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消費されるWeb広告から抜け出したい病

毎日、Web広告にどっぷりと浸かっている。
ふとした瞬間に視線はぶつからないけど、壁にはぶつかる。
今の壁。「Web広告は消費になっていないか問題」(と自分では呼んでいる)。

Web広告って消費され、なくなっていくだけ?

スマホがなければ生きていけない(いや、全然生きられるけど)、インターネットがないと仕事にならない(これ、ほんと)。気が付けばスマホやPCの画面の世界とリアルとの境目がなくなっていく日常。
私は毎日、その画面に一生懸命広告を出している。
たくさんの広告たちが邪魔者として一瞬のスクロールでスルーされていく。
SNSやネイティブ系の広告は特に、1週間もすれば「疲弊しました!」みたいな理由でまた新しい広告に差し替わっていく。
正直言うと「疲弊しました」というのは全くしっくりこない。他になんと言えば適切なのか、自分の中でまだ答えが見つかっていない。

マス広告を見てみるとどうだろう。
マス広告のマの字も知らないが印象としては華やかに見える。
TVCMでブームになったり、大きなビルにドーンと出された広告のビジュアルとコピーが話題になったり。
同じ広告のはずなのに、なんだか全く違うもののようだ。
Web広告は消費(使ってなくすこと)、マス広告は生産(必要なものを作り出したり、効用を増したりすること)のように思わずにはいられないときがあったりする。

消費から生産へ

運用型のWeb広告も自動化が進み、クリエイティブに注目が集まるようになった。私も興味がありありの部分だ。
様々な問題はあるものの、Web広告は邪魔者でも怪しいものでもないと思っている。
もっとユーザーにとっても社会にとっても価値になりうる広告を作りたい。1人でも構わない、その人の人生にプラスになったり、背中を押せたり一瞬でも記憶に残ったり。
自分の生きた爪痕を残してやるぜ、とは到底思わないけれども、誰かの役に立ったり、知らない人の日常に登場してしまう存在の広告の作り手でありたいと思う。あくまで今の私は支援側の立場なので、クライアントありきの話だけれど。よい架け橋を作れる人でありたい。

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