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ぼんやりした人生

多動な人……いわゆるADHDと呼ばれる人たちの行動のメカニズムを友人から聞いてびっくりした。

多動な人は「脳がぼんやりしているので、覚醒させようとして動き回ってしまう」のだそうだ。

「知らなかった!てっきり、興奮しているからバタバタするんだと思っていたよ」
「私もそう思っていたんだけどね、大人の発達障害外来に行ったら先生からそう言われたの。脳がぼんやりしてしまうので、動き回るんですよ、って。だから処方された薬は脳を鎮める薬ではなくて、覚醒させる薬だったの」

そうだったのか!

子どものころから多動で注意ばかりされてきた。「おい、前を向け」「きょろきょろするな」「おとなしくしてろ」

自分ばかり注意されて不本意だった。集団行動が苦手だった。集団行動をしようにも、みんながどういう合図で動いているのかがよくわからなかった。

集団を乱す気なんかこれっぽっちもないのだが、気がつくとみんなが外に出ている。気がつくと教室に戻っている。気がつくと並んでいる……。あれれれ……。

合図がわからない。ぼんやりしているせいだと思う。いつ先生が指令を出したのだ? 遅れながら必死でくっついていくのだが、すぐに怒られてしまう。

「こら、きょろきょろするな」

きょろきょろしているのは不安だからだ。どうしてみんな一緒に行動できるのかがわからない。もしかして、私には聞こえない声を聞いているんじゃないか?と疑ったこともある。

私が子どものころにはまだ「発達障害」という言葉はなかった。単に落ち着きのない子、と呼ばれていた。あれから幾年月。苦労して大人になった。大人になったら人は自然に落ち着くものと思っていたが、やはり落ち着きのない大人になってしまった。

なんで動き回るのかなんて、考えた事もなかった。私の脳は、覚醒したがっていたのか……ぎゃー。なんてことだ。もしかして、大酒を飲んできたのも覚醒したかったからではないか。泥酔を覚醒と混同していたんじゃなかろうか。

脳の特質なので、私はいまだに「考えずに行動する」タイプだ。天気予報を見て傘を持ったりしない。電車の止まる位置を予測してホームに立ったりしない。ただもう、行き当たりばったり。

計画を立てるのが苦手だ。なにかを予測して物事に当たるのも苦手だ。どうにかなるさ、である。どうにもならないことは人生にはない。そして、確かにどうにかなってきた。

めちゃくちゃ効率が悪いように人からは見えるだろう。あまり反省もしないし、よく同じ過ちを繰り返す。

そんな自分でも、長く生きてくると経験値を積むのでそれなりに勘もよくなる。この頃では若い頃ほど大きな失敗はしない。それどころか、自分と似たタイプの若い人を見るとハラハラする(笑)

「ああ、もうちょっと落ち着いて……」と思う。そう思うということは、私は落ち着いてきたのか。年を重ねるとはすばらしいことだ。脳が覚醒したというよりも、ぼんやりしたまま老化しているんだろう。

心静かな時は、とても少ない人生だった。困難が多かったからではない。ただ、わさわさする慌ただしい自分をどうすることもできなかったのだ。これが自分だと思って諦めていた。

忘れ物や、ドジ、ケアレス・ミスは日常茶飯事。すぐにテンパるし、思いついたらじっとしていられない。あの、多動は「脳を覚醒させるため」だったとは……。つまり、私はすごく「ぼんやりした」人だったんだ。

この事実を知った時、妙にすとんと腑に落ちて、胸のつかえが取れた。「もう、ぼんやりしたままでいいや」と思った。ぼやーっと生きていけばいいじゃん、このままボケてもいいじゃん。

覚醒しようとして、あんなにジタバタしてきたんなら、もう努力せんでいい。ぼやっとしていなさい。許すよ。

目覚めとか、覚醒とか、そういうことに強い憧れを持っていたのも「ぼんやりした脳」だったからか。いつか、すかっと霧が晴れたような状態になると夢見ていたのかも。

普通の人はどれくらい「スカっ」と生きているんだろう。脳がクリアってどういうことなんだろう。わからない。人の脳にはなれない。多動な人間は一見すると頭が冴えているように見えがちなので、人は私を誤解している。

私はほんとうに、子どものころからぼんやりしている。ぼやっとしていて夢見がちだが集中力はある。妙な集中力を発揮して一発勝負で人生を乗り切って来た。だが、その集中力も年とともに落ちてきている。

ただもうがむしゃらに突っ走って、あっちこっちに頭をぶつけ、大人たちから苦言を呈され、足が地に着かない女と言われ、それでもジタバタしつつ、思慮のなさや落ち着きのなさに、我ながらうんざりしながら、生きてきた。

いまやっと、人生で一番静かな状態にいる。いいあんばいに老化し、経験を積んだこと、瞑想や太極拳を続けたこと、いろんな条件が重なって、人並みの静けさを取り戻しているのかもしれない。普通の人はもっと心静かなのかもなあ。

他人はともあれ、じぶんは、いま静かで心地よい。ああ、ようやくここまでたどり着いたという感じだ。人生経験を積んだので、ぼやっとしていてもなんとかなる。焦らなくていい。もはや集団行動も取る必要はなく、一人で好きなところに行けばいい。この脳でいい。目覚めなくていい。ぼんやりでいい。

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