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ドイツ旅行③

11月17日、18日、19日はチェコの3連休。前の週に続き、ドイツの歴史をめぐる旅に行ってきた。

17日はテューリンゲン州、ヴァイマール。到着したときにはもう暗くなり始めていた。
第一次世界中大戦後、ドイツでは1919年1月の男女平等普通選挙によって社会民主党(SPD)が勝利し、中央党、民主党と連立政権を樹立してヴァイマル憲法下で共和国が樹立された。SPDは現存する中ではドイツ最古の政党。
同じ1919年に、合理的、機能的なデザインで現代美術に影響を与えた美術、建築の学校、バウハウスがヴァイマールで開校。なお、バウハウスは1925年に州政府との確執からデッサウへ移転している。

今回最初に立ち寄ったのはゲーテの家。

ゲーテは1749年に生まれたドイツの文学者。『若きウェルテルの悩み』は10代のときに読んだような気もするけど全く覚えてない…
自分はつくづく、文学や芸術に関心がないのだなと思う。
他にヴァイマールで立ち寄ったのは、市庁舎がある広場と、ヴァイマール城。
市庁舎はこちら。

そして、ヴァイマール城はこちら。

どちらも暗くてよく見えないね(汗)

翌日18日は、同じくテューリンゲン州のアイゼナハ。アイゼナハはバッハの出生地であり、ルターが学生時代を過ごした土地。この町から5kmほどのところにあるワルトブルク城に行ってきた。

トップの写真は遠くから見たワルトブルク城。1817年にワルトブルク城付近で行われた宗教改革300年祭(1517年のルターによる95箇条の論題提示から300年後)で、各地から集結した学生たちが気勢を上げたとのこと。この時から黒赤金の三色旗がドイツ統一と自由を求める運動のシンボルになったとか。

そして18日はノルトライン=ヴェストファーレン州のミュンスターと、ニーダーザクセン州のオスナブリュックへ行ってきた。
この2つの都市で三十年戦争の講和会議が開かれ、1648年に成立した講和条約が、ウェストファリア条約。最初の近代的な国際条約であり、主権国家体制が成立したと言われている。

ミュンスターの聖パウルス大聖堂

ミュンスター市街地

オスナブリュックの市街地

オスナブリュック大学

ミュンスターもオスナブリュックも、大きな街ではないけれど、西側の街らしく建物が新しくて綺麗で、お店もにぎやか。

話を戻して、この三十年戦争が始まったのはプラハから。1618年、プラハ城に入った新教徒が、カトリックを強制する神聖ローマ帝国の皇帝フェルディナンド2世の補佐官を、城の窓から放り投げたことがきっかけで、宗教戦争が勃発。その後、なんやかんやで(詳しくは別途)欧州各国を巻き込んで戦火が拡大し、1648年にウェストファリア条約でようやく講和成立となった。
今、三十年戦争の始まりの地であるプラハに住んでいるということもあり、終わりの地に行けたのはよかった。

移動ばかりだったけど、本で読むだけよりも体験した気分になれたし、今後も時間があれば歴史めぐりに行ってみようと思う。

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