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JK、 陽性になる [搬送編]


午後1時、あるSkype電話がかかってきました。母からの連絡でした。実は母も同じぐらいにコロナに発症していたのですが、軽症でした。母からは、「近くにある療養所は明日からしか空いていないから、中等症なら体調が東京に来るのが良いかも。」ということを言われました。

私は、息切れもあり、途切れ途切れで話を聞いていましたが、体力がもつのであれば、民間の救急車を利用して、東京に行くということが決まりました。

母:「3時間ぐらいの車旅になるけど、本当に大丈夫?」

私:「わからない、どちらでもよい」

と私は、なんて言うんでしょう、独りよがりな答えを出しました。そして、母は、「じゃあ、救急車来るからね。」と言い、民間の救急車を呼びました。

 それから、ルームメイトや看護師たちに頼んで、ちょっとした衣服やスマホ、財布やカードなどを持ってきてもらいました。しかし、彼らに持ってきてもらった覚えもなく、ビニール袋にそれらが入れられていることしか頭にありませんでした。またもや、自分は病原体として扱われるのだと思ってしまい、精神的には少し心が痛かったです。しかし、ルームメイトには感謝しかありません…いきなり、ルームメイトが陽性になったって伝えられたら、困惑と不安しかないと思います。ルームメイトは、濃厚接触者で、隔離もありましたが、陰性でした。そこら辺は、疑問だらけ…濃厚接触者の3人は、中華料理を真ん中に置いて、シェアしていたのにも関わらず、陰性でした。何が起きたのか分かりませんが、(彼らには、隔離をしてもらわないといけなかったので本当に申し訳ない気持ちでした。)不幸中の幸いと言っても良いのでしょうか。

20分ほど寝た(やっと、寝れた)後、大量の汗が出て、気分が悪くなりました。体が、発汗して体温を下げようとしたのでしょう。体温を測ると、37.5度に下がっていました。しかし、気分が悪くて、薬を飲もうとしても、吐き気がして、飲むのに時間がかかってしまいました。

そして、午後4時、民間の救急車が来ました。ピーポーピーポーと救急車のサイレンの音が鳴るのかと思っていましたが、普通の白いバンが保健室の前に来ました。しかし、バンと言っても、コロナ患者用の乗り物なので、運転してくださった方は看護師の方で、フェースシールドに、防護服を身につけていました。救急車に乗ってからも、「話してはいけません。」と言われ、「この看護師の方は、かなり辛辣だな。」と頭の底で思い、私は、「そんなに病原体扱いをされるのか…」とコロナにかかったという事実を痛感しました。そう痛感していた私でしたが、体調がかなり悪く、吐き気と頭痛とめまいに襲われていて、救急車で搬送された時がコロナで一番辛かったことでした。

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息を吸うだけで、吐き気がする

搬送中、一番辛かったのは、吐き気でした。息を吸おうとするだけで、吐きそうになってしまいました…吐き気は、新型コロナウイルスの症状には含まれていず、乗り物酔いなのかなとは思っていましたが、辛くて、「車を止めてください。」と言いそうになりました。無謀運転かな?と感じてしまうぐらい、辛かったです。私はオミクロンにかかっていたので、中等症の症状の一つとして、息切れがありました。「息切れだから息を吸わないと」と分かってはいたのですが、息を吸おうとすると、吐き気に襲われるのが何度も続いたので、息を吐くことを意識していました…

まともに座席に座れない

まともに座席に座れない…?民間救急車の座席に座るのが苦痛で、一番納得のいく、座席の位置を探していたのですが、シートを下げることも出来ず、微妙な座り方をしていました。車のヘッドレスが、私の頭の位置になかったのか、それとも、ただ単にコロナの体調不良が理由だったのかはわかりませんが、目の前が灰色の煙のようなもので隠れてしまい、視界がチカチカし、まともに見えなかったので、そもそも座席に座っていたのかも覚えていませんが。

午後6時ぐらいだったので、夕日も今なら、綺麗だと思えるはずなのですが、夕日なんて正直どうでもよくて、視界が一言で、「異様」でしたので、コロナになって、夕日も綺麗だと思えなくなって、コロナという存在に、ほくそ笑まれたような気がしました。

それから、午後7時、早く着くことを渇望し、地獄のような体験を乗り越えたのです。

着いてから、ダッシュで、家に着きました。家に着いた瞬間、私はほっとしたのか、足が抜けたかのように、床にバサッと倒れてしまったのです。


JK、 陽性になる [自宅療養編]に続



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