なぜ教育だけは過去から学ばないの?

子供が良くない行い(逸脱)をして、いつも叱ってばかり。
叱れど叱れど良くならない。
こういうことって多々あると思います。
教育をするうえで避けて通れないことです。
そして、その都度こう思ってますよね?
「あの子はなぜあんなことをするのだろうか?」
「どうしたらあの子は良い子になるのか?」
そして、ほとんどの人が自分の受けてきた教育を過度に一般化して対策を打ちます。
「あの時自分はこれで更正したからきっとこの子も同じようにすれば良くなるはずだ」と考えて。


僕も同じように考えて、同じようなことをしてきたので気持ちは痛いほど分かります。
そして、あなたが誰よりも子供の事を考えて良かれと思ってやっていることも分かります。


ですが、教育の歴史は人間の歴史と共に発展してきていて、もうかれこれ1000年以上は続いてきています。
そして、長い間研究されてその成果が蓄積されてきています。
なのに、なぜ皆先人の知恵から学ぼうとしないのか?
あなた1人の経験は過去の多数の人の経験よりも特別で大きな経験なんですか?
そう思っているのならそれは自分の経験を過大評価しすぎだと思います。
あなたと同じような経験をした人は過去にごまんと居ます。
受験勉強では必ず過去問を解きますよね?
まさか過去問も見ずにたぶんここが出て、こうやれば解けるだろうとかやらないですよね?
そして、解けない問題があればその解法を学ぶのが当然です。
なのに、なぜ教育の話になると誰も過去から学ぼうとしないのか不思議でたまりません。
困っている今こそ過去の先人の知恵をお借りしよう。



過去に逸脱については度々考えられてきました。
皆さんと同じように「あの子はなぜあんなことをするのだろうか?」と。
しかし、ここでアメリカの社会学者ハーシは今までとは違った視点から新しい考え方を提唱します。
それがここで紹介する「ボンド理論」です。
これは「なぜ非行をするのか」を考えるのではなく、「なぜ非行をしないのか」を考えたのです。
人は非行をするのが当たり前で、非行をしないのは4つのボンド(縛り)があるからだと考えました。


その4つのボンドが

・愛着(attachment)
・投資(commitment)
・巻き込み(involvement)
・信念(belief)

です。


愛着(attachment)は両親や教師、友人に対して愛情や尊敬を抱いていれば逸脱を起こす可能性が低くなるという考えです。
愛情や尊敬を抱いているとこれをしたら両親が悲しむなどと考えて逸脱に歯止めがかかる可能性が高くなります。


投資(commitment)は非行をすることで自分が不利益を被るときに逸脱を起こしにくくなるということです。
良い高校や大学、就職先へ入る為に勉強に投資をしてきたのにその行動で全てを失ってしまう状況では逸脱は起こしにくいでしょう。
逆を言えば、失うものが無かったり得することの方が多いときは逸脱を起こしやすくなります。


巻き込み(involvement)は「合法的」な活動へ費やす時間が増えると相対的に「非合法的」な活動への時間が減少するということです。
例えば、部活動をやっていて時間も体力も部活動に費やしていると非行を行う時間や体力が残らないので逸脱を起こす可能性が低くなります。
何かに夢中になって非行以外のことに使う時間が多いと逸脱は起こせませんよね。


信念(belief)は法や規範に対する信念が強いと逸脱を起こしにくくなるということです。
例えば、神様は見ているや悪い行いをするとバチが当たるということを強く信じていれば逸脱を起こしにくくなります。
そういう観点で見ると宗教は逸脱を起こさないように上手く機能している面もあるのだと思います。
日本では、無宗教の人が多いですが神様は見ているや悪い行いをするとバチが当たるというのを信じている人は多いと思います。



この4つのボンドがあれば人は逸脱を起こしにくくなるというのがハーシの唱えた「ボンド理論」です。
子供の逸脱に困っている親や教師は過去の先人から学び、このボンドを1つでも増やせるように考えて行動してみてはいかがですか?
そして、これからは自分の経験を絶対視するのではなく先人の知恵から学んでみてはいかがでしょうか?

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