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どこにも行かず、ここにいる。

新刊「逆さに吊るされた男」(河出書房新社)が発売になった。連載時から数えると6年間、抱えていたものをやっと下ろしたな、と思ったら、そうじゃなかった。なんだろう。別のものを背負った気がする。不思議だな。終わったと思った瞬間に始まってしまうことがある。人生っていつもそういうものかも。

この本は、地下鉄サリン事件実行犯で現在は確定死刑囚として東京拘置所に拘置されている男性との交流をもとに描いた作品だ。実際に起きた事件をベースにしているけれどフィクション、小説として書いた。小説としてしか書きようがなかった。オウム真理教事件はすでに多くのジャーナリストが取材に取材を重ねて、それでも謎ばかりという大事件。たとえ加害当事者の一人と交流をしても、その当事者ですら事件の全容を知らない。私が知りえたのは「テロリスト」「殺人マシン」として報道されていた男性の、まったく報道されてこなかったある一面。彼が日々どんな生活をし、なにを思って生きているか。拘置所という場所はどんな場所か、死刑囚という境遇がどんなものか。交流者として面会ができるゆえに、知り得たことをもとに小説を描いた。私は他人のことはわからない。わからないゆえに興味をもち、つながっていく。なのでこの小説も、他人のことを描いたのではなく、私が他人にどんな関心をもつか、という私小説だ。私小説は「私という人間」を通して人間を描くだけで。方法論の違いだけで、他の小説とかわらない。そして、私……のことだって、実は書いてみるまでさっぱりわからない、私という他人だと、実感する。それが面白くて、私小説をたくさん書いてしまうのだと思う。死刑囚と交流するという完全な「フィクション」を書く自信は私にはない。そういう想像力は、持っていないのだ……。体験のほうがいつも私の想像力を越えていて、現実が働きかけてくるから、書いてしまう。この小説もそうだった。

ノンフィクション作家と呼ばれる人たちを、私は心から尊敬する。事実だと断定するためにどれほどの取材と資料が必要か。膨大な情報から事実を探し出し、それを証明してみせることは実に困難だ。オウム真理教事件に関して、いまだ誰もそれをなしえていない。私もできない。ただ、この本はフィクションなので、この本の主人公である作家・羽鳥よう子は「私ならオウム真理教の真実にたどりつけるかも」という妄想を抱き、そこに挑んでいくうちに逆にオウム真理教に取り込まれていく。人がいかに他者のファンタジーに飲み込まれていくかについて、書いたと言ってもいいかもしれない。そういうことは誰にでも起こり得るし、この世界で起こることは無関係に思えることでも妙につながっていたりする。ただ、そこの意味を見いだそうとすると、逆に見失う。神秘はあやういものだ。神秘のない人生はつまらないが、神秘に魅せられると危険。そういうことを、常に危惧している私は神秘が好きなのだと思う。

この作品は15年に及ぶ地下鉄サリン事件実行犯の男性との交流の末に生まれ、執筆に4年かかった。さして大長編でもないのに4年もかかったのは、彼の供述や手紙が作品のソースになっており、彼がこの作品をどのように受け止めて納得してくれるか、そのための対話の時間が日梅雨だったからだ。

確定死刑囚との面会時間は長くて20分。その短い時間にまとまった話を聞くのは不可能。刑務官も隣で記録をとっている。緊張感のある面会室で、お互いが少し打ち解けた頃にはもう面会は終わりだ。かといって、手紙だけのやりとりではニュアンスがわからない。短い糸をつぎ足していくように対話を続けていた。

交流を始めた当初は本を書く予定はなかった。この事件は私が扱うにはテーマとして大き過ぎたし、被害者も関係者もたくさんいて、書くのが恐ろしいと思った。作品をどう読むかは個々の読者にゆだねられている。腹を立てる人がいるかもしれないことは想定できた。

書きたいと思うようになったきっかけは、2013年にオウム裁判を傍聴したことだろう。平田信氏の裁判を傍聴に行った時に初めて、交流している男性の肉声で、事件に関する長時間のまとまった証言を聞いた。裁判の傍聴というのは、一般人が事件関係者のことばを聴くほんとうに大事な機会なのだと実感した。その法廷で奇妙な出来事に遭遇した。いったい、なぜ、こんなことが起こるのか意味不明だった。それが……書きたいと思う、気持ちの発火点だったように思う。

いま、もう作品は世に出ているので私がすべきことはなにもなくなった。この執筆に要した年数は、私の作品の中で一番長い。でも、作品を書くというのはもしかしたらこういうことなのかもしれない。10年以上、抱えていていまだ書けないものがいくつかある。

それを自分は書くのだろうか? という問いに対するひとつの答えを得た気がする。それは時が来れば書くし、書くためには体力と時間が必要だということ。10年かかる仕事をするのに、どれくらいの時間が私の人生に残っているのか。さらに、書くというモチベーションを持ち続けることができるのか。自分がベストの状態で、その時が来たら全力で向きあえるのか?

そういうことを、あまり考えないで17年間、仕事をしてきたように思う。まだ若かったし、時間は無限にあると感じていたし、体力があった。

本が売れようと、売れまいと、自分のテーマと向きあうことを喜びとし、頑なにならず、世界をよく見て、なおかつ直感を信じ、時間を味方として執筆を続ける。そういう自分で在り続けるために何が必要なのか。睡眠と食事と、良い人間関係。それに尽きる。長いこと、自分が何を望み、どうありたいのかを意識せずに生きてきたが、執筆を通して発見したのは、世界ではなく自分自身の生き方だった。私は自分がどこかへ行ってなにかをせねばならないと思ってきたが、そうではなかった。

ここにいることが一番大切だ。どんな情況であれ状態が重要だ。それができていれば、物事は私の方に向かってやってくる。クリエイティブな状態とは、私が若い頃に考えていたよりも、ずっと受動的だ。そして、「ここにいこと」はとても難しい。多くの場合、自分の内面に意識を向けることを忘れているから。

外的な出来事の多くが、自身の内的世界の投影であることを、この執筆から学んだ。この本の執筆に協力してくれた男性「Yさん」も、同じように「ここにいること」に集中している人だったから、私たちの対話はいつも「相手がぶれている」ことで「じぶんのブレを確認する」ような、不思議な連鎖をしていった。お互いがお互いの姿を映す鏡になって無限にお互いを観ているような。この奇妙な関係を通して、たくさんの洞察と示唆を得た。時にじぶんの中に湧き上がるイメージの豊饒さに現実が凌駕されることがあっても、彼がいてくれたから戻って来れた。彼も同じだと思う。手紙を通して、面会を通して、これほど真摯に向きあう相手が他にいない。だから、私は彼がもし、いなくなったら、ほんとうに寂しいだろうと思う。あまり考えたくはない。……死刑に関してはまだ考えがうまく整理できていない。




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