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喪失体験のある全ての人へ:舞台 『ラビット・ホール』観劇のーと

藤田俊太郎さん演出、宮澤エマさん初主演の舞台『ラビット・ホール』をPARCO劇場で観劇しました。

ここではあくまで個人的に思ったことを主観的に書いていきます。
個人的な観劇の記憶頼りなので、台詞等は一言一句合っているわけではありません。あしからず。(むしろ正しいものがわかったら教えてください)


悲しみ方に正解なんてない。だって、ひとつの喪失に対して家族でさえこんなにも悲しみ方が違うのだから。

喪失による悲しみを持つ、全ての人に観てほしい作品です。

あらすじ

物語の舞台は現代のニューヨーク郊外のとある家。登場人物は5人のみ。

8ヶ月前に4歳のひとり息子ダニーを交通事故で亡くした夫婦、ベッカ(宮澤エマ)とハウイー(成河)。ベッカの母ナット(シルビア・グラブ)と妹のイジー(土井ケイト)。そして事故の加害者となった高校生のジェイソン(阿部顕嵐・山崎光 Wキャスト)。

ダニーのことを思い出さないようにして悲しみを乗り越えようとするベッカと、少しでもダニーの存在を感じていたいと願うハウイー。夫婦の溝は少しずつ大きくなり、2人はすれ違っていきます。

さらに、ちょっと無神経な母ナットとちょっとやんちゃな妹イジーの言動にベッカは苛立ちを隠せません。

そんなある日、事故の加害者である高校生のジェイソンから手紙が届きます。手紙と共に同封されていた小説を読んだベッカの心には、ほんの少し変化の兆しが見えてきてーー

カンパニー総出でリアルを追求した翻訳

冒頭のベッカとイジーの会話の時点で、まるでどこかの家庭のリアルを覗き見しているような、あまりに自然体な芝居と言葉に意表を突かれました。

実はこの作品、翻訳にものすごい力が入っています。演出家や翻訳家だけでなく、そこにキャストも加わってディスカッションを重ねながら日本語の台本を作り上げていったそうです。

偶然にもキャスト5名によるアフタートークに参加できたので、稽古場での創作過程をじっくり聴くことができました。(宮澤さんがテンポよくトークを回し、ディープな話を引き出していて流石でした!)

宮澤エマさん、土井ケイトさん、シルビア・グラブさんという3名の女性キャストは、現代のリアルなアメリカ英語をよく理解していらっしゃいます。そんな彼女たちの実体験を元にした意見を取り入れ、他のキャスト陣もGoogle翻訳を片手にアイディアを出し、とにかくみんなでディスカッションをしながら時間をかけて翻訳台本を練り直しされたそうです。確かその期間は、稽古が始まって10日間程。

みなさまのお話を聞く限り、このカンパニーは非常に刺激的で健全で稀有な創作現場だったということが伝わってきました。そのようにして作られた台本だからこそ、現代日本に生きる私たちにも非常に耳馴染みがある言葉になっていったのだと思います。

いい意味でお芝居っぽさがない会話劇なので、普段お芝居を観ない方にもおすすめです。

「消えない。でも、変わってく」

ベッカとナットの2人が、子ども部屋の整理をするシーン。

ふとした瞬間、ベッカが「これ(息子を失った悲しみ)は消えるの?」と母ナットに問いかけます。それに対し、同じく自身も息子(ベッカの兄でもある)を10年程前に亡くした経験があるナットは「消えない。でも、変わってく」と静かに答えます。”悲しみの重さのようなもの”が変わっていくと言うのです。

これに関連して思い出したことがありました。

私自身、8年前に喪失体験があります。
その事実を受け入れることもできなかった頃、ある人に言われました。

「その気持ちはなくならない。あなたが生きている間、ずっと持ち続けるものなんだよ」

当時の私はそれを聞いて、こんなに悲しみに暮れている人間にどうしてそんなひどいことを言うんだろうと思いました。

確かに今でも悲しみそのものは消えていません。ただ、ナットの台詞にもあったように、その重さやあり方は時間と共に確実に変化していることを実感しています。

同じシーンでナットが言う「ポケットにレンガが入っているような」という表現もしっくりきました。きっとこの戯曲の作者は喪失体験があるか、もしくは実体験を聞いてよく理解された上で書いたのだろうなと思います。

喪失の悲しみは消えないけれど、そのあり方は人それぞれゆるやかに変化していく。だから無理して手放す必要もないし、焦る必要もない。自分のペースで、自分のやり方で受け入れていけばいい。
この作品は、そんな風に語りかけてくれたように感じました。

時間経過で悲しみのあり方が変化してきたからこそ、今なら8年前の言葉を素直に受け入れられる気がするんです。

『フルハウス』を彷彿とさせる笑い

しんみりした感じになっちゃっていたら大変申し訳ないのですが、この作品には笑いもあります。物語の根底に悲しみが漂っているのは間違いありませんが、ほんのり毒気のある笑いがスパイスとして点在しているんです。

家族間だからこそ包み隠さず厳しい言い方になっちゃうことってありますよね。特に、土井ケイトさん演じるイジーのいい意味で空気を読まない物言いには、何度もクスッとさせられました。

この笑いのニュアンスに不思議と懐かしさを覚えたのですが、結果として私が辿り着いたのは『フルハウス』でした。1990年〜2000年頃、NHKで夕方に放送されていたアメリカのシチュエーションコメディドラマです。小学生の頃によく観ていたので、自然と懐かしさを感じたのかもしれません。

同じように感じた方もいるでしょうか?

そして改めて、翻訳劇で笑いの要素をここまで引き出すことができたのは、前述の通り台本作成に注力したことが大きな要素としてあるのだろうなと思います。

おわりに

演劇という生の体験だからこそ響く言葉が、あると思います。

普段だったらスルーしてしまったり気にも留めなかったりする言葉が、目の前の舞台上で役者が発するからこそ響くんです。演劇を通して個人的な気付きを得ることって、私はよくありますし、そこに救われることも少なくないです。だから飽きもせず劇場に通い続けているのかもしれません。

東京公演はPARCO劇場にて2023年4月25日(火)まで。その後は秋田、福岡、大阪でも上演が予定されています。詳細は公式サイトをご確認ください。
公演日によっては残席まだあるそうですので、この機会にぜひ。

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