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言いくるめてやりたさを押し殺し、穏便に事を収めるふりして全力で逃げるが勝ち

ちょっと見ないうちにこちらのnoteの仕様が変わっていてストレスを感じながら少しずつ書き溜めていました。(おかげさまで今はだいぶ慣れました)ネット環境に身を置いていると使いやすかったのに何故変えてしまったのかと思うことが多々あるのですが、あちら側からすればより良いものをということなのでしょう。いつもお世話になっております。

そもそも私は環境の変化がとても苦手で、以前はその体質でちょっとお薬を処方されていたこともあるくらい…というとすごーーく大げさにとらえられて病気なのかと騒がれても困るのですが、なんかおかしい…程度から対処致しますことから、こうして今元気に暮らしているのでございます。

なんかおかしいというサインって、生活の至る所にあって、例えば植物を育てていてもあるのです。植物のなんかおかしいの原因がわからないから対処できずダメにしてしまったり、もちろんギリギリ間に合って救えたりもありますが、注目したいのは、やはりこの直感のようななんかおかしいサインがよく当たっているということなのです。

そしてこのなんかおかしいサインは良くも悪くも人間関係にもありまして、まず良いのか悪いのかすら初めはわかりません。そもそも悪いと思えば距離をおくのでしょうが、それがわからないから結局深みにはまることになって、気が付いた時にはとんでもないことになっている…もあるのです。もちろん中には生涯の友になり得ることもあるのでしょうが、どちらにしても人間関係の渦に巻き込まれていくのには変わりありません。

人間関係なんていうものは、関わる人が増えればその分複雑で難解になるわけで、たとえ漠然としたなんかおかしいサインが見えていても、良いのか悪いのかそれがどう転がるかなんてどうせわからないのです。それならばどなたでも誠実に受け入れていこうというのが私の基本の考えではあります。

でもどうしても苦手な人というか関わってはダメな人というのがいらしてて、それは「ちょっと苦手」とは比べものにならないほど突出しているということ。こういう方から受けるなんかおかしいサインというものは、突っ込みどころが満載なので言いくるめてやりたさを押し殺し、穏便に事を納めるふりして全力で逃げるが勝ちなのです。

そう言えばTwitterで少しお伝えしましたが、見ず知らずの男の人から「〇すぞ」と言われたお話。

何故このようなことになったのかと考えるのですが、私は背を向けて夕飯に使う生ハムを選んでいただけで、こちらからは絡もうにも絡めない立ち位置でした。でもその人の態度を考察すると私が睨んでいたとか、馬鹿していたとかでないとつじつまが合わないので、その人からは「私の存在そのものが悪口を垂れ流していると錯覚していた」としか言いようがないのです。

また、ぶつかってきた時に私が振り返ってその人を見たのは、されたことの結果であるわけで、これについても何故か立腹し怒鳴ってらしたので、被害者意識も甚だしいということでございます。

SNSでもたまに被害者意識満々で絡んでくる方がいるのですが、私のせいばかりにしてないで、まずご自身の言動に目を向けますと色々解決するかと思うのですが、いかがお過ごしでしょうか。

前置きが随分長くなってしまいましたが、要するに私は元気でやっていて、お仕事も楽しく、人間関係も良好で、大切なお友達もでき、身近な人は夢を叶え、もう世の中に全くと言っていいほど不満がありません。でも何かしら問題意識を持ったほうが良いのであれば、マスクをしなくてもよい世の中というか、マスクをするかしないかでわぁわぁしない日本になってほしいなと思います。あ、でもお仕事中のマスクはこのまま継続を希望します。

そんなわけで、今年もあと1か月となりました。この1年も色々ありましたけれども、私を信じて受け入れてくださった方々には本当に何とお礼を申し上げてよいかわからないくらい感謝しております。そしてSNSという世界で私の思想に巻き込まれつつ、見守ってくださっている方々にもお礼申し上げるとともに、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

それでは寒い日が続きますがご自愛くださいませ。最後までお読みいただきありがとうございました。

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