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トルコ記念館に行ってきた

以前和歌山旅行をしたとき、本州最南端である潮岬の近くにあるトルコ記念館に行ってきた。

トルコ記念館

1890年9月16日にオスマン帝国の軍艦が歌山県東の海岸沿いで遭難し多数の犠牲者が出たエルトゥールル号遭難事件が起きた。大島村民が生存者たちの救護に努め、69名が救出され生還に成功した。
このときに新聞を通じて大きく伝えられ、当時のオスマン帝国の人々は遠い異国である日本と日本人に対して好意を抱いたとされる。

初代大統領、ムスタファ・ケマル・アタテュルク
生存者のうち、何人かが暗闇の中を灯台の明かりをたよりに断崖を這い登って灯台にたどりついた

トルコ航空機によるテヘラン邦人救出事件

イラン・イラク戦争中の1985年3月、イラクは、突然、「48時間後の3月19日午後8時以降、イラン上空の航空機は、民間機を含め、無差別に攻撃する」と宣言した。このとき、既にテヘランは住宅街を含め、イラクの空爆を受け
ている状況で、200名以上の日本人が取り残されていた。
これに際し、隣国トルコのオザル首相は、重要なパートナーであり自ら親友と呼ぶ森永堯氏に懇請されると即座に英断を下し、テヘランの日本人を救出するためにトルコ航空機の派遣を決定した[16]。このことは、エルトゥールル事件と結びつけられて、「トルコは海の恩を、空で返した」と言われることにもなった。

日土友好のきっかけとなった地、皆さんもぜひ訪れてみては

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