2023年3月18日 キネカ大森 しゃべれ場「かがみの孤城」メモ(登壇者:原恵一監督、新垣プロデューサー)

2023年3月18日 キネカ大森 しゃべれ場「かがみの孤城」原恵一監督&新垣プロデューサーさんによるトークの内容を、手書きしたメモから起こしました。
聞き間違いやニュアンス違いなど多々あるかと思いますが、何卒ご容赦下さい。

~しゃべれ場とは~
キネカ大森さんで不定期に開催されるトークイベント付き上映。
『映画鑑賞後に、ゲストとお客様が一緒になって自由におしゃべり。しゃべれ「ば」ひろがる、しゃべれ「ば」わかる、しゃべれ「ば」楽しい、そんなイベントです。』

はじめに

新垣P:まずは監督から一言ご挨拶お願いします。

原監督:「かがみの孤城」公開から3ヶ月経ってもこうして熱い皆さんに囲まれて嬉しい。今日も暴言失言あると思いますがよろしくお願いします(笑)。

新垣P:キネカ大森さんのしゃべれ場に登壇するのは「はじまりのみち」という実写映画以来、10年ぶりですね。
公開3ヶ月経って、監督はいまどうお過ごしですか。

原監督:20年振りに良い興収の映画になってほっとした日々を送っている。次の仕事は決まっていないので、配信で映画やドラマばかり観ているどうしようもない隠居ジジイです(笑)。

新垣P:現在の観客動員数が85万人ということで、100万人を目指したいですね。ちなみに、今日はじめて観た方はいますか?あ、結構いるんですね。10回以上観た方は?こちらも結構いて凄いですね。え、50回!?ちょっと凄すぎですね…。

原監督:じゃ、質問したい人も多そうだから、質問を聞きながら、雑談を挟むような感じにしましょうか。

質問コーナー

質問1:ラストシーンの原作との違い

質問者:原作小説や丸尾さんのシナリオでは、ラストシーンはアキとこころが会って終わるが、リオンとこころが会って終わるように変更したのはどうして?

原監督:自分は、絵コンテを描き進める中でラストカットをどうするかを考えるようにしているが、冒頭のカットをこころの心象として暗闇を歩く表現にしたので、ラストカットは希望の中で光に向かって歩いていくショットにすることを思いついた。

ラストカットについて

原監督:原作ではこころ以外のキャラのエピソードもあるが、時間の制約の中でこころを中心に描くことになったので、最後はこころの気持ちを表現しようと思った。
ラストカットの歩くショットでは、顔は見せない方がいいと思った。
2年生の1学期の最初の日、学校に行こうとは思ったけど、学校に向かって歩いているうちに、周りが雪科第五中の生徒ばかりになりだんだん心細くなっていき、足が止まりそうになった時に、リオンに話しかけられる。こころはリオンを知らないが、あまりに自然に声をかけられたので、自然と付いていった。
あのショットの最後の6コマくらいだけこころが笑っている、その後に足だけ映すカットに行けば、皆さんが心のなかで、どんなアニメーターが描くよりも良いこころの表情を想像してくれると思った。

質問2:「善処する」について

質問者:オオカミさまが「善処する」と言って顔を見せてリオンが涙を流すところで一番感動したが、この「善処する」の声がオオカミさま(芦田愛菜さん)でなく、実生(美山加恋さん)だったからこそリオンがあれだけ泣いて、観る側の感動にも繋がったのかなと思った。この点について何かあれば教えて下さい。また、このシーンはこころが先に家に戻っていてリオンが主人公みたいになっていましたが、このような主人公をスイッチするような演出について意図されたことはありますか。

原監督:リオンも第2の主人公と言っていいと思うが、リオンのことは時間の制約上、映画ではあまり描けていない。短い時間の中でどうすればオオカミ様との関係性を描けるだろうかと考えた時に、オオカミ様の最後の声を実生の美山加恋さんにすることを思いついた。
今回は役名のある人は1人ずつ録った。(複数人を同時に録ると録ると、Aさんはテイク1が良いがBさんはテイク2が良いということがあり、1人の演技に集中できなくなるので、基本的には1人ずつ録るようにしているとのこと)
アフレコは、絵に費やす時間に比べると明らかに短い。主人公以外は1日、半日、数時間で終わってしまう。短い時間の中で、(ただ台本を読んでもらうだけでなく)何かできないかと考える。少しでも良くなるなら最後まで粘る。録ってダメなら使わなきゃいい。
「善処する」も最初は芦田さんに言ってもらっていたが、美山さんの録りの前日に美山さんに言ってもらうことを思いついた。
二人の「善処する」を別々に録ったあとで、まず二人の声を「最初は芦田さんで、だんだん美山さんの声になる」ようにオーバーラップさせようとしたが、あまり効果的でなかったので、最終的に美山さんの声のみを採用した。これは結果的に良い判断だったと思う。
実生の顔は見せたくなかったので、オフ(=画面外から声が聞こえる)で実生の声がするようにした。映画のショットは、キャラクターが台詞を話す時に顔を映さない方が効果的だったりすることもある。

アフレコ裏話

原監督:台本にない台詞ということでは、高山みなみさんの「真実はいつもひとつ!」も、当日お願いした。もしかしたら苦情がくるかもしれないので、別にちゃんとした台詞も録っている。

新垣P:監督は毎回、アフレコで「こういうパターンもやってみて。」というのがありますよね。我々も聞いてないのに突然(笑)。

原監督:矢島さんの隠し台詞(冒頭のこころの教室でのガヤに隠れているクレヨンしんちゃん台詞)も、当日お願いした。本物に偽物っぽく演じてもらうという遊びをしている。事前に相談すると面倒なことになるし、「やめましょうよ」と言われるので、当日に演者に直接お願いするようにしている。(笑)

新垣P:正しいです(苦笑)。

原監督:カレオで流れる館内アナウンスは日テレの岩田アナ。
フードコートのガヤは新垣Pにも入ってやってもらっている。

新垣P:サラリーマン風な感じでやってくれと言われて、爪跡を残そうとして「な~に食べようかな〜!」とか言ったら監督に「そういうのは求めていないんですけど…」と言われた(笑)。

原監督:矢島さん(リオンの少年時代)でいうと、モノローグの台詞(姉ちゃんは僕と一緒に学校へ行くんだ)は台本になかったが追加した。
麻生久美子さん(こころの母)には、フードコートで身を乗り出してこころに手を重ねるシーンの「一人じゃないよ」も当日お願いして、これは予告でも使われた。
こころの2年生1学期の登校前の玄関でのやり取りも、絵コンテでは「行ってきます」だけだったが、アフレコ当日「今夜何か食べたいものある?」「ロールキャベツとか…」をコンテに手書きして、麻生さんと當間さんにお願いした。

質問3:不登校というテーマについて

質問者:今日はじめて本作を観ました。劇中に出てくる「こころの教室」の雰囲気がとてもリアルに表現されていると感じましたが、フリースクールを描く時にそういった施設への取材は行いましたか。

原監督:監督として施設の取材はしていないが、国内の不登校の現状については調べた。報告されているだけで23万人、1クラスに1人くらいいる計算。
ロッテルダム国際映画祭に行った時に「うちの子供も学校に行けていない」という話があったので、海外でも不登校というのは同じようにあるんだというのを感じた。
自分は映画監督なので不登校の問題を直接解決する仕事ではいないが、映画を作ることで学校に行けていない子供に手を差し伸べたいという思いが生まれた。
そういう不登校の子は、こういう映画を観るのも辛い、自分にはこんな奇跡は起こらないと思ってしまうかもしれない。でも、そんな期間は永遠じゃない、いつかはそういう事から解放されるよ、ということを伝えたい。
こころのように、恥ずかしさから、親にも不登校の理由を言えない子どもも沢山いると思う。そういう子らには、なんで学校に行けないの、でなくて、学校なんて行かなくていいよ、と言いたい。好きなことに打ち込む方が絶対いい。
私は学校に行っていて今の仕事で役に立っていることはほとんどない。一番役に立ったのは、若い頃に時間がある時にひたすら映画を観まくったこと。これがいまの作品作りの役に立っている。
皆さん自身も、不登校な子にあったときに、決してネガティブなことではないよと接してあげてほしい。原って監督が言ってたよと(笑)。

新垣P:原さん、高校でイベントやったときに、先生がずら〜って並んでる前で、「いいんだよ学校なんて行かなくって」って言って空気が凍りましたよね(笑)。「それでも絶対大人になれるから」って続けてくれたおかげで、空気が戻りましたけど(笑)。

原監督:かがみの孤城では悪役の真田たち一派だって、いじめられる側になるかもしれない。高校生になって離れ離れになったら不登校になるかもしれない。
学校でのことっていうのは、あんまり社会に出て役に立つことはないってことは、皆さん子どもたちに教えてあげてください。

質問4:実際の不登校の子に励ましの言葉を

質問者:今日は小6の娘を連れてきました。実は娘はいま不登校で、かがみの孤城の原作小説は気に入って何回も読んでいたが、映画を観て、初回鑑賞後は館内に響くほどの嗚咽を漏らしていました。原作のストーリーに映像と音が入って奇跡が起きたように思えました。
今日はぜひこの映画を作った監督にお会いしたいということで娘を連れて観に来ました。
直接質問する勇気は出ないようなので、母の私から代わりにお願いですが、学校には行けていないけれど卒業式は出たい、仲間もいるけどあと一歩の勇気が出ない、リオン君みたいな子もいない、そんな娘に励ましの言葉を頂けませんか。

原監督:(まさに娘さんのような人に観てもらいたかったので)嬉しいです。例を出して話しますが、この作品の音楽を作ってくれた富貴晴美さんは、小学校の頃にひどいいじめに遭い不登校になった。(本人も自分で言っているからいいよね?)でも彼女のお母さんは「学校なんか行かなくていい」と、そのかわり映画を1日7本観なさいと、映画千本ノックみたいな感じで見せられた。その後、映画の音楽を自分で再現したいとピアノを弾き始めて、そこから作曲活動を始め、国立音大を首席で卒業し、日本アカデミー賞音楽賞を最年少で受賞した。そういう人もいる。

娘さんに伝えたいのは、学校へ行くことより、自分が何が好きなのか、この先もっと好きになるにはどうしたらいいか、を見つけることを考えるといいと思う。周りの学校に行っている子よりずっと早く見つかると思う。
ここに集まっている人達だって、年齢はバラバラだけど、みんなこの先何をしたいか?ってのが共通のテーマ。今のあなたは、好きなことに打ち込んだり、何が好きかを考えることに頭を使うことが、記憶する勉強よりもずっと成長に繋がると思います。
今、俺、すごく真っ直ぐな目で見られてるけど、ちゃんと返せてるかな(笑)。

娘さん:はい、ありがとうございます。
(会場から拍手)

原監督:この映画を観に来れるようになっただけでもすごい良かったと思います。自分の過去を見るような気持ちになったかもしれないけど、もうあなたにとってはもう「過去のこと」になったんだよね。

質問5:実生について

質問者:エンドロールの実生の絵は、丸尾さんの提案で足したと聞いた。
冒頭のベッドで微笑む女の子は、初めはこころだと思っていたけど、実生だと後で気付いた。「こころの歩くシーンで始まり、こころの歩くシーンで終わる」のと、「実生で始まり、実生で終わる」の二重構造になっていて、これは原作にもなかったが、どういう経緯で冒頭の実生のカットをいれたのか。

原監督:あれは完全に丸尾さんのアイデア。おそらく「これから始まる物語は実生がしかけたんですよ」というのをさりげなく入れたかった。
実は、冒頭の実生のシーンの音楽と、終盤のオオカミさまにリオンが「ねえちゃん」と話しかけるシーンの音楽は同じである。音楽に興味がある人は、複数回観ると冒頭の女の子が実生だと気付いてもらえるかなと。我々はそういう何度か観ると気づきが増えて楽しめる仕掛けを入れたりします。

新垣P:製作時、冒頭の病室の実生のシーンは、これ一瞬だとお客さんは実生じゃなくてこころだと思っちゃいませんかって会話をした時に、原さんは「いや、それでいいんです」と。最後のエンドロールで、実生の物語を足したいんだって言っていて。
冒頭、実生がクスッと笑っているのは、目線は見えないけど、ドールハウスのお城の影が映っている、孤城の中の皆のようすを見ているんだなと。
終盤の実生のシーンから、何度かご覧になって、この冒頭のシーンの発見になれば良いんじゃない、と。この演出の発想にはゾッとしました。

原監督:エンディングの実生のエピソードのアイデアは私じゃない、完全に丸尾さんのアイデア。それを元に私が絵コンテにしただけ。
エンディングの曲(優里さんの「メリーゴーランド」)は、普通に聞くとラブソングに聞こえてしまうが、丸尾さんが「こうすれば(絵を入れれば)かがみの孤城のエンディングになる」と考えてくれました。

質問6:アキとこころのラストシーン

質問者:最後「こころの教室」でこころの後ろの窓にアキが映るシーン、原作小説やシナリオでは「鏡」に映るとなっていたが、これを窓にしたのは?

原監督:絵コンテでも原作通り鏡に映っているだったが、鏡に初見のお客さんに伝わらないのでは?と丸尾さんから指摘を受けた。もっとハッキリ映さないと感動しないから、と。辻村さんがアフレコに来ていた時に「演出で悩んでいる」相談したら、辻村さんも窓に映る喜多嶋先生がアキにオーバーラップする方が良いということで、今の窓に映る形になった。

質問7:歯車の部屋でのオオカミさま

質問者:歯車の部屋でオオカミさまの服がボロボロになる描写、映画だと分かる人にしかわからないくらい控えめになっているが。

原監督:オオカミさまの服をボロボロにしすぎると説明が必要になると思ったが、説明する尺がなかった。ルール破りで食べられる皆を守るために何かしら戦ったけど、これを説明する時間がなかったし、すぐに願いの部屋に行くから、ここで説明を挟むべきではないと思った。
ここはあんまり突っ込まないでね(笑)。

新垣P:質問したかったけど当てられなかった人も、後でサイン会ありますから、そこで聞いてくださいね。

以 上


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