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解読 ボウヤ書店の使命 ㉚-5

長編小説『ポワゾン☆アフロディテ№X』読み直し続き。

《第二章

1 《アフロディテ》

 金指翔太は耳たぶのピアスに手をやった。
 右側の耳には細い剣を象ったもの、左側の耳にはその鞘がぶら下がっている。重くはないがゆらゆらと揺れるせいか、痛くないの? 珍しいピアスをしているね、とよく言われる。駅の路面販売で手に入れたものだから珍しくもない、どこかの国で土産用に大量生産しているものだと答えるのだが、多くの人から指摘される通り、全く同じものを売っているのを見たことも、他の人が着けているのを見たこともない。
 首に掛けたネックレスは盾を象っていて、シルバーに小さなターコイズと珊瑚が散りばめられている。剣のピアスと一緒に、路面販売のお兄さんから買ったものだ。
「ピアスが矛でネックレスが盾。だけどこれは何も刺さない矛と、何も守らない盾。矛盾するどころか、ただのお飾りでしかない」
 興味を示して話し掛けてくる人には、いつでもこの台詞を言うことにしている。アクセサリーは馴れ馴れしい人に捕まらないよう、見えないバリアを張るつもりで着けているが、むしろそれをきっかけにして話しかけてくる人も多い。
 ――八田一之介はこっちの表情をじろじろ見るわりには、これについて何も言わなかったな。
 右側のピアスを外す。剣の持ち手は艶やかなオニキスで、刃の部分がシルバー。左側も外し、剣をその鞘に仕舞う。カチッと音がして、きちんと収まる。安価な値段で気軽に販売されていたけれど、ひょっとしたら掘り出し物だったのか。
 ネックレスも外し、指輪も外す。
 指輪はオニキスを囲むように蜥蜴を彫り上げたもの。台座はやはりシルバーで、高校を卒業する時にそれまで通っていた塾の先生からもらった。先生というよりも受験に関する悩みに答えてくれる相談係の女性で、高校三年生が始まる頃、一度だけ彼女を含めた塾生全員で集会があり、互いに自己紹介をした。それから後は塾生全員で集まることもなく、その女性からは悩みはないかと時々メールが届くだけだった。こちらからはいつでも特にないと返信するのみで、互いに特別な感情を持ちようもないはずだったが、卒業時のお別れ会で呼び止められ小さな絹の袋を渡された。その中に、この指輪が入っていたのだった。他の塾生が貰ったとは聞かないし、どうしてこんな高価なものをくれるのだろう、ひょっとして――と思ったが、卒業してからはメールに連絡もないし、街のどこかで見かけることもない。結論としては意味不明に蜥蜴の指輪が金指翔太の手元にやってきただけなのだが、デザインが気に入ったので捨てる理由もなく、タウンチャイルドの仕事の時にだけ着けるようにしていた。
 翔太はピアスと指輪とネックレスをショルダーバッグのサイドポケットに入れると、閉め切っている東側の窓を細く開けた。八田一之介の事務所の青い屋根瓦がわずかに見える。タウンチャイルドのマチ子ママが言うには、八田事務所の建物は、もともとは雑貨屋を兼ねた煙草屋だったものらしい。元煙草屋の建物らしく、一階の入り口に小さな映画館の切符売り場に似た窓口があり、中はワンフロアにお手洗いと小さな炊事場が付いている。そこが今は事務所。二階には台所と二部屋と風呂とお手洗いがあり、一階の店舗を通らずに住居に行くための構造だったのか、今でも外階段があり、そこを上がればやや心もとない扉からも出入りできるようになっている。今朝、朝食を届けるために階段を上り切って踊り場に立つと、絡み合った電線に雀が止まっていて、手を伸ばせば触れられそうな気がした。
 ――僕がこんなに近くにいるなんて、知らないだろうなあ。気付かないのなら、八田一之介も探偵なんて名ばかりのものだろうか。
 翔太はここから青い屋根瓦を見るたびに八田の事を鈍感なタイプだと決めつけずにはいられない気分になるのだが、マチ子ママに言わせるとなかなかのキレモノらしい。確かに、翔太がひと月ほど前に軽く名乗った「タクヤ」という源氏名を覚えていた。タウンチャイルドには、タクヤ、フミヤ、マサヤ、コウタ、アキラなど、似たような名前の源氏名がたくさんあり、わざわざ覚えにくいようにしてあるから、余程の常連客でなければほとんど誰も覚えない。しかし、八田一之介はたった一度伝えただけで覚えていた。マチ子ママの言う通り、案外鋭い探偵なのかもしれない。
「彼はそれほど大胆でもないし、天才的な直観を働かせるわけではないけれど、仕事ぶりが緻密だからキレるのよ」
 ママはなぜか自慢気に話していた。
 そうは言っても、どんなに緻密な仕事ぶりを見せる者でも盲点はある。というよりも、緻密だからこそ一点、見逃すものが生まれるとも言える。(平凡で大雑把な人間ならば初めからそこら中が盲点だ。)
 ――八田一之介にとって、そのたったひとつの盲点がここだな
 金指翔太はぴしりと窓を閉めた。
 こことは、古書&アート《アフロディテ》のこと。店主の滝田ロダンが二年ほど前に引っ越してきて、ひっそりと営業を始めている。一階が店舗で、二階は翔太も参加しているメディアアーティスト集団の集会所と実験室、そして店主である滝田ロダン自身の書斎がある。
 《アフロディテ》のある界隈は、賑やかな街の中にありながらもぽっかりと人通りの少ない一画で、あらゆる宗派の寺院が節操なく隣り合って並んでいる。かつては花街上がりの芸者さんが、お寺で最後のお勤めをしたのだとか。寺院以外には公民館か郵便局、介護サービスのステーションがあり、その界隈から一歩外に出れば、片側は今も昔もそれほど変わらぬ花街で、もう片側は最新設備のオートロックで管理されているマンションが立ち並ぶ。
 つまり、八田の事務所と《アフロディテ》のある狭い一画だけは、賑やかさや豊かさの山々に囲まれた盆地のように静寂で、二つは近しい位置に同居するかのように存在しているのだが、八田一之介の方は未だに古書&アートギャラリー《アフロディテ》に気付いていないようだった。
「翔太君、朝から珍しいね」
 ロダンが眠そうに目をこすりながら書斎から出てきた。肩まで伸ばした白髪交じりの長髪は寝癖で爆発し、時代錯誤を思わせる紺絣の着物は胸元がだらしなくはだけている。顎が外れるほどの大あくびをした。
「本屋の店番?」
「今日は違います。さっき、八田一之介に朝食を届けてきた帰りです」
 翔太はレースのカーテンを少しだけ開けて、八田一之介の事務所の方角を指した。
「あのじいさんも幸せもんだね。僕にも朝食を届けてくれるママが欲しいな」
 爆発した長髪を両手で掻きむしった。風貌だけは芥川龍之介にそっくりの小説家。「八田さんの方では、翔太がここに居ること、まだ知らないの?」
 翔太はうなずく。
「意外と、盲点になっているみたいですね」
「こんなに目と鼻の先にあるのに、なんで盲点?」
 滝田ロダンはあくびで滲み出た涙を指先で拭いている。
「今朝、八田さんが出前を取って食べた後の器があったから店名をチラ見して思ったのですが、どうやら八田一之介が贔屓にしている蕎麦屋は大通りを挟んだ向こう側のものでした。だから、こっち側のことは見ないようにしていたのではないでしょうか」
「そうか、かつてはここも蕎麦屋だったからね」
 ロダンが人差し指を翔太の鼻先にそっと乗せる。「相変わらず、鋭いね」
 ここも《アフロディテ》が引っ越してくる前は蕎麦屋だったが、後継ぎもなく店仕舞いをすることになった時に、ロダンが建物を丸ごと買い取ったのだ。
 それまでは人通りの多い駅前のビルに古書店《アフロディテ》を構えていたが、徐々に店頭に買いに来る人は減って、ほとんどが通信販売になっていた。そもそも専門にしているのが、世界中の奇譚やUFOものを扱う怪奇系の古書なので、たまたま店の前を歩いていた人が思いつきでふらっと入ってきて本を買っていくことなど滅多にないし、固定客たちはひと気のない場所にある方がむしろ立ち寄りやすいとまで言うので、駅前ビルに高い家賃を払い続けるよりは、少し辺鄙な場所に腰を落ち着けたいと思って、この場所への引越を決めたのだとか。
「蕎麦屋のおじさんが置いて行った大きな信楽焼の狸が玄関先にあるから、八田一之介は未だに蕎麦屋だと思っているんじゃないでしょうか。建物の外観は特に大掛かりな工事もしなかったし。ここは今でも、どう見ても、いかにも古書&アートという風情じゃないでしょう」
 看板として、信楽焼の狸の持つ瓢箪にプラスティック製の小さなネームプレートが掛けてある。言われなければ誰も気付かない。かつて蕎麦屋だった頃と同じように紺暖簾が玄関口に揺れていて、それも蕎麦屋が置いて行ったものであるらしく、後からロダン自身が赤い刺繍糸でネームを入れたようだった。それもごく小さく。目立たないように。
「確かになあ。本屋には見えないかもなあ。それに、あのじいさん、律儀そうだから、贔屓にしていない蕎麦屋の方は見ないようにしているのかも。無意識に必要もない罪悪感とか覚えてね」
 ロダンは下唇を舐めながらにんまりとし、うなずいていた。
「八田一之介はじいさんってことはないですよ。今朝、朝食を届けた時に話をしてみたら、ロダンさんとそれほど――」
「それほど、何?」
「いや、すみません」
 失言しそうになった。そこで翔太は非の打ちどころのない笑顔でごまかした。ヤバい時でも相手を和ませる効果があると自覚している。
「ロダンさんに比べたら、八田一之介なんてじいさんでしょうね。ロダンさんはとても若々しいから」
 翔太は唇を大袈裟に尖らせて見せた。
「明らかに、嘘」
 ロダンはまた人差し指を翔太の鼻先に向けた。
「いずれにしても、会ってみた限りでは、八田一之介は有能で誠実な人だと感じました。でも、だからこそ、ここが盲点になった。足を運んだことのない蕎麦屋というのは、誠実な人間にとっては盲点になる。見ないようにしているが、そうは言っても、ちらっと信楽焼の狸は目視して蕎麦屋だと認識している。あの狸が陣取っている限り、半永久的にこっちを見ないってことじゃないでしょうか」
「だろうな」
 ロダンもカーテンの隙間から窓の外を見ていた。「ある意味、狸は守護ですな」
 やや薄曇り。電柱から伸びて絡み合っている電線に鳥が数羽泊まっていた。
「今朝は、朝食を届けた時に、八田一之介と『さやか伝説』の話をしてきました」
「それはまた、どうして?」
 ロダンははだけていた胸元を合わせ、眉間を寄せて神妙な声を出した。窓際に積んであった座布団を二つ取って畳に並べ、「まあ座れよ」と言う。
「マチ子さんに言われて。八田さんが『さやか伝説』のことを聞きたがっているから、朝食を届けたついでに話してあげてと」
「そもそも、どうしてマチ子さんに『さやか伝説』のことがばれたの?」
「八田さんが話したからだと思うけど、それに、店に奴らが来るようになって、何それって聞かれたことがありました」
「奴らって?」
 翔太は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「さやかに遭って、その後、神隠しに遭った、どうしてくれるんだ、とか言う奴らです」
「そんな馬鹿な」
 ロダンは笑い出した。「あり得ないでしょう? あれは、君たちメディアアーティスト仲間で仕組んだ虚構のアイドルなんだから。神隠しに遭う伝説も誰かの作り話だろう」
「そのはずですけど、ちょくちょくいるんです。マジで怖い思いをしたとか、言いがかりをつけてくる奴が。だからと言って、僕たちは実はそれほどのことはやってないですよ、と教えてやるわけにもいかないし」
 翔太自身はロダンのようには笑えなかった。「タウンチャイルドに奴らが来て、僕に話しかけているのを耳に挟んでいたマチ子さんが、八田さんに教えたらしい。おそらく、八田一之介がマチ子さんに姉の事件の話でもしたんでしょう。詳しい名前までは言わないにしても、変な事件解決の相談を頼まれたとか言って。前から思っていたけど、あの二人の間にだけは守秘義務違反が起きています。実質、夫婦みたいなものだから。だけど、それだって、凄腕探偵八田一之介の盲点でしょうね」
 ロダンは、頬を膨らませ、何度もうなずいている。
「ところで、俺の知り合いが八田のところで見たという俺の小説はどうだった? まだ、あったか。緑色の表紙」
「ありました。確か、その人が見たのは二階の住居でしたよね。今朝、僕は二階に入りそびれましたが、今度はちゃんと事務所に置いてありました。同じ緑色のクリアファイルでした」
「読んだ形跡は?」
「そこまではわかりません」
「そりゃそうか」
「姉の件の調査をしている浅田欣二という刑事も八田一之介のところに相談に行ったらしいし、いつの間にか八田さんのところに事件が集まっている気がしますね。マチ子さんの言う通り、本当はキレモノなのかもしれません」
 翔太は『さやか伝説』の話を聞いている間の八田一之介の表情を思い出した。唇を一文字に引き締め、こちらの眼を見るともなく見つめて、時々、なるほど、そうか、と相槌をうちながら聞いていた。そのうち不思議にリラックスさせられて、つい余計なことまでも話してしまいそうだった。
「それにしても、翔太くんのお姉さん。どうなんだろう。俺にもいまだにわからないね」
 ロダンは頭の天辺を左右の人差し指でぼりぼりと掻いた。「類似した不思議話はたくさん読んだけれど、お姉さん自身は、翔太が見たあれを、見てないんだろう?」
 翔太は上唇と下唇をぎゅっと合わせて、目を閉じた。
「たぶん、見てないと思います」
「翔太くんは、お姉さんにあれを見たことを話してもいないんだったね」
 翔太はうなずいた。
「謎だな」
 ロダンはごろんと仰向けになって目を閉じてしまった。
「確かに、謎ですね」
 翔太がそれを見たのは、小学五年生のことだった。
 姉のまるみが食卓に置く焼き魚の向きを間違えたことで母親に叱られて家を飛び出し、父親が外に探しに出た時のこと。
 翔太はリビングの窓から、なんとなく裏庭にあるステンレス製の物置の方を見ると、その屋根の上に奇妙なものが舞っていた。サンダルを履いて裏庭に立ち、物置の周りを漂っているものに近付き目を凝らして見ると、それは薄紫色に光る蛍のようなもので、物置の扉の細い隙間から出たり入ったりしていた。最初は実際に蛍だろうかと思ったが、光が熱を帯びているように見えた。そのうち、ステンレス全体がぼおっと薄紫色に包まれた。
 ――燃えている。
 翔太は慌てふためき、家の中に両親を探したが、二人ともまるみを探すために外に出たまま戻っていなかった。どうにかしなくちゃ、このままじゃ家の方まで火が辿り着いて全部燃えてしまうと焦り、風呂場に行ってバケツに水を汲み、その水を物置に浴びせて火を消そうとした手前で、燃えているわけではないことに気付いた。
 ただ光っている。ひとつひとつの光は蛍のようだけれど、蛍と違っているのは、やたらと大きくなったり、小さくなったりすることだった。点いたり、消えたりしている。
 ――お父さん。
 叫ぼうとしたが、声が出ない。
 ――お母さん。
 やっぱり、声が出ない。苦しい夢の中に居るようだった。
 物置の前に立ち尽くしていると、
 ――ショウくん。
 姉の声がした。声というか、脳の中で響くような声だった。
「お姉ちゃん」
 やっと言えた。
 ――ショウくん。お姉ちゃんは、ショウくんになりたいな。
「お姉ちゃん、何を言っているの? どこに居るの?」
 物置の中に居るのだろうと思った。
「居るんでしょう? 物置の中に。出てきてよ」
 返事はなかった。
 点滅する薄紫色の光を見て、呆然と立ち尽くしているうちに、母親が帰ってきて、その後を追うように、父親も帰ってきた。
「まるみはお祖母ちゃんの家に行くと言ったらしい」
 父親は随分走ったのか、肩で息をしていた。
「それ、どうしてわかったの?」
 母親が青ざめた表情で問い詰めた。
「近所の子供が居て、『まるみちゃんはおばあちゃんの家に行った』って、言った」
 父親がそう言い、直ぐに母親が祖母に電話をしたところ、
「ああ、まるみは来ているよ」と言ったのだった。「喧嘩でもしたのかねえ。今夜は泊まっていくか、後でお父さんが迎えにくるかして」
 両親がほっとしている横で、翔太は一人、じゃあ、さっきの声はなんだったんだろうと思って物置を観たら、もう薄紫の光はなかった。ただなんとなく、物置の周辺が、ぼおっと光って見えたけれど、気のせいだと思って、火を消すために汲んだバケツの水を風呂場に捨てに行ったのだった。
 その後、祖母から改めて電話があり、
「さっきまでいたまるみがいない」
 と言う。祖母の混乱した声が受話器の外にまで聞こえてきた。再び両親が外に探しに行き、地域の人まで巻き込んで草むらや公園や友人宅を探し回って、どうにも見つからないまま夜が明けた頃に、姉のまるみが物置から出てきた。
 翔太は呆然とした。
 ――やっぱり、お姉ちゃん、そこに居たのか。
 姉のまるみは最初からずっと物置に隠れていたらしく、祖母の所には行ってないと言ったが、父親と祖母だけが狐に化かされたような顔つきをして、父親は、じゃあ、あの「まるみちゃんはおばあちゃんの所に行った」と告げた子供はだれだったのかと愕然とし、祖母は家に来たはずのまるみはなんだったのかとしゃがみ込んでしまったのだった。
 翔太はその朝、新聞記事の隅に小さな事件の記事を見つけた。さやかと名乗った女の子が交番に道を尋ねに来て、トイレを貸してほしいと中に入ったきり行方不明になった事件だった。
 当時、小学生の翔太が念入りに新聞を読む習慣などない。しかし、その日はなんとなく置いてある新聞が気になって目をやると、その小さな記事がやはり薄紫に光ったように感じて、向こうから読んでほしそうに飛び込んできたようだった。
 記事に書いてある警官が見たという奇妙なものの描写は、翔太が物置の辺りで見たものと似ていた。新聞に掲載されていた事件では、さやかと名乗った女の子がなかなかトイレから出てこないので無理やりドアを開けたところ、そこに女の子はいなくなっていて、後で警察官がトイレを見ると、薄紫色の光が点滅していたのだった。
 翔太はその記事を切り抜き、誕生日に貰ったまま大事にとってあったエヴァンゲリオンのノートに貼り、その時以来、図書館にある新聞を片っ端から捲って探したり、Xファイルなどの記事が掲載されている書籍を読んだりして、類似した記事を探した。見つかるとコピーを取るなどして入手し、やはりノートに貼るようになった。中学生になってからは、買ってもらったパソコンを使ってネット上の記事も探した。注意を向けていなければ、ほとんど発生していないかのように思える怪奇事件も、自分から探し求めていると、どこもかしこも怪奇だらけかと思うほど、多くの事件を収集することができた。
 そんな時、新聞に怪奇系雑誌の書評を書いていた滝田ロダンを見つけ、意外にも古書店が近所だったことから会いに行った。
 ロダンは当時五十過ぎで、既に周囲に数人の若い弟子が居た。ロダンが古書店を経営しつつ小説を書く横で、若い弟子たちは小説の為の取材や部分的なゴーストライターを担当し、それ以外に、あらゆるメディアを駆使して人々の脳内にアートや映像を立ち上げる実験的活動をしていた。
 翔太にしてみれば、物置で薄紫の蛍を見たのは一回きりだったが、集中して怪奇事件を探し回ったおかげで、あらゆるところに怪奇事件が起きていると錯覚するほどのノイローゼ気味で、しかも誰にも話せず鬱々していたところだったので、率直に怪奇現象について話せる人たちを見つけたことが嬉しかった。思えば、それが初めて他者に話した瞬間だ。信じてもらえないだろうとドキドキしつつ話したのだったが、ロダンはすでにその交番の事件を知っていて、仕事柄、そのような話に慣れていることもあるせいか、馬鹿にしたり嘘をついていると疑ったりしなかった。
「事件を掲載していた新聞よりも、ずっと詳しく取材した雑誌があるよ」
 だらしない風貌のわりには書類関係は神経質に分類して保管してあるらしく、速やかに翔太の目の前に取り出した。
 雑誌の名前は『アジナ』。第三の眼を表しているらしかった。
「雑誌の編集者から聞いたのは、この警官は事件の後、仕事を辞めて実家に戻ったそうだよ。気分的に、どうにも続けられなくなったとか言っていた。その実家に戻る直前に、もっと細かく聞き取り調査をした記者がいて、この雑誌に掲載したというわけ」
 翔太は雑誌を受け取り、ページをめくった。新聞では地方版の隅っこに小さく掲載されていただけだったが、雑誌では見開き一面分の記事になっていた。
「最初からこんなこと言うのもなんだけど、君が未成年だから言っておくが、この雑誌は全くの嘘ではなくても、やや話を盛って書いてあるからね。そのまま信じたりしないように」
 ロダンは、「言いたくないが、仕方ないよな」と弟子たちに同意を求めていた。「実際、君が現れるまでは、僕自身、こんな少女の事件なんてガセネタだと思っていたのだけどね。だけど、君もこういう光を見たと言うのなら、あながち嘘でもないのかも」
「書いてあることや絵が、僕が見たものと、そっくりです」
 翔太は雑誌の記事に目を奪われた。

雑誌の記事

消えた少女 地球外知的生命体によるアブダクションか! 
 ~警察官、少女が消えた直後に薄紫に点滅する光の大群を目撃する


 それは二〇〇六年七月十二日 午後六時頃 都内の某交番で起きた。二十三歳の警察官Aの話によると、その日は事件が起きる前から、何かがいつもと違ったのだ。Aは私の取材に対して、次のように語った。
「いつもは被害者や加害者から聴収する立場だから、その時だけは何かが違ったとか、何とも言えず怖かったとかの言うは、単なるごまかしだと思っていました。しかし、実際に直面すると、そうとしか言いようがないものでした。その日は夕方頃から、明らかに何かがいつもと違いました。
 午後四時頃に道でハンドバッグを拾ったという七十代の女性が来て、拾った時の状況や中身の確認をして、撮影をしたり書類を作成したりしました。
 拾得物は青いスパンコールが全面に施してあるパーティー用のバッグで、中にパールのネックレスとイヤリングが入っていた。バッグ自体は高価なものではなさそうでしたが、私には鑑定できないけれども、パールがもしも本物だったら高価なものですから、落とし主が取りに来た場合、この拾った女性にはいくらの御礼金が支払われるのだろうかと考えながら書類を作成していました。財布や身分証明書や傘が届くことは多いのですが、パールのアクセサリーは初めてのことでした。
 その女性が帰ってから十分もしないうちに、女性の娘だと名乗る女性が交番に来て、あれは私のものだから返してくださいと言うのです。母親は年をとったせいか、近頃、行動が変なのだと言っていました。家から持ち出して、交番に届けてしまったと。そうは言っても、本当に母と娘なのか調べたいので身分証明書を出してくださいと言うと、そんなものはない、だけど、ネックレスのパールの数なら覚えていると女性が言って、その数は二十八個だと言う。それで、別部屋に保管したバッグからネックレスを取り出して、一応、玉を数えてみたところ、パールの数は三十二個だった。二十八個じゃない、三十二個でしたよと言おうとして、表の面接デスクに戻ったら、もう誰もいなかった。
 改めて、ハンドバッグを届けてくれた七十代の女性から聴収した書類を見て自宅に電話しましたが、彼女にはそもそも娘はいないと言う。じゃあ、娘だと言ってやって来た人はいたずらだったのか、それとも、パールの数を間違えただけで、実際に落とした人だったのか、わかりませんでした。
 変なこともあるものだと思って外に出て、交差点を見ていたら、いつもより人通りが少ない気がしました。時計を見たら、午後五時過ぎ。通常、パートを終えた主婦が自転車で通り過ぎたり、営業マンらしきサラリーマンがネクタイを緩めて駅に向かっていたりする時間帯なのですが、その日はしんとしている。車もほとんど通らなくて、シルバーのベンツと、藍色のBMWが一台ずつ、通り過ぎただけだった。
 なんとなく怖くなって、自転車でパトロールでも行こうかと考えたけれど、落とし物の件で女性が戻って来るかもしれないし、交替の警察官が来るまでじっとしていようと考えて、中に戻りました。
 ずっと、そのように、部屋の中もしんとしていたところ、迷子になったという女の子が一人で入ってきたのです。さやかと名乗りました。年齢は六歳くらい、髪が肩より少し長く、ディズニーのプリンセスものの柄のTシャツを着て、水色のスカートを履いていました。どこで迷ったのかと聞くと、お友達の家に遊びに行った帰りで、初めて行ったおうちだったから帰り道がわからなくなったと言った。
 住所や電話番号を言えるかと聞くと、その前にお手洗いを貸してほしいと言いました。どうぞと教えてあげた後、僕自身はなんとなく外に出ました。女の子はいったいどこから来たのだろう、などと考えて、交差点を眺めましたが、やはりなんとなくいつもよりひと気がない。変な日だと思って、女の子がトイレから出てくるのを待っていましたが、なかなか出てこない。呼んでも返事をしないし、あまりに長く待っても出てこないので、中央警察署に電話して婦人警官に来てもらい、ドアを開けてもらいました。六歳くらいと言っても女性に敬意を払わなければいけません。鍵は内側から掛かっていたのですが、婦人警官がドアを蹴って開けました。すると、女の子はいませんでした。
 婦人警官も驚いて、改めて中央警察署に電話をして数人に来てもらいましたが、時々ある怪奇事件だということで、あまり重視されずに処理されました。先輩たちから、警察やっていると時々意味不明なことに遭遇するけど気にするなと言われ、他の人が持ち場に帰って行った後、まあそうだな、気にするのはやめようと思って、トイレに行こうと戻ったところ、薄紫色の光が蛍のようにたくさん点滅しているのを見たのです。初めは火が出たのかと思いました。ガスの青い炎の、紫がかったような色で、熱も感じるような気がする。火事だ、大変だ、と思い、消火器を持ち出したところ、光は段々と弱くなって消えて行きました」
 警察官Aはその後、警察を辞めて実家に帰ることにした。その直前に、私の取材に答えてくれたものである。この光は専門家の間ではオーブであろうと結論付けられた。写真に現れることはよくあるが、はっきりと肉眼で見られるのは稀である。』

 ――同じだ。僕が見たものと同じだ。
 翔太は驚いた。警察官の証言から作成した光のイメージ図は、翔太が自宅の物置で見たものとそっくりだった。
 あまりに衝撃を受けたので、まだ中学生になったばかりの翔太としてはなけなしの小遣いを使ってその古雑誌を購入することにし、この記者や警官と会うことはできないだろうかとロダンに尋ねたが、ロダンはどちらのこともよく知らないと言った。
「これ、結局なんだったのでしょうか。薄紫の点滅する光」
 翔太は雑誌の絵をなぞった。
「オーブだと書いてないかな」
「ありますけど、オーブって、何ですか」
 翔太が尋ねると、ロダンは手持ちのあらゆる書籍を出してきて、それが何かについての仮説をいくつか教えてくれたのだった。
 ひとつは水滴や小さな粒子が光を帯びて光ったもの。それから、たまゆらと呼ばれる魂。そして、知的生命体。いずれにしても共通認識されている結論もなく、現象としては同じだったとしても、中身はケースバイケースかもしれないと言った。非科学的な出来事というのは、だからこそ非科学的であり、怪奇なのだと。
 その時以来、翔太はロダンの弟子たちのメディアアーティストの活動に参加するようにもなった。ブログを書いてアフィリエイトと呼ばれる広告費を稼いだり、写真を加工した背景用アートを作成して無料提供しつつネット上のシェアを拡大したり、ロダンが受注した「ガセネタ的不思議体験話」を書いたりして小金を稼ぎつつ、最新のテクニックを仕入れては映像作品や音楽作品を制作し、いずれは海外を中心に発表することを目指した。
「一人で事件のことを鬱々と考えているよりも、その方がいいんじゃないか」
 ロダンがそう言って、勧めてくれたのだった。
           *
「十二年前、翔太くんのお姉さん自身は物置に隠れていた時に自身がオーブに包まれていたことは知らないわけだから、この度の行方不明が初めての怪奇事件だと思っているのだね」
 仰向けになっていた滝田ロダンは、弾みをつけてごろんと起き上がった。物書きとは言え、古書の仕入れや棚の整理、配送の準備や荷物の運搬もするせいか、身体の筋肉は引き締まっている。
「そうでしょうね。本人はまるで鈍感だから」
 翔太はまるみのゆったりした動きを思い出していた。父親も母親も、どちらかと言えば翔太自身も、毎日を忙しくしてきびきびと動くのが好きな人間だと思うが、まるみだけはのんびりとして、一日中、アニメの本をぼんやりと眺めていても退屈しないらしかった。
「鈍感なのかなあ。鈍感に見えるだけかもしれないよ。むしろ鈍感に見えて、無意識的には些細なことに気付いている人に怪奇現象は起きがちなのだ」
 ロダンは太い指をぽきぽきと鳴らしている。「翔太くんのお姉さんが物置に隠れてオーブに包まれた日と、雑誌アジナにも掲載されているさやかという少女の怪奇事件の日と、同じ日だというのが気になるところだね。あれから十二年も経つけど、他にはそんな偶然はなかったな」
 ロダンの言葉に翔太は大きくうなずく。
「様々な怪奇事件はあるけれど、あんな偶然、ないですね」
「それに、最近、翔太くんのお姉さんが遭遇した行方不明事件の発端は、君たちメディアアーティスト集団が仕掛けたものだしね」
 ロダンはにやりとしつつ、ぐっと上目遣いで翔太を睨む。
「まさか、あそこまで信じ込むとは思いませんでしたけど、ね」
 翔太はうっすらと笑った。
 翔太たちが作ったさやかの物語。ネット上で架空のアイドルを祀り上げ、関係者を熱狂させる。そのさやかの存在を、ほんのいたずら心で姉のまるみに信じ込ませる計画だった。どこまで鈍感なのかをいじわるく眺めてみたい気もしたし、いつまでたってもバイトばかりして就職もせず、両親のすねを齧り続けてアニメのイベントばかり行っているまるみのことを、翔太はなんとなくうざったく思ってもいた。
 ――姉ちゃん、いつまであんなことやっているんだろう。
 アニメみたいな二次元世界にどっぷりはまっているのだったら、もっと進化したVRの虚構世界を見せてやって、いっそそこから二度と出てこないか、あるいは、パッと現実世界に目覚めて、世の中の為になるような仕事にでも就いてくれるかのどちらかになればいいと思った。いっそ出てこなければいいなんて冷酷なようだけれど、メディアアーティスト関係の活動をしていれば、そんな奴はたくさんいた。それはそれで、いずれその世界でなんらかのカウンセラーになる人もいるし、声優やオペレーション担当など、結果的にはリアルな仕事もけっこうある。
「だけど、お姉さんに対するちょっとしたいたずら心にしても、手が込み過ぎていると思うけど」
 ロダン自身はメディアアーティストの活動そのものには関わっていない。最新の機器を入手しやすい立場にあるのでハード面で協力しているだけだった。
「手が込んでいるというか、途中から、僕たちもよくわからないことが起きていて――」
 翔太は姉が行方不明にまでなるとは思っていなかった。
「よくわからないって?」
「姉にさやかの存在を信じ込ませるだけのつもりだったのです。僕たちの作った、さやかというアイドルの存在を一瞬信じておしまい、と」
「じゃあ、行方不明になるところまでは、計画してなかったのか」
 翔太はうなずいた。
「なんで、行方不明になったの?」
「わかりません。美咲さんにさやかに扮してもらって、姉のよく行くレアマーケットのカフェエリアで声かけてもらって、僕のラインからさやかに成り済まして入り込んでもらって、まるで二次元のさやかからラインが届いたかのように設定しただけです。なんだか運悪く、その時に限って姉はスマートフォンをバイト先に忘れてきていて、取りに戻ってしまった。その日はそれで終わる予定だったのに」
「予期せず、その後、行方不明になってしまったのだったね」
「そうです。後でわかったことですが、姉はその後、さやかと再会して、さやかの家に行っていたと警察に言ったんですよ。あり得ないでしょう? さやかは僕たちが仕込んだ二次元キャラクターだし、さやかに扮した美咲さんは、その時僕と一緒に居たのですから」
 さやか役を演じた美咲はメディアアーティスト集団の紅一点。翔太はその日、レアマーケットのトイレでさやか用の衣装から元の服装に着替えた彼女が地上まで駆け上がって来て、「ちょっと想定外。お姉さん、バイト先に戻っちゃった」と残念そうに舌を出したのを覚えている。
「じゃあ、何か、別のものが、関わってきている?」
 ロダンは見えないものを見ようとしているのか、左右の眼を寄せながら上を見た。
「そうかもしれません。というか、そうとしか言えないでしょう」
「宇宙人?」
「まさか。そんなこと考えたこともありません」
「そうだよな。僕は仕事柄そういう本を読み過ぎて、なんでも、それ宇宙人じゃないのって言う癖がついているけれど」
 二人は腕組みをしたまま黙り込んだ。
「だけど、十二年前に出たオーブは宇宙人かもしれないが」
 ロダンは羽生睨みで空中を見た。
「また、出た、ということでしょうか。そのオーブが。正体が何なのかはわからないにしろ、あのオーブが出た、のか?」
「今回誰もそれを見たものはいない、が」
「見たものはいないですね」
 近頃は、あの薄紫色の光のことは忘れていた。ロダンの古書店で古本を漁っていると、オーブなんて写真の撮り方で光の粒子が写り込むのだと書いてあることが多いし、何枚も写真を見ていると、わざと光を創って写しているフェイクのように思えてきた。
「十二年前に見たことですら、なんだか気のせいだったのかもしれないと、思い始めていたところです」
「ノイローゼが治り始めたところだったのに、またお姉さんのせいで、思い出しちゃった、というところか。オーブは出なかったにしても」
「今回は、僕自身の撒いた種ですから、ノイローゼになっている場合じゃないでしょうね」
 翔太は下唇を噛んだ。
 ロダンはにやりとして翔太をじっと見つめ、
「その通り」
 緩やかに翔太の鼻先を指さした。
「ところで、翔太くんは今日、どうするの? バイト帰りだから、ここで一寝入りしてから大学に行くつもり?」
「大学は休講です。一階で美咲さんと待ち合わせしています。姉の件で、落ち込ませてしまって」
「そうだろうなあ、まさかこんなことになるとは思わなかったのだろう。警察に言った方がいいんじゃないか」
 ロダンは窓を開けた。先ほどよりも日が高く、曇り空も白く光っていた。
「それも考えましたが、美咲さん、来年就職だし、こんなことでなんとなく取消になってもつまらないし、美咲さん自身は僕に頼まれてコスプレをして演技をやってくれただけで、何も悪くないから」
「悪いって言っているんじゃないよ。だけど、そのうち、あの八田一之介が気付くんじゃないか」
 ロダンは八田の事務所の方を見ている。
「美咲さんのことですか?」
「というか、翔太くんのいたずらだったってことに」
「そうでしょうか」
「あの男は間が抜けているようで、なかなかの凄腕だと噂だよ。普通の刑事事件から怪奇事件まで、なんでもこいだと聞いたことがある」
 翔太も窓の外を見た。ヘリコプターが一台、上空を通り過ぎていた。
「じゃあ、お手並み拝見といきましょうか」
「それもいいな。じっと黙ってこちらから見ていよう。わざわざ、事件を解くためのネタを垂れてやる必要もないだろう」
 ロダンと翔太は顔を見合わせて、にんまりと笑った。
「ロダンさんの小説『無人島の二人称』ですけど、八田一之介は読んだらここに来るでしょうか。今はすっかり蕎麦屋だと思って気付かないみたいですけど」
「だけど著者名は僕になってないからねえ、あれを届けた加藤陽一郎は八田さんには絶対に言わないだろうし、気付かないのではないかな」
「著者名はロダンさんになっていないなんて、じゃあ、誰かのゴーストで書いたのですか? ロダンさんともあろう作家が」
「ゴーストじゃないよ、勉強しているのさ。加藤陽一郎先生の文章塾のお勉強」
「ええっ? ますます驚きです。まだ勉強しているんですか」
「当たり前でしょう。どんな作家でも天狗になっちゃいけない。一生勉強ですよ。そうしないとあっという間に枯渇する。とは言っても、名前は伏せてね」
 ロダンがいつものウィンクもどきをした。ウィンクのつもりが片目と一緒に顔じゅうの筋肉を歪ませる。うまいつもりなのか、時々やって見せるが、あまりうまくない。
「どうして、その加藤陽一郎さんがロダンさんの小説を八田一之介のところに持って行ったのでしょうね」
「加藤陽一郎のやつが、滝田さんの書いた話はいつでも書いたことが現実になる、これだって、あれとリンクしてどうのこうのと言うから、そうですか、そんなことはないと思いますよ、加藤さん、ちゃんと解読できていないんじゃないの、って言ったらね、八田のところに持って行ったらしい」
「そんなこと、勝手に」
「勝手にじゃないよ、解読したいのなら、八田一之介のところに持って行ってみたらどうか、と僕が言ったんだ」
「なあんだ、八田一之介とは知り合いですか?」
「いや、知り合いじゃない。前から言っているように、こっそり知っているだけ。ああいうツワモノというのは、存在そのものが怪奇現象みたいなものだから、こちらの仕事柄興味がある。それで、加藤陽一郎をけしかけて、これが解けるか、と突き付けた」
「八田一之介に挑戦か」
 翔太はつい声を大きくしてしまった。
「挑戦かって、そんな大げさな」
 ロダンはのけぞり、奥歯の詰め物が見えそうなほど口を大きく開けて笑う。ひとしきり笑い終えた後、
「だけど、まあ、言ってみれば、その通り」
 ロダンの人差し指が翔太の鼻先にそっと触れた。(第二章1 了)》

※ここまでの解説
 あらすじ。
 まるみの弟、金指翔太は、実はタクヤだとわかる。タクヤとして八田一之介に朝食を届けてさやか伝説の話をした後、直ぐ近くにある古書&アートギャラリー《アフロディテ》に来ていた。十二年前、姉のまるみが物置に一晩隠れていた事件があった頃から怪奇現象に興味を持っていた翔太は、雑誌で怪奇現象を取り扱っている滝田ロダンを知り、ロダンが経営している《アフロディテ》に通うようになる。
 今回のまるみの行方不明事件は、翔太が姉を驚かせようと企んだいたずらだったが、姉が行方不明になったので驚いているのだった。
 滝田ロダンは長編小説『無人島の二人称』の著者。編集者加藤陽一郎を介して、八田一之介に解読を挑んだのもロダンだ。
 ロダンと翔太は、八田一之介がこの二つの怪をどう解くかを、興味津々で見守っている。

 さて解読。
 八田一之介の事務所と滝田ロダンの《アフロディテ》は至近距離にあって、《アフロディテ》から八田事務所の屋根が見えるほどだ。しかし、一之介はこの存在に気付いていない。盲点になる理由をいろいろと考察している。
 また、まるみが子供の頃に物置に隠れていた事件では、蛍みたいに紫に光るものが登場し、これは交番で少女がいなくなった時にも現れているのだが、これは地球外知的生命体と言えるだろうかと、雑誌『アジナ』で取り上げている。それは長編小説『無人島の二人称』にも出てくる。この設定では、翔太の話を聞いてロダンが小説に盛り込んだと言えるだろう。
 オーブのような光をどう解釈するかは時と場合と人によるが、人間以外の生き物の眼球ならばキャッチできる波長のものがあるのは事実だから、こういった、通常、人間の眼球では捉えられないものは全て妄想とは言い切れない
 
小説はまだまだ続く。


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