じになっているんですけれども、所長は、最後、出発するところまでは見送りに行かれたり。
吉:行かないです。ここに運動場があるんですけれども、ヘリがここに着くんですね。ここからこう来て、こう入って行かれたわけなので、私らはここだけで、あとは、武藤がここまで迎えに行ったのと、送りに行ったと思います。私は、ここで。
質:ここでベント操作を9時目標でという9時というのが目標として掲げられているんですが、これはどういう経緯なんですか。
吉:これは、どちらかというと、私が9時と言ったよりも、経産大臣のベント実施命令があって、その時に、本店と話をして大変だという話をしていたんですが、とりあえず9時ぐらいまで、9時が一つのレッドラインだというような話がありまして、これは内閣総理大臣とか関係なしに、そういう議論があって、それで9時という話をしたやに覚えているんですけれども、ちょっとそこら辺が定かじゃないです。国なのか本店なのかわからないですけれども、デッドラインを決めないとできないということで、9時という値が、これは私の自由意志と言うよりも、私も現場を見ていますから、9時と言ったってできるわけないと、そんな気持ちでいたんですが、一応、そういう指示を出されて、一様にそれをやってくれという依頼というか指示をしました。
質:これは、今、若干話に触れられましたけれども、経産大医からの実施命令というのが6時50分にあったということで、そこからちょっとして 、21分後ですかね、総理が到着ということは、まず、実施命令があるころに、まさにそのころ、もう総理が向かっているというような状況になっていると思うんですけれども、その辺の総理が来て帰っていくと、その上 空をベントでどんどんふかしていくということになると、どうなのかなというところから、その辺が操作を遅らせたんではないかという思感なんかも一部ではあると思うんですけれども、そういうような判断というか。
吉:全くないです。
質:それは 、 全く所長の頭にはなかったですか。
吉:はい。 早くできるものはかけてしまったっていいじゃないかぐらいですから、こっちは下げたくてしようがないわけですよ、私だって、格納容器の圧力を下げたくてしようがないわけですよ、安全から考えれば、だけれども、できないというぎりぎりの状態ですから、何とかしてやれといっているわけだけれども、できないと。それは、総理大臣が飛んでいようが、何しようが、炉の安全を考えれば、早くしたいというのが、現場としてはそうです。

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