「皇帝円舞曲」とフロイト

あまり話題にはならなかったようですが、「100分de名著」の立木康介によるフロイトの『夢判断』はなかなかおもしろいものでした。最後ラカンにまで踏み込んだのもなるほどと感じました。

第1章の先行研究つぶしは、学問の手続きのお手本のようなものですが、普通の読者はここでへこたれるので、大平健のようにバッサリと切り捨てたもののほうが分かりやすいのも理解できます。「不気味なもの」も同じ手続きをとっているので、読者を減らしている気がします。

シンクロニシティではないですが、立木康介によるフロイトの『夢判断』の話を観た後に、ビリー・ワイルダーの『皇帝円舞曲』1948を。ビング・クロスビーとジョーン・フォンテインによるこの映画は、軽く扱われていますが、『失われた週末』のあとで、ヨーロッパのアメリカ軍の捕虜収容所を取材して、苦悩に陥ったワイルダーが逃れて作ったものです。

フロイトの弟子筋にあたるという動物医が出てきて、生まれてきた犬を殺害しようとする場面があったりと、まさに第二次世界大戦のトラウマを異なる形で描いています。ワイルダーが幼少時に見たチロルの風景をカナディアンロッキーで再現しようとしたことも含めて、心的苦悩から脱出するための映画でもあったわけです。

それ自体が「治療」でもあったのでしょう。おかげで、ナチスの主題はベルリンを舞台にした『異国の出来事』1948で、さらに腫大したアメリカ兵の捕虜収容所の主題は『第十七捕虜収容所』1953で発展させられることになります。

それにしても御都合主義の「夢」に彩られた「皇帝円舞曲」は、個人の充足願望から、映像には不在の不気味さまで、幾段階でも読み込みができそうです。

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