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Twitterにはびこる「ノットオールメン」誤用の私見整理

あなたはノットオールメンという言葉をご存じでしょうか。

ノットオールメンとは

「男がみんなそんな人ばかりじゃない」

と表明することです。

これは良い用法悪い用法があり、良い用法は

性加害者やハラスメント行為を行う相手に対して「一緒にされたくないからやめろ」「すべての男性がそういうわけではない」と表明することで

悪い用法は

性被害やハラスメント行為の被害者に対して上記と同様、「すべての男性がそうではない」「冤罪かもしれない」などと発言することです。

後者は被害者立場からするとセカンドレイプにあたり、被害に対して正当な主張を行うことができなくなってしまったり、深く心に傷を負う可能性が高くなるので、最近ではノットオールメンと批判されるようになりました。

というのがノットオールメンの簡単な解説になります。心当たりがある様でしたら気をつけましょう。

※すごーくさわりの部分だけの説明なのですが、間違いがありましたらすみません。わかり次第訂正します。


以下私見です。

さて、このノットオールメンについて自分なりに考察いたしました。


このノットオールメンという論理、個人的には優秀だと思うんですよね。

冷静に考えれば被害者が他人から、すべての男をそうだと思うな!と言われたってなんのいいこともありませんからね。被害受けて公表する最悪のメンタル状況を考えれば、言われた側がどんな気持ちかなんてすぐにわかるはずです。ましてや冤罪かも、だなんていうべきじゃないですよね。誰にも得がありません。

その場面で必要なのは立ち直れるまで、きちんと寄り添うことです。いくら被害者が自暴自棄のような発言をしていたとしても、飲み込んであげられる精神状態はどちら側ですか?ということです。間違っても、被害者にも原因があったのでは?などと勝手な妄想で被害者を貶める発言をすることはやめましょう。


とまぁいい理論だなぁとは思っていたのですが、最近、私は何度もひどい誤用によるレッテルはりをこの単語で目にしています。

というのも、第三者が

「すべての男は犯罪者予備軍だ」など

勝手に被害者になりすまし、”能動的に全包囲男性批判”を行い、それに対してなされる

「全員そういうわけではないのでは」

とコメントにすらこの言葉を使うようになっているからです。


これでは無茶苦茶ですよね。たとえ批判が正しかったとしても、その後のコメントに対してノットオールメンのレッテルを張ることは間違えです。

被害の一例を挙げて(仮に本人が被害を受けていたとしても)、能動的に全男性を”攻撃”してしまえば、すべてではなくない?と突っ込まれるのは当然です。

例)

性被害受けました!告発します!

→男性が全員そういうことをするわけじゃないから嫌いにならないで!=悪い用法

→やっぱり男性はクソ、男は全員〇ねばいいのに。→全員というのは誤りでは?=悪い用法ではない

といった理解です。


性犯罪のほとんどは男性だから男性は全員悪!という意見もありますが、男性のほとんどは犯罪者でも加害者でもありません。潜在的犯罪者だ!とか告発されてないだけ!というコメントに関しては、法律を学んでくださいと言う話です。その法律も裁判も社会も全て男性が都合よく作っているから信用できない!という方に関してはもう……応援しているので頑張ってください。


そもそもこの言葉は、被害者側が男性批判的な発言をした際に関して、被害者はすべての男性が悪いわけではないことはわかっているという前提の元成り立っている言葉でしょう。その前提があるからこそ、励まし、社会へのトラウマを作らないようにしよう、働きかけようとできるだけ女性の立場に立って動くのがノットオールメンであると考えていますので、本当にすべての男性が悪だと思いオープンに発言する方にはそういったツッコミが入るのは正当と考えます。普通に失礼ですからね(笑)。もしかして名誉棄損…?

なんにせよ批判は全員”加害者”に行いましょう。複雑な問題を性別で単純に分けようとするから無茶苦茶になるのです。いかなる被害者も社会全体で減らしていきましょう。


話は変わりますが、ツイッター等で発信力が付くと勘違いする方が多いですが、被害者が女性Aであったとしても、女性Bは女性Aではありませんし、ましてや女性Bは女性の代表ではありません。女性Bが女性代表の様に能動的に男性批判をすることが正義の様に振る舞ってしまえば非難の的になりますしお互いの溝は埋まりません。世の中に同じような事例は男女間じゃなくても沢山あります。他の事に置き換えてみて本当にその考え方が正しいのか見つめなおしましょう。

なんにせよ画面の向こう側には人がいるということを忘れずに発言しなければな、と思った次第です。


私はいつか先輩に、「君が不満を持つのはよくわかるし、間違ってないこともあるかもしれない。ただこの社会は現在そうではないしそれを変えたいならそれだけの力をもって変えればいい。今それができないならに今いる社会に従うか、違う社会で生きるべきだよ。」と言われたことを思い出します。上記が正しいかはおいておいて、理想的な社会に変えたいなら現実論的批判に対しても簡単なレッテル貼に逃げず、しっかりと理解者を増やしていかねばいつまでも机上の理想論以下。男性に対して、「被害者女性に反論する前に男性の犯罪者を非難しろ」というのと同様に、不可解な表現で溝を広げる女性に関してもしっかりと女性が非難していきましょう。


以上です。言葉足らずな部分もありますがとりあえずこんな形で。














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