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昭和男と実家じまい1

この二年間弱で、母、父と立て続きに両親を亡くしました。
母が亡くなってからの、何もできない父「The 昭和の男」の対応。
その後の、父の突然の死。
何の前触れもなく、何がどこにあるのかも分からない状況からの実家じまい。正にその真っ最中です。

自分なりの心の整理をする為に書いた物で、乱文となりますが、お付き合いいただける方は、よろしくお願いします。

===(以下、まとめたものをいくつかに分けて投稿します)===

「こんな物、入れてたんだ……」
予想すらしなかった物を前に、思わず声がもれた。

目の前には、物々しくそびえ立つステンレスの引き出しの数々。
壁一面に広がる「引き出し」達は貸金庫だ。
私と夫は、ようやく見つけ出した貸金庫の鍵を手に、中央から中程にある貸金庫を引き出して、檻の様な柵を隔てた所に位置する事務室のスチール机に、カタンと置いた。

ここは、私の神戸の実家近くにある、地銀の貸金庫が収められている一室。
この1年9ヶ月で、母が亡くなり、そして母の一回忌を待たずに父が他界した。

私は夫と小学生の息子と一緒に、“実家じまい”をしていた。
そう、実家じまいで、ようやく探し出した鍵で、今、貸金庫を開けようとしている。
貸金庫を触るとステンレスの冷やっとした温度が手に伝わってくると同時に、ここまでやっときた、そういった感慨深い気持ちが込み上げてくる。
それもそのはずで、実家の両親が借りていたこの貸金庫を開けるために、多大な努力、いや、労力を要した。
見つからない貸金庫の鍵。
実家の山の様にある家財から、砂金を見つけ出す様にして貸金庫の鍵を探し出し、私たちの家から地銀に往復4時間をかけて幾多も足を運び、ようやく『貸金庫を開けられる』ところまできた。

何度探しても見つからない鍵に、心が折れて「鍵を紛失したことにして、貸金庫は開けられませんか?」と行員の女性に質問してみたこともある。
「その手続きもできますが、銀行の鍵とお客様の鍵があって開ける物ですので、鍵だけでなく鍵穴の方も全て取り替えるために、費用もかかります」
と申し訳なさそうに言い、加えて
「それに、貸金庫と銀行の口座解約はセットですので、貸金庫の解約ができなければ、口座解約ができず、お金を引き出すこともできません。まだ、お通帳の方も見つかっていらっしゃらないんですよね。」
と更に申し訳なさそうに言われのは、つい先週のことである。

そんなやりとりを経て、やっと鍵を見つけて開ける貸金庫。
ドキドキしながら貸金庫を開ける。
実は、実家の何処を探しても、父の複数の銀行通帳とカードが見つからず、あの用心深い父のことだから、貸金庫にそれらを入れているのではないかと言う結論に至った。
実家は一度泥棒にも入られたことがあり、安全面からその可能性が高いと踏んだ。
ガタガタッと古びたステンレス音を鳴らしながら、引き出しを開ける。
直ぐに目に入ったのは、実家の売買契約書だった。
この売買契約書は、相続税を計算する際に必要だと言われていたうちの一つで、実家を探しても見つからず、こちらも貸金庫に入れているだろと思っていた。
一つは見つけられたという、ほっとした気持ちになった。
しかし、探していた銀行通帳とカードは入っていなかった。
ここにもなかったかと落胆した時、ふとその下に一枚の紙が目に留まった。
何だろうと手に取ると、それは思いもかけない物だった。

そして、冒頭の呟きに戻る。
「こんな物、入れてたんだ……」と。

◉嫌な予感と、父からの着信、突然の別れ

小学校に通う息子の制服のワイシャツにアイロンを掛けていた時、ふと嫌な予感に見舞われた。
週末にバタバタと家事を片付けていた為に、その日は一度もスマホを見ていなかった。
気になってスマホを手に取る。
そこには、父の着信が数えきれないぐらい並んでいる。
それも最初の着信は早朝だった。
一体、何があったんだろう。
胸が締め付けられる様な不安が押し寄せ、父の携帯と実家の電話に何度も電話をするが、つながらない。
何十回とかけただろうか、ようやく父が電話に出る。
「お父さん、どうしたの?」
ただならぬ雰囲気が、電話越しからでも分かった。
「病院に行っていて、今、やっと家に戻ってきた。財布も携帯も持たずに救急車で出たから。
母さん、もうダメだから。母さんは、死んだから。後の葬式のこととか、俺は分からんからお前達に任せる。母さんは、○○病院にいるから。俺は、もう出ないといけないから、じゃあ、切るな」
「え、ちょっと待って……」
言い終わらない内に、電話が切れた。
お父さんは、何と言っていた?
『母さんは、死んだから』と言っていなかっただろうか。
急な言葉の羅列で、頭の中がフリーズしていた。
「お母さん、どうしたの?」
心配そうに9歳になる息子が声を掛けてくる。
その後から「何かあったの?」と癒し系の夫が心配そうにこちらを見て、たずねてくる。
二人の声に、私はただ
「何だか、お父さんが、お母さんが死んだって、言ってて……」
それを聞いて、夫が「もう一度、電話を掛けなおしたら」と言う声を、私はどこか遠くに聞いていた。
電話・・・電話・・・、そうだ、電話だ。
一体何があったのか、お母さんに何があったのか、それを確かめないと。
震える様にスマホを手にして、父に電話をする。
だが、携帯にかけても、家にかけても、コール音が鳴り響くばかり。
多分、父は家を既に出ていて、電話に出ないのだろう。
父の携帯は、いつもかける専用で、着信があっても出ないのが常だ。
状況が分からないまま、私は焦った。
そんな中、ふと、父は弟にも電話をしたのではないかと思い立つ。
弟のスマホに電話をすると、案の定、父から電話があったことが分かった。
「なんだか分からんけど、お母さんがしんどそうだから、救急車に電話してくれと、連絡があった」
弟も困った様な口ぶりだ。
「え?それで、どうしたの?」
「俺から救急車に電話しても、母さんの様子が分からなくて的確に連絡できないし、父さんに救急車に連絡するように言った。それから連絡がないから……」
もしかして、父が早朝に電話をしてきたのは、私に救急車に連絡をして欲しかったからじゃないだろうか。
確信めいた答えが頭の中に浮かんだ。私はなぜ、父の電話に気付かなかったのだろう。
「お父さんが、お母さんが○○病院にいるって聞いたけど、何か知ってる?」
弟からは、知らないとの答えが返ってきて、やっぱり、何も分からない状況に変はわりない。
「私から病院に電話して、状況を確かめるから」
私は、急いで病院の電話番号を調べ連絡を取り、驚愕の事実を知ることになる。
母は既に昏睡状態で、集中治療室に運ばれていた。


◉残ったのは、The昭和の男

母は2021年11月30日、73歳で亡くなった。
集中治療室に入ってから、2日も経たずにあっという間に去っていった。
コロナ禍の最中、母の手をとって見舞うことすら叶わず、母の混沌としている様子をタブレット越しに見て、「お母さん、お母さん」と声をかけることしか出来なかった。
母の声すら、最後に聞くことは叶わなかった。

つい亡くなる数日前まで、テニスをしていた母。
朗らかで、いつも笑っていて、何でも前向きで、料理が上手で、私が理想とする母だった。
この母がいてくれたから、その存在だけで、私は安心して生活が出来ていた。
何かあったら相談に乗ってくれ、一番に心配してくれる存在。
それが、いきなり目の前から母が居なくなるなんて、想像すらしていなかった私。
何だか現実味を帯びない状況で、母の葬式を私は率先して進めなければならなかった。
だって、残されたのは、母が居なければ何も出来ないThe昭和の男、私の父である。
もうこの際、「昭和男」と略してしまうが、ここで言う昭和男とは、かっこいいとか、俺についてこいみたいな意味じゃない。
仕事に没頭し、家のことは妻任せで、自分のことは何一つ出来ない男の事を意味している。
母の通夜と葬式ですら、喪服の中に着る白いワイシャツを見つけられず、私は父のワイシャツを買いに走り回った。
葬儀で必要な移動ですら、父は自分でどうしようもなく、この葬儀の間、いとこが車を出してくれた。私もペーパードライバーで、車を既に乗っていなかった私にはとてもありがたく、心遣いに感謝した。
この葬儀で、父は何一つ自分で決めて動くことが出来なかった。

多くの人が母の通夜と葬儀に訪れてくれた。
ただ、私はその対応と通夜と葬儀にバタバタして、本当にバタバタして、そしていつの間にか母はお骨になっていた。
私の母の葬式なのに、私は裏方をしていて母を送り出した気がしなかった。
昨今、大きな葬儀ではなく、身近な家族だけで送り出す家族葬が流行るのも分かる気がする……そんなことを、ぼーっと考えている自分がいた。
母が亡くなっても、家事も仕事も育児も待ったをかけられない。
悲しくて胸が締め付けられて、なんとも釈然としない感情が渦巻いている。
泣き叫ぶことができれば、もっとスッキリするのだろうか。
でも、目の前には昭和男の暮らしを何とかしなければならない、現実があった。

家事も自分のことさえも、何も出来ない父。
銀行からお金の引き出しすらしたことのない父。
家の管理から、日々の生活まで母に頼りっきりだった父。
The 昭和の男。と名付けたのは、流石のネーミングだと思ってしまうぐらい、自分のことが出来ない。
そんな父が、母の居なくなった家に一人で住めるのか。不安しかなかった。

◉実家を、家探し

母の葬儀を終えてから、父が数日間食べられるように、作り置きの料理をいくつか持参して実家に行った。
とにかく、何とかしないと、目の前の父は何も出来ない。
先ずは、父の生活費を確保するために、お金を銀行から引き出した方がいいと考えた。
そう、この父は前述の通り、自分でお金を引き出したことがないので、その方法を伝授せねばならない。
「お父さん、銀行の通帳とカードはどこにあるの?」
「知らん」
その一言に、大きな、大きな問題が待ち構えていた。
父は、自分の書斎と下着の場所以外、家の中のものがどこにあるか、全く把握できていなかった。
その中には、銀行の通帳とカードも含まれていた。
母の葬儀は急なこともあり、葬儀関連の費用は弟と私達で立て替えていた為、その時には銀行のことはあまり気にしていなかった。
その為、この時、銀行通帳とカードをめぐって2度も家探しする事態になるとは、想像すらしていなかった。


母はあまり、物を処分する人ではなかった。
というか、時代がそうさせていたのかもしれないと、今なら分かる。
団塊の世代はものを所有することが一つのステイタスであったけど、その裏ではものがあまりなかった経験から、手にしたものは捨てずにいつか役立つ時がくる日のために取っておく、そんな感覚が常だったのだろう。
その為、結婚してからの数十年の書類はそのまま、物もそのまま、服は山の様にあり、至る所に荷物が溢れていて、でもゴチャゴチャ感が嫌いな母は、あらゆる棚や引き出しに物を詰め込んでいた。
だから、パッと見だと、とても家が片付いている様に見える。ある意味すごいテクニックだと感心してしまう。
私は、生活基盤のキッチン、ダイニング、主寝室に通帳とカードはあると、目星をつけた。
見た目は整えられていたが、そこらにあるタンスや引き出しには、やはりありとあらゆるも物が入っている

さあ、お目当ての銀行通帳。
先ずは1階のダイニングとリビングに取りかかった。
「ここか!」と探しても見つからず、2階の主寝室へと場所を移した。
主寝室の押し入れを開けると、ここにも山ほどの母の服と、カバンと、物たちが目に入った。
押し入れの下段に衣装ケースがあり、そこを開けると服の下に通帳が入っていた。
あった!と思ったのも束の間、出てくるのは何年か分もの記帳済の通帳の束ばかり。
過去の通帳じゃなくて、今の通帳はどこ!?
そう心の中で叫んで、舌打ちをしながら、
“こんなに探して見つけられないって、泥棒の防犯対策バッチリね”
と漫才のように自分で言って、ツッコミを入れていた。
チラッと見ると、父は家探ししている私と夫と息子(孫)の側で、見学だけしている。
そんな時、主寝室の押し入れの上段に、目がとまった。
押入れの棚の上に数多くのカバン達が並んでいる。
それは全て母のカバン達。
もしかして……
カバンを一つ一つあけて、中を確かめていく。
これもダメ、何も入っていない。
これは?
う〜〜ん、テイッシュとハンカチだけか。
そして、あるA4サイズぐらいのセリーヌのセカンドバッグを手にとる。
その中に、何と、通帳とカードが入っていた。
やった!!!やっと見つけた。
この子達を見つけるのに、所用した時間は4時間。
これで、父の日々の生活費が引き出せる、そう安堵した瞬間、ちょっと嫌な予感がした。
「お父さん、銀行の認証番号、知ってる?」
「知らん」
そう、残された昭和男は、何も知らなかった。
認証番号を知らないのであれば、銀行からお金を引き出すのに銀行印が要る。
「銀行印はどこか、知ってる?」
「知らんなぁ……」
帰ってきたのは、この答え。
そして、私達の家探しは延々と続くことになる。

つづき> 昭和男と実家じまい2


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