コンテンツの気になることメモ

気になるにあたってのサンプル数が少なく、なんのエビデンスもないけど、最近目にするマンガ、アニメ系のコンテンツで気になることをメモ。

ジャンプマンガの主人公や主要人物、結局良い家系。

ドラゴンボール、ワンピース、ナルト、呪術廻戦、ブリーチとか、ジャンプの有名マンガの主人公や主要人物は、なんだかんだ言い血筋だったりする。
努力、友情、勝利と言いつつ、今で言うところの親ガチャ強者であるかどうか次第なケースが多い。また、主要人物のバックグラウンドに限らず、○○家、○○の血を引いてる的な家系ステータスが扱われることも多々ある。
その親ガチャ強者であることの物語的面白さはどこから来るのか。
○○家、○○の血筋的な、本人の行動や努力以外の要因をステータスに付与することの面白さは何か。
自分が生きていく上では、親ガチャはネガティブな要素でしかないし、漫画のメイン消費者は親ガチャ強者でない人の方が多いと思うけど、だからこそなのか親ガチャ強者である、ある種の万能感をファンタジーとして消費しているのか。

最近の漫画主人公、大規模な人間の死を背負わせがち。

進撃の巨人、チェンソーマン、呪術廻戦のように、大規模な人間の死を主人公に背負わせすぎ。ちょっと前から、主要人物が急に死ぬとか、それ以前の漫画では死ななそうな奴ほど死ぬとか、どれだけ鬱展開にするかが作品のすごさ、斬新さの指針になってしまっていた部分がありそう。その派生というかマイナーチェンジとして、主人公に虐殺の業を背負わせる展開が受けてる。
じんわりとした絶望が世の中に常時あるから、むしろスカッとするくらいの絶望を欲しているのか。悪意的なくらい劇的な展開にすることで話題性アップからのマーケティング的な側面もありそう。
そういえば水星の魔女一期ラストの殺人シーンも意図としては近い気がする。
Web広告に出てくるマンガに、拷問系復讐ものが多いのも、遠からずな消費者の潜在欲求がありそうな気がする。

CGアニメ、リアルの追求から表現の独自性にシフト。

少し前のCG、Disneyやピクサー作品やイルミネーション系などは、よりリアルな質感(髪の毛一本ずつ書くとか)やリアルな動きをどこまで表現できるかを目指しているところがあったと思う。そんな中で最近のCGアニメは、そのリアル志向から脱却しつつあるのでは。例えば私ときどきレッサーパンダ、スパイダーバース、長靴をはいた猫(最新版)では、リアルな質感というよりその作品にあった独自の表現が意識されてたと思う。レッサーパンダでは、CGではない漫画・アニメ的なデフォルメがされてて、スパイダーバースではVJ的なアートっぽい表現に特徴的だった。リアル追及はもう天井に着いてしまっていて、CGの表現技術をどう横展開するかにきてるのかも。これ以上リアルになったとして、もう見る側の驚きもあまり上振れなそう。

ゆくゆくは、ここで挙げた物語の傾向や表現の傾向について、なぜそれが良きものとされるのか、つまり消費者がなぜそれを求めるのか、なぜがそれが気持ちいいのかを考えたい。

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