日本研究は衰退しているのか

筒井清輝スタンフォード大学社会学部教授が、日本研究がアメリカの大学機関で占める割合が減り、有望な研究が減っていると嘆く記事がありました。

確かに日本研究そのものは後退している気がします。第二次世界大戦戦後の「カウンターカルチャー」とみなせる文化への関心から、冷戦後の「サブカルチャー」への関心に移行したことで、今でも同時代的な文化領域には一定の人気はあるかもしれません。

そのため日本文化についてときには日本語で解説してくれる「外国人」学者も増えています。「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」が典型的ですが、日本の事例であっても、多くの英米仏の学者の解説に、一人の評論家をぶつけるという方式になっています。「サイバーパンク」の巽孝之は学者ですが、「アニメーション」の押井守、「ジャポニズム」の松岡正剛は評論家で、重要なことを口にする役目です。

それに反して、基底的な文化や社会構造を分析したり、冷戦後史における経済や外交関係を分析するすぐれた著作が目に付く機会は減っている気がします。各論に優れていても、大きなパースペクティブがあまり見通せない気がします。対処療法的研究が増えているせいかもしれませんし、「大きな物語」崩壊後のミニマル化の影響もあるのでしょう。

それでいて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」からの転落がもたらした意識と存在の乖離が、「ニホンすごい」言説の蔓延になっています。ここを分析することも必要なわけですが。どうやら「東アジア」的関心のなかで埋没しているのかもしれません。これは「私たち」の問題でもあるわけですが、新たな位置づけを確保できるようになるのでしょうか。

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