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【ちがう】ということは埋め合えるということ。

いろんな考え方の人がいます。
仲の良い同僚でも、プライベートの友人でも、家族であっても、
考え方や感じ方は同じではありません。

わたしには2人の子どもがいますが、同じ場所で同じ親が接してきていても、それぞれ2人は異なった感じ方や考え方をしています。

「ちがう」ことは、気づかない視点を与えてもらうきっかけとなったりする一方で、それぞれに忙しい毎日を一生懸命に戦っている中では、ストレスを生むものにもなります。

中高生、そして大人になってからも、友人になる人は、どこか考え方や価値観が似ている人だと思っていました。好きな音楽が同じ、好きな食べ物が同じ、好きなアーティストが同じ、好きなヘアスタイルや好きな科目が似ているなどです。

類似性が人と人とを近づけてくれると思っていました。

いまでもこの感覚は変わりません。

初対面で自己紹介する時に、共通の知り合いがいることがわかったり、同郷で小学校が同じだったりすると大いに盛り上がり、親近感をかんじて、打ち合わせがスムースに進むこともよくあります。

でも、仕事をしていると、「ちがう」ことが底知れない力になることも分かってきました。

自分が好きなこと、得意なこと、苦なくできることがあったら、それとは異なる特性を持った人とチームを組んだ方が、対応力が広がります。
何が来ても”強い”ことがあります。

背中を合わせて、互いの背面の敵に向き合う感じ。

わたしは、モンキーパンチ先生の『ルパン三世』や、ハリウッド映画『オーシャンズ11』が大好きですが、異なる特性を持ったチームが大きな仕事を成し遂げることに、カタルシスを感じます(笑)

ただこれ、1つ条件があるんです。

互いに本気で根っこのところで
相手をリスペクトしていること。
信頼していること。
これがないと成立しないのです。

つい、日々の忙しさや自分の力不足でいっぱいいっぱいになってしまった時、わたしたちは、大きな力を発揮できる可能性を持っているこの「ちがい」を面倒くさく感じてしまうがちです。

説明が必要だし、合意するまでにやたらと時間がかかるし、説明の途中で全然ちがう意見をぶっ込んでくる(ように、話し手には感じられる)ようなことを言い出すし。
伝えたつもりで、分かってくれたように見えても、後日、全然伝わってなかったということが頻繁に起きるし。

それより、感覚が近くて言葉の使い方や語感が近い相手と、ツーと言えばカーな感じで進めた方が、その場は早いしラクだし楽しいし、、、です。

こっちに流れたくなってしまうんですよね。

感覚のちがう相手とは、本当にトラブルのるつぼ。
それを始めから齟齬は起きる、という覚悟の上で、何か齟齬が出たら、「キタキター」と楽しむぐらいの構えで臨まないと、疲れ果ててしまいます。

「違うからわからない」それが当然、というデフォルト。

想定の範囲内で終わることばかりではないのが、変化の激しい現代社会。

あなたにとっての「まさか!」は、
感覚の「ちがう」仲間にとっては、「至極フツー」で想定内のことかもしれません。

ちがうことは、埋め合えること。

その根っこには、相互のリスペクトと信頼が絶対に必要なこと。

時と場合で、
ツーカー作戦か、ルパン作戦か、
自在に組み合わせて自分が最適と信じるチャレンジをしていくことが、人生を厚くするかもしれないなあと感じています。

ツーカー作戦の相手をしっかり得るためにも、
ルパン作戦のメンバーに加えてもらえるためにも、
自分の特性をまずは自分で知って、磨く努力が必要ですね。

がんばります!!

なかなかの男性社会で30年働いてきたテレビマンが、コーチングやカウンセリングで「自分らしく生きる」を支援中。限定少数しか出来ませんが小学生からシニアまで。