銅の価値や別子銅山の歴史について

旅行2日目は先ほどの祖谷川、そしてかずら橋を渡った後、愛媛の別子銅山まで向かった。1691年に開坑した別子銅山は、1973年の閉山までの283年間の間、連綿と65万トンもの銅を産み出し、瀬戸内工業地帯の中核を担っていたそうだ。
鉱山から鉱物を取り出し、銅を製錬して作り出すのに、硫酸ガスによる環境問題に直面して閉山に至ったそう。

銅は鉄とともに古くから使ってきた金属だが、資源の豊富さは大違いで、
鉄はクラーク指数(地球の表面より地殻16kmまでの岩石の中の元素量を100分率で示したもの)の4位なのに比べ、銅は新金属のチタン、ジルコニウム、バナジウムより少なくて、クラーク数25位0.01%で希少金属の方に入るそう。
従って、資源的に多い鉄やアルミニウム以上に銅は使い捨てにできる金属ではなく、何度も回収再利用していかなければならない。


参考文献:クラーク数 - Wikipedia

最近、ロシアから銅の輸入が滞って、日本で水道メーターの盗難が相次いでいるそう。
水道メーターは鍵がついていないし、特に新築の水道メーターはまだ酸化していない綺麗な銅ですので外国で高く売れるんだとか。。
日本は他国に比べ、(まぁ土地の広いロシアには劣ると思うが)銅が豊富に取れたとはいえ、貴重な銅を水道メーターに使うのは少し考えものかも知れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?