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『夢だけど、夢じゃなっかった!』って言いたい

こんにちは。
今回は、夢のお話を書きます。

みなさん夢ってありますか??
ちなみに私はあるんですけど、人生初めての真剣な夢は『魔法学校に通うこと』でした。あ〜、そろそろ達成しなきゃ🧙‍♀️

思い返すと、私達って小さい頃から夢を聞かれることや、夢について書かされることが多かったように感じます。何かにつけては、「将来の夢は?」とか「夢はないの?」とか。(学校卒業のタイミングとかね)
すんなり自分の納得する夢が出てくる人もいれば、何かこれ1つだけって言われると難しい人もいたり。自分自身の描く”こうなったらいいのかなー”っていう将来像はあるけど、”夢”となるとぼやけて見えなかったり。
私は、結構明確に夢が出てくるタイプだった気がするけれど、いつもいつも夢がひとつなわけじゃなかったのが正直なところ。

そしてそして、みんなして夢の話をするけれど、そんなに簡単じゃないんだぞって心の中では呟いています。だって、夢って言うと、なぜか叶えなければならないような気がして。それと同時に、叶うまでの道が途方もなく険しく見えるような気がして。叶うか叶わないかギリギリのラインを攻めてるような。

”夢”の定義をGoogleさんでカタカタしたところこんなふうに出てきました。

夢(ゆめ)とは、睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念や心像のこと。

いや、そっちじゃなーーーーーい!!
っと思ったけれど、夢のイメージみたいなものはこっちの”ユメ”(睡眠中に見る方はユメとします)がベースにあるから、どこか幻想のようなキラキラしたイメージで包まれているのかな、なんて。だってユメは現実じゃないから。心理学者のフロイトさんは、20世紀初頭に出した『夢判断』と言う本で、”夢の機能ないし目的は、抑圧された「願望の充足」である”と記しています。大学で心理学科専攻の私の、心理学の授業で常連さんのフロイトさんがそう言うなら間違いありません。ユメは、願望の充足です。

と言うことは、夢も願望の充足と変わりないと言うことですよね?ね?フロイトさん?

私の”夢は儚く、いつかは消えてしまうもの”と言うイメージはきっとこのユメからきている気がします。いくら素敵なユメでも、目が覚めてしまうともうその続きを見られないように。
だから、私は”夢”を”目標”と言う言葉に替えて生きてきました。
ただ呼び方変えただけじゃんって思いますよね笑
そうです。その通り。でもその少しの違いが、私にとっては大きな違いをもたらして来てくれたのは事実です。

目標:目じるし。

小さい目標から、大きい目標までたくさんあります。
「明日の朝いつもより早く起きること」これも目標だし、「オリンピックに出場すること」これも全く同じく目標です。達成する道のりの長さ・険しさの違いです。
朝早く起きることは”夢”にはならないけど、オリンピックに出場することは”目標”にはなり得ます。不思議ですね。

そして目標には目的がセットで付いてきます。目的とは何を実現したいのかであり、そのために具体的にどうするのかを設定するのが目標です。目標はあくまでも”目じるし”です。Googleマップのピンみたいな📍
目的はピンの場所で何がしたいのか。美味しいご飯を食べるのか、綺麗なアートを見るのか、友達とゆっくり時間を過ごすのか。目的によって📍目標が変化します。

自分が将来どんな生活がしたいのか、どこにいたいのか、そばに誰がいて欲しいのか、自分主体で目的を決めると人生マップにピン📍を打ちやすくないですか?

だから私は「夢は?将来の夢は?」って聞かれるより『将来の目標は?』って聞かれた方が嬉しいです。その方が未来の自分の姿が描きやすい。

みなさんも人生マップの”目標”を見つけてみてください。
ピンはいくつでも打てますよ😉🗺📍
素敵な自分だけの人生マップを持っていざ大海原へ!!

もちろん、”夢”を持つこともとても素敵なことですよ!

メイとサツキは”ユメ”の中で育ったと思ったドングリの木が、朝起きて現実に戻っても芽が出ていたとき、
「夢だけど、夢じゃなかった!」って叫んでいました。
夢が叶ったら、目標の場所にたどり着いたら、夢だけど夢じゃないんですよ🤫

p.s. 私はまず魔法学校にピンを打ってきます。

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