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「強さ」とはなんだろうか?Ⅱ

はじめに(前回の復習)

経緯

こんにちは。
先日の記事『「強さ」とはなんだろうか』。読んでくださった方はありがとうございます。予想以上の反応でした。
今回は、前回の記事を再度考察してみるのと共に、その中でも触れられた「読み(探索)」の概念について少し考えていきたいです。

前回の記事

早々と再考させられてしまうきっかけとなったのは、五反田えぬさんのこの記事でした。(良い記事なので是非目を通してくださいませ……!)

私の記事で五反田さんについて触れるのは二回目でしょうか?
「変態を目指して日々精進」がモットーの将棋Vtuberで、悪形を苦にしない受け将棋は形重視の私と正反対。こんな将棋は指せない、と思うと同時に、自分にないものに密かに憧れを感じます。

また、少し前までTwitter上で話題になった「棋力の伸ばし方」
大変興味深く拝見しておりましたが、(2切れは手が荒れる、といった何点かの共通点を除けば)強い人の間でも意見は様々に分かれていました。
そして、その根拠の多くも自分がそうやって伸びた、というものです。

つまり、将棋というゲームの最適な攻略法は未だ見つかっていないのです。
少しでもこの攻略法を最適化することこそが一番の近道ではないでしょうか?

五反田さんのブログを読んで、「横着」を是とする私が何を真面目にやっているのか。と自分の不甲斐なさにため息が出ました。
私は”変態”ではないですが、人と違う論理回路を持ち、意外性を持って相手を出し抜くことを目標としています。五反田さんにシンパシーを感じながらも、より”異なっていたい”という対抗心が沸き上がり、記事を書いています。

今回は、前回の話から少し発展(脱線)し、いかに不真面目に成長をすることができるか、について考えていきたいと思います。

最近はとても眠いですし、この記事も自分のメモに近いので乱文すみません……。何かあったら遠慮なく聞いてください。あと将棋を教えてください。

ボードゲーム的”強さ”とは?

前回の要旨です。

①将棋の思考形式=探索(読み)+形勢評価
②探索の3要素=探索深度、候補手生成、枝狩り
探索能力自体はあまり差がないが、その中でも深い探索を行う → 候補手生成や枝狩りにもいい影響 → 結果的に大きな差が生まれます。
④”探索深度”=将棋の強さ

枝狩りからのアプローチ

なぜ「枝狩り」は有用なのか

五反田えぬさんのブログにもある通り、「枝狩り」が棋力差を分けるうえで大変重要なファクターになっているのは間違いないと思います。
五反田さんの記事にあるものを、非常に簡潔にお話しすると、

実際の探索深度(手数)= 探索深度(探索局面数)÷ 候補手数

の関係にあるため、枝狩りに置いて候補手を絞ることで、同じリソース(探索局面数)でも飛躍的に深い手数まで読むことが可能になるからです。
※実際には、探索できる深さを倍にするためには累乗倍のリソースが必要であるはずなので、このように単純ではないと思います。

前回の私の記事では、
枝狩りの有用性を認めつつも、枝狩りを強化するのは探索深度であるため、結果的に探索深度が大事である。という意味で話していました。

「枝狩り」への直接的アプローチ

前回の記事で私がそのように書いた理由として、
かつて私が行った「探索ではなく評価を鍛えることでの棋力向上」の前轍を踏むことになると考えたからです。
以前、私はソフト将棋を大量に取り込んで、価値観をある程度理解する訓練をしていました。しかし、結果的に強くなったのは序盤のみ。
ある種成功ですが、大幅な棋力向上にはつながりませんでした。

今回は、これを中終盤を含めた形にアレンジし直すことが目標となります。
ただ、以前のようにソフト記譜を眺めたりするだけでは効果がないため、アプローチ方法は変えていく必要があるでしょう。

具体的には、五反田さんの方針と同じで「自分の読み筋と”正解”の読み筋を比較する」といったものになります。
序盤の漠然とした評価に対しては、局面を見るだけ・暗記するだけで一定の効果がありましたが、中終盤の判断はより複雑です。
したがって、形の是非ではなく「一つの流れ」として読み筋の精度を高めていくアプローチの方が効果的なのだと思います。

また、「長時間の将棋を指して感想戦をする」方法は、本質的ではあると思うのですが、場合によっては効率が悪いような気がしてなりません。

強化方法A-棋譜並べ学習法

”正解”が明示されているものとして、強い人の棋譜がありますね。
解説がある程度掲載されているものを選んで、一手一手自分の将棋として悩み、正解と読み筋を照らし合わせる作業をする。そこに棋譜並べの意味があるのかもしれません。
最近は藤井聡太全局集を並べたりしています。

強化方法B-ソフト指し学習法

ときどきソフト指しの話を聞くと、憤りよりも羨望を覚えます。

——と言うとあらぬ誤解を受けそうなので、補記しておきますと、
将棋はコミュニケーションツールだと思っている私からしてみれば、相手の言葉を自分で返せないソフト指しは、対局という側面からはあまり楽しくないだろうな、と思っています。
強い人に腹パンされたり腹パンしたり、火花散るやりとり。それが将棋の魅力のはずですからね。

同時に、考えて、すぐ答え合わせが出来るのはソフト指しの良い点だと思っています。(対人戦での推奨をするものではありません)

これを学習法として取り入れるためには、
技巧やBonanzaなどの比較的人間ちっくなソフトに対し、一手60秒~120秒程度の秒読みで指す。指したあとすぐ検討を行い、読み筋の正解不正解を分岐に至るまで判断する。
とにかく、正解不正解の判断のスパンを早めること、そのタイミングで考えていた間違いをすぐ解消すること、がとても重要なことのように思います。

さいごに

指し手を選ぶ基準の大半を論理化されている人が多いのではないかと思います。
それが、「自然な手を選んでいけば勝てます」「〇段はセンスがなくてもいけますよ」「将棋は努力すれば……」といった言葉に繋がるのでしょう。

先述の訓練も、目標は中終盤の「正解」の読み筋の論理化……、できれば手の判断基準をしっかり言語化して自分の中に取り込む一貫だと考えています。

今回の「枝狩り」論では、結局前回の「将棋強い人はあらゆるボードゲームで成長が早い。だから成長に重要なのは探索深度」という探索深度最強論の否定にはなっていません。

探索深度で劣る私が如何にして強者と対等に渡り合う実力を身につけるか、という試行錯誤の一つであり、皆様におかれましては、私と肩を並べて走っていただくもよし、必死に藻掻く姿を御笑覧いただくもよし。今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

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