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行間から宇宙をのぞく

皆さんは「行間」というのを
感じたことがありますか?

僕はいつも、
行間というものに思いを馳せています。

文章を読んでいて、
文字と文字との間、
単語と単語の間って感じですが。。

それは文字にできないから、
文章にできないから、行間なんです。

文字で表現できるんだったら、
とっくにしています。

文章で表現できないから
行間になっちゃうんです。

本当に伝えたい、共有したいことは、
その行間にあります。

だけど、どうしても文字にできないから、
手を変え品を変え、
いろんな角度から、
その行間について眺めている、
あるいは眺めてもらっているのです。

それしかできないんです。

* * * * *

僕らはいつも考えていて、
頭の中を思考がぐるぐると回っています。
思考は僕らの人生にブレーキをかけます。

それが思考の役割だからです。
それが悪いわけではありません。

そしてその思考は、
文字や文章にすることができます。

* * * * *

以前、面白いワークを
やっていたことがあります。

頭に浮かんだ思考を
全てノートに書き出すんです。

だけど、これがいざ書こうとすると
意外と書けないものなのですが、
とにかく書いて書いて書き続けます。
何も考えてないと思ったら、
何も考えてないって書くのです。

そんなふうに思考というものに
徹底的にフォーカスします。
ピントをどんどん思考に合わせていきます。

そんなことをしばらくやっていたある日、
急に気づきました。
思考以外のものについてです。

思考を見つめて見つめて見つめまくったら、
逆にそれ以外のものが
フッと浮かび上がったのです。

騙し絵の答えがわかったような瞬間でした。

思考は言語化できますが、
思考以外のものは言語化できません。
だけどそれは、ずっとそこにあります。

それが行間です。

* * * * *

その時、
僕はハッキリと理解しました。

この世界は、
一人一人の色眼鏡によって
できていました。

完璧に100%、
思考によってできていたんです。
思考が世界の全てです。
その思考は何でできているかと言うと、観念です。

お金を拾ったらラッキーって思うでしょう。
それはお金を持つことが良いことだ、
という観念を持っているからです。

お金を持つことが良いことだという観念は、
僕らにとっては当たり前の常識ですが、
そんな常識を持たない人からしたら、
お金を拾ってもラッキーとはならないかもしれません。

何がいいか悪いか、
善悪の判断は
ただ観念という色眼鏡によってなされています。

* * * * *

観念によって
世界はできています。

大多数の普通の人の観念は、
一般常識という、ほとんど共通のものです。

だから、
大多数の人にとっての世界は
同じような世界です。

でも、観念ではない世界が
ある日、見えてしまったのです。

色眼鏡を外して、
世界を見ることができたのです。

それが行間です。

* * * * *

行間とは文字通り、
行と行の間のことです。

行と行の間に
スペースがあるってことです。

スペースと言うと、
英語で宇宙という意味もありますね。

これはなんだか不思議で
面白いように思います。

言葉を作った存在は
それを当然知っていました、
なんて言うと
格好つけた表現でしょうか。

それが行間です。

* * * * *

善悪の観念をずっとたどると、
そこには宇宙があります。

善悪という観念をたどって、
宇宙まで旅することができるのです。

今日の話はわかりにくく感じますか。
どうでしょうか。

もし時間があれば、
ぜひもう一度、
最初からゆっくりと読んでみてください。


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