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Web3とICOの既視感

1. はじめに

 Web3ブームが止まらない。2021年頃から「Web3」というワードが一気に普及しビジネス・投資のトレンドとなりました。しかしながら少し歴史を振り返ると2017年にICOという一世を風靡した仮想通貨を用いた資金調達手法が存在しました。 

 ICOはスキームの欠陥や詐欺的プロジェクトの横行により各国で規制が検討されることになり2018年に急速に縮小しました。とはいえWeb3の資金調達部分の発想はICOと酷似している点に注意が必要です。本稿では上記を前提にWeb3とICOの類似点・相違点について整理します。

2. Web3をファクトで整理する

 Web3は建前としてWeb2.0ビジネスのプラットフォーマーの独占から個人の解放などを謳っています。中間搾取を無くしP2Pで生産者と消費者が繋がる形が是と捉えられる傾向も強いです。

 しかしながらこれらに関してはイデオロギーが先行し実利の判断が十分ではありません。では「実利」とは何かというと「サービスの利用価値」です。

 多くのWeb3プロジェクトは既に社会的に実装されているサービスを別の方法で提供しているに過ぎません。本質的に新しいプロダクトではなく、焼き直しに過ぎないのです。この点は別の投稿で触れておりますので参照ください。

 実装手段としてブロックチェーンを活用しても本質的には偉くも凄くもありませんが、ビジネスの現場では何故かそれだけで評価される事例が多々存在します。

 実利で評価するとは言い換えると、Web2.0の打倒のようなストーリーではなく消費者の実用性を基準とします。多くのWeb3プロジェクトは企画をぶち上げ、注目を集め、資金を調達し、プロダクトを開発している途中であり、まだ結果は明らかになっていません。

 しかしながら少しすると数年前に語ったストーリーと現実とのギャップが浮き彫りになります。Web3サービスが主流になることで社会は本当に良くなるのか、消費者の生活は便利なものとなるのかは不明です。

 とはいえ「経済」という観点からはWeb3が大きな課題を抱えていることが明らかです。Web3プロジェクトでは多くの場合、トークンと呼ばれる電子データを発行し、販売することで資金調達を行います。

 これは行為だけに着目するとICOと何ら変わりません。ただ過去のICOは政治に敵視されましたが今回はWeb3という仮面を被っていることもあり政治の支援を受ける状況にあります。

 トークンの本質が何なのかについては2017年当時に散々議論しました。当たり前ですがトークンは「資本」でも「負債」でもありません。(トークンの設計上、負債や前受金のような整理が可能な事例もありますが例外です)

 行為をフラットに評価するとトークンを用いた資金調達(過去のICOや昨今のWeb3のファイナンス)は単なる電子データの販売行為に過ぎません。この点を誤解している方が大勢いる印象を受けます。

 NFTという仮面を被れば本質が隠せるわけではありません。ICOの場合は電子データに将来の●●利用権を付与する設計が主流でしたが、プロジェクトが計画通り遂行しない場合は空手形を勝手に発行しているに過ぎません。 

 Web3のファイナンスも本質は同じです。

 表面上はNFTが用いられることもありますが、電子データの販売という点では同様です。ただ過去の失敗からWeb3は訴訟リスクを学んでおり、ICOのような空手形スキームではなく、トークン発行時に実在するなんらかの価値を紐付けるようなスキームを採用します。 

 この場合、トークン発行時点で価値が明白であることから将来の実現性を問われることも詐欺を指摘されることもありません。トークン購入者が自己の判断でトークンの価値を評価して購入した、と言い切ることが可能です。 

まさに合法詐欺です。
ゴミを売りつけファイナンスする新しいスキームです。

 そもそもトークンを活用した資金調達の会計上の位置付けは不明確です。株式と異なり資本ではないので資本金への組み入れは出来ません。社債・借入とは異なるので負債扱いにもありません。必然「売上」に該当することになります。 

 過去のICOではトークンセールが売上に該当することから調達に法人税がかかることが課題として認識され、複数回の分割セール案など様々なスキームが検討されました。当時も今も最適解は見つかっておりません。 

 個人的にはWeb3プロジェクトの「二枚舌資本政策」に疑問を持っています。何が二枚舌かというとエクイティファイナンスとトークンファイナンスの併用です。

 発行主体はそれぞれ性質が異なり切り分け可能と主張しますが、エクイティファイナンスとトークンファイナンスの併用は不誠実な行為だと考えます。

 ICOの際に上場企業のトークン発行は株主の利益・権利を損なう行為ではないか?という議論がありました。結論はケースバイケースで全て黒、全て白とは言えません。過去のICO事案には勢いや無邪気さが感じられますが、昨今のWeb3事案では確信犯的な陰湿さを感じます。 

 本来はプロフェッショナルであるVC等がこのような不誠実な行為を牽制しリスクマネーの供給を絞り市場からの退出を促す形が望ましいのですが、VCにそのような能力も気概も存在しないことが証明されております。

 Web3プロジェクトのオーナーはそのような状況を分かっていながら自身の経済的なメリットを追求するためにダブルスタンダードを貫いている感がひしひしと伝わってきます。通常、株主とトークンホルダーの利害は相反します。

 相反しない場合は、トークンが売り切り型で将来の経済的な利益の按分と一切紐付かない場合に限定されますが、多くのWeb3ではトークンエコノミーを謳い、経済圏の中での価値を訴求していることから矛盾が生じます。 

 結論として多くのトークンは株主の権利・価値を棄損する設計になっています。トークンエコノミーでは綺麗ごとが並べられますがこれが現実です。投資家は自身が投資(購入)しているモノの本質を理解する必要があります。 人間は昔から見たいと(信じたいと)思う現実しか見ていない生き物です。

 以下はユリウス・カエサルの至言です。

 「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」

塩野七生「ローマ人の物語」から抜粋

※著者は2017年にICOプラットフォーム(現在の表現ではIEOの専門事業)の立上げ準備を進め、ICOの問題や制度設計について金融庁とも協議を行い制度設計を検討しておりました。当該分野においては現時点においても専門性を有しておりますが当該分野には様々な主張が存在し、何が正しいかは現時点で明確になっていないことから本稿の主張は1つの考え方として取扱いください。

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