暴力団とは

「暴力団って何?」という問いは、実は難しいものであると筆者は思う。
本章では昭和53年(1978年)の警察白書をもとに暴力団の定義を示す。

暴力団の定義

暴力団の定義は「集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行い又は行うおそれのある組織」となります。親分・子分集団を構成する狭義の暴力団と(組織暴力団)と総会屋、暴力金融等に代表される特殊知能暴力グループに大別されることが一般的です。【→現在の感覚では、暴力団=狭義の暴力団ですね。】

また、歴史的起源や活動の性質から博徒、的屋、青少年不良団、会社ゴロ、新聞ゴロ、炭鉱暴力団、売春暴力団、港湾暴力団及びその他(不良土建、不良興信所、事件屋、集団押売等)に分類されますが、それぞれの区分けは当時でも薄くなっていると指摘されています。

暴力団の起源

暴力団の起源をたどれば、博徒、的屋、青少年不良団のいずれかに属します。
昭和52(1977)年時点で、団体数の割合は博徒37.5%、的屋31.9%、青少年不良団22%となっており、9割以上がこの3種で占められています。

博徒は博打打ち、的屋は露天商を資金源とする集団です。
【→現在でも裏カジノが摘発される事案がありますが、博徒としての性質を汲む犯罪でしょう。一方、的屋に関しては露天商から暴力団排除の流れが進んでおり、暴力団=的屋の図式は今後消滅していくでしょう。】

戦前(1945年以前)には博徒と的屋の2種が主流であったが、戦後の混乱期に都市部の不良がグループ化し「愚連隊」と呼ばれる集団が発生しました。これを青少年不良団と称します。彼らは、ユスリ・恐喝等など様々な非合法活動を行いました。
【→昨今、注目されている半グレの語源・元祖ともいえる集団です。】

戦後の混乱期から復興期にかけて、伝統的な博徒、的屋も様々な非合法活動(やみ市の支配、覚せい剤等)に進出し、結果的に博徒、的屋、青少年不良団の違いが薄まり、一まとめに暴力団とくくられる存在となりました。

縄張りとは

「縄張り」とは、暴力団の資金源確保の場である地域的勢力範囲又は排他的、独占的寄生領域を指します
戦前までは、博徒であれば賭場を開く権利、的屋であれば露店等の営業場所の支配権を指していましたが、非合法活動の多様化から「縄張り」の具体的内容も多様化しました。一言でいえば利権に対する支配権となります。

縄張りは暴力団の資金源に直結する為、多くの対立抗争の原因となりました。

【→暴力団が繁華街の店舗等から徴収するみかじめ料は、まさに縄張りの論理に基づいています。〇〇駅周辺、〇〇町などの地理的範囲に基づき、縄張りを主張しています。現在でも縄張りの概念は存続していると推察されますが、暴力団社会の変質、暴力団排除の流れを受け、縄張りの論理が薄まっている点はあると考えられます。】

出所:昭和53年警察白書 https://www.npa.go.jp/hakusyo/s53/s530200.html
※【】内は筆者意見

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