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コロナ禍で改めて分かるコンテクストの大切さ

コロナの渦中で改めて、其の情報のコンテクストを知ることの大切さを実感することが増えてきた。
なぜ、その意思決定に至ったのか、報道の切り抜きによって届けられたものの背景には何があるのか。


3月25日にインドがロックダウンを決めて久しい。日本では暴行する現地の、警察官やスクワットさせるさせる姿ばかりが報道されていたが、これはほんの一部での話だろう。

確かに厳格なロックダウンへの姿勢はあったかもしれないが、14億人もの人口を抱えるインドが封鎖を短期間で実現できたことは、功を奏した結果と言える。

but the strict lockdown imposed since March 25th has slowed the spread of the virus markedly. Without it, some half a million Indians would now have the disease, reckons Jayaprakash Muliyil, an epidemiologist. By mid-June, he surmises, covid-19 could have killed 2.5m people, about as many as would normally die from all causes over the period.
India’s lockdown has brought unexpected benefits 

エコノミスト誌によれば、厳格なロックダウンがなければ約50万人のインド人がこの病気にかかっていただろうと疫学者のJayaprakash Muliyil氏は語り、6月中旬までには、250万人の人々を死亡させただろうと推測している。

疫学でウィルスの感染力の表現する指数として、R0(基本再生産数)という言葉が用いられる。これは、感染者1人が何人に二次感染させるかという意味。コロナウィルスに関しては、R=2.4と想定されているので、1人感染したら2人に二次感染し、あと1人がするかどうか分からないという程度の強さ。※新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020 年4月 22 日)では、R=2.5と想定されている。

少なくとも、この感染力でインドほどの接触機会の多い国で蔓延したら、どのようになるのかは想像が容易い。
そういったコンテクストが少し分かると、インド政府の対応が過剰なものとも思わなくなる。

ところでコンテクストとは何かと改めて考えてみると、それはただ文脈とか背景という訳に収まらず、哲学者のウィトゲンシュタインの言葉を借りれば「言語ゲーム」の性質を持つと思う。

それはコミュニケーションの成立経験に伴う、語の理解を指す。当然、あるコミュニティには特有の言語ゲームが成立しているので、自分の言語ゲームにあてはめて考えれば歪なものとなる。

理解できないものがあるとしたら、その振る舞いが位置付けられた言語ゲーム全体が見えてないことに原因があるのかもしれない。
この場合、大切なことはまず全容を理解しようという取り組みにある。それは、前述した背景よりも、もっとマクロ的な立ち位置にある、根本的な枠組みやルールといったものの共有があるかどうかを疑う姿勢にあると思う。背景の推察はその疑義から始まるのではないか。



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