独りで頑張るアラサー女子に『新約ディアロンリーガール』を贈りたい

こんにちは。週に3回の飲酒でどうにか正気を保っているアラサー女子です。

みなさんは加藤ミリヤ氏の『新約ディアロンリーガール feat.ECD』という楽曲をご存知でしょうか。
私は仕事や私生活で何もかも上手くいかない時、この曲を聴いて勇気をもらいます。

迷えるアラサー女子全てに聞いてもらいたく、今日はどんな曲かを私目線でざっくり解説したいと思います。

新約ディアロンリーガール feat.ECDとは


『新約ディアロンリーガール feat.ECD』は2017年に発表された加藤ミリヤさんの楽曲です。
ちなみに、加藤ミリヤさんはこの作品を出す12年前に『ディア・ロンリーガール』という楽曲を発表しています。『新約ディアロンリーガール feat.ECD』は『ディア・ロンリーガール』をサンプリングし、歌詞や曲の作りも前作の続編のような作りです。

曲名の通り、ECDさんというヒップホップライターが客演として参加しています。しかし、ECDさんは食道がんを患っており、闘病しながらのレコーディングだったようです。作品発表後、1ヶ月後に逝去されたためご本人の遺作とも言われています。

簡単に言うと「大人の女性が独りで強く生きる」歌


私の主観で語れば『新約ディアロンリーガール feat.ECD』は一人の女性が大人として、独りで強く生きていく様子を描いた曲だと感じます。旧作『ディア・ロンリーガール』 と対比すると、より「ヤンチャだったハタチ前後から、落ち着き始めたアラサー世代への成長」と「独りで歩むこと」を意識させられることも特徴です。

なぜアラサー女子に聞いてほしい曲なのか


なぜこの曲を全アラサーに聞いてほしいかというと、アラサーの心境の変化を見事に表した曲だと感じるからです。

幼かったハタチ前後を振り返られるようになっている


『「うるさい、うるさい、うるさい、バカみたい」』
『「いつかわかる  世の中甘くない」』

『新約ディアロンリーガール feat.ECD』(以下、新約とする)は、ハタチ前後の自分と現在を比較した表現がふんだんに織り込まれています。

最近では18歳にもなれば成人という扱いになり選挙に参加できるようになりました。さらにハタチになれば、お酒やタバコが許されいよいよ行動での制限は1つもなくなります。

ただ、ハタチになったからと言ってすぐにオトナになれると言えるでしょうか。
今だからこそわかりますが「オトナになる」のニュアンスっていろいろありますよね。

中学生の頃、好きな歌手が30歳になった時にブログで「30歳になって、ようやく大人になる準備ができた」
この発言を読んだ時、私は正直意味がわかりませんでした。

「ハタチは大人なんじゃないの?」

私自身がハタチになって以降、社会的にはオトナの扱いを受けるようになりましたが、精神の成熟度で言ったらまだまだでした。当たり前ですよね。
せいぜい、高校生に毛が生えたレベル。
初めてのバイトの面接には履歴書を持ち込まず怒られましたし、なにかトラブルを起こせば自分の過ちを人のせいにして気持ちを保ったりしていました。

今考えればアホだし子どもだなーと思いますが、当時は必死でした。ついさっきまでは子どもで守られていた存在が、社会に放り込まれて揉まれていく。浮き彫りになった自分の粗が、社会という波打ち際で削られてて大人の基本形になります。
もちろん人としてこれからも学ぶことはありますが、20代を経て社会で生きる準備が整ったアラサーは多いのではないでしょうか。

『幸福への道  迷える子羊  甘くない人生』

迷って迷って、厳しい社会を生きてる自分たちにエールを送りたくなります。

大人の強がりが表現されている



『あの子は今幸せかな 孤独愛せるようになれたかな』

社会で生きる準備が整ったアラサーは、世の中ではあらかたのことを上手に振る舞えるようになります。

ただ、次に訪れるのは孤独との戦いです。

20代後半にもなると、なかなか実家に帰れなかったり、周りの友達が結婚して会いにくくなったり、生活上の変化が出てくる人が多いのではないでしょうか。
逆に、結婚して子どもに恵まれても「夫が私をわかってくれない」「困った時に頼れる場所がない」など、状況によりさまざまな問題が生じます。

マツコ・デラックスさんは「人は結婚してもしなくても、一生孤独」とおっしゃっています。

生きていれば、結婚してもしなくても孤独なのは変わりない。ただ、孤独は悲観することでもない。自分だけじゃない。みーんな孤独なのだから、独りである自分たちを存分に可愛がってあげればいい。独りだけど、独りじゃないんです。

ミリヤさんは曲の入りと最後に『寂しいんじゃないよ』『泣いてるんじゃないよ』と繰り返し歌います。人は大丈夫じゃないときほど大丈夫と言ってしまう生き物ですが、ミリヤさんは最後に『風がまぶしいだけ』と、立ち向かってるからつらいんだというメッセージを残しています。言ってみたいですね、風がまぶしいだけだよ!と。

人生の先輩からのメッセージが込められている


ここで言う人生の先輩とは、親世代ほど離れた人物のことを言います。
前述した通り、客演のヒップホップライターECDさんは楽曲発売後ほどなくして病気でお亡くなりになりました。

1960年生まれ。57歳という若さでこの世を去っています。
加藤ミリヤさんは本作発表当時、30歳くらいです。
二人には、父と娘とも言えるような年齢差があります。

いよいよ曲の締めに入るというところで、ECDさんが見てきた時代を振り返りつつ、時を経て感じていることを歌っています。

『今日もセンター毎晩ナンパ待ち』
『ロクなヤツいないのにこんな街』
『繰り返される同じ過ち』

若者の集う街を何十年も見てきて、感じたことなのでしょう。

そして最後のサビへ『20年経っても変わりゃしねぇ!!』と繋ぎます。

アラサーだけじゃないと思うのですが、親世代から言われればもうしょうがない、そうなんだみたいなことってありませんか。
私の母親は常々、新興宗教にはハマるなと言います。
そのたび、ハマるわけないだろ、わかったからもう言わなくていいわと思います。
親世代の話って、なんだか説教くさくて「あなたの時代とは違う!」となかなか素直に聞けないものです。

ただ、親がなんで子どもに世の中の常を教えるかと言うと、全て自分が経験してきたことであり、世の中はそうすぐには変わらないからです。
母親の友達は昔、かの凶悪事件を起こしたグループに一瞬入りかけたそうです。(怖くてすぐ抜けたそうです)その後に起こった悲しい事件の流れなど、世の中を肌で感じた世代です。
私が遠くに行く時、母はしきりに新興宗教の危険性を語りましたが、わかったわかったと聞き流しました。ただ、私はその時代の空気感を知りませんから、それに対しては何も反論できません。そして、大人になるにつれ、親が口酸っぱく唱えていた説教の意味がわかってきます。
世代は違えど、世の中というか人の常って基本的に変わりませんよね。宗教は人を狂わす、お金の切れ目は縁の切れ目など、よく言われるけど経験しないとなんとなく、腑に落ちないものです。
経験してようやく大人になり、下の世代に受け継がないといけない。部下や子どもができ始めるアラサーは、口うるさい親たちの気持ちが少しずつ、わかってくる年頃だと思います。

話は戻りますが、ミリヤさんが歌詞の中で訴えている孤独や野望を、ECDさんは大人として悟りで一蹴しているようにも見えます。
ただ悟るだけはなく、世の中のずっと変わらない、しょうもなくやるせない部分に対して『そろそろくだせお前らがジャッジ』『わかってんだろ早く立ち上がれ』と、自分の頭で考えて行動することを促してくれています。

大人になるということは、弱さと強さを共存すること


大人になる=独りで頑張れることとは限りません。みんな独りだから、手を借りたっていい。手を借りられる側も、頼られて嬉しいものです。

失敗しても、死ななければそれでいいと思います。
むしろその失敗が誰かのためになることもあります。

アラサーは、精神的な意味で大人と子どもの狭間です。第三次成長期とも言えるかもしれません。
弱さを受け入れ強くなること過程を、新約ディアロンリーガール feat.ECDがアラサーのお守りになってくれます。絶対、大丈夫。

(新生活のための新幹線の中、たまたま流れてきたこちらの曲が涙腺を崩壊してきて、感じたことを慌ててnoteにしたためました。文章や構成が変なところ、わかりにくいところがあるかもしれません。なにとぞ、ご容赦ください。)

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