鼻くそを食べなくなったことが今の自分を少しだけ支えている。

小学生2年くらいの時に、自らの意志を持ってはっきり鼻くそを食べることをやめた。
それまでは、無意識で全自動で食べていた。鼻をほじれば鼻くそを食べる。取れた鼻くそに一瞥もくれずに指ごと口に差し込む。あまりにも無意識なので、やってはいけないとか恥ずかしいとかもなく、ほじっては食べていた。
きっかけは思い出せないけど、鼻くそを食べるに対して、僕は何してるんだろってふと思った。大人は鼻くそを食べてない。お兄さん、お姉さんも食べてない。一部の友達も食べてない。じゃあなんで自分は無意識に食べてるんだろう。そう気づいてからは鼻くそを食べることにすこし違和感が湧いてきた。それでもこれまで無意識にやってきたことだから、鼻くそを食べることは止まらない。ただ徐々に違和感は大きくなってある日、「たった今から鼻くそを食べない」と決意した。決意した瞬間からほんとうに鼻くそを食べることをやめられた。食べたいのに我慢しなきゃとかもなく、今まで食べていなかったかのように当然なこととして食べなくなった。今思えばあれだけ無意識に習慣化していた行動だから煙草みたいになかなかやめられないかと思うが、あの瞬間に明確に食べなくなった。あれから現在に至るまで鼻くそは食べてない。

それから何十年もたった今でも、この「自らの意志で自らの行動を変化させた成功体験」がはっきりと残っている。それが酸いも甘いも経験してくたびれた今の大人の自分を少し支えている。この記憶が今の自分でも意志を持って行動を変化できるよねと少しでも思える。
でも、成人して以降そんな行動変革したエピソードは思い出せないけども。

そして書きながら思い出したけど、そういえばお風呂でおしっこをしてしまうことも、鼻くそ同様に決意をもってやめることができたな。確か鼻くそと同時期くらいだった気がする。
当時の自分すごいな。彼の決意によって、今私は鼻くそを食べないでいられている。

余談
「何かを始める」だと継続やモチベーション、行動力が必要だけど、「何かをやめる」の方がやりやすいのだろうか。
今やめたいことは何だろう。寝る前にスマホ見る。だらだらとスマホ見る。ブラウザのタブをためまくる。オカズ探しに時間を使いすぎる。空目標を立てる。焦る。ビビる。過緊張。打たれ弱さ。気持ちを言わない。自罰による逃げ。とかか。
やめたいことの質が小学生当時と違い過ぎて、書き連ねておきながらほんまにやめれんのかってなってしまった。

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