何に手ごたえを感じるか

ちょっと前から考えているテーマ「自分は何に手ごたえを感じるか」。
仕事や家庭、友人関係や趣味、SNSの発信とか、生きてく中で手ごたえを感じる場面がある。と思う。

なんでこれをよく考えるようになったかというと、手ごたえを感じそうなときに何も思わなかったり、ふと意図しないときに手ごたえを感じたりすることが重なったからだ。

仕事で手ごたえを感じない

多分、社会人であれば一番手ごたえを感じやすいのは仕事かなと思う。仕事=働くは、「はたを楽(らく)にすること」とか言うように外部に向けて行動すること。なので、個人の業績や評価、同僚から賞賛や感謝の言葉など行動に対して反応が得られる機会が多い。
その分手ごたえを感じやすいシーンだと思う。
わたしの仕事事情的には手ごたえを感じてもいいことはあったがあまり感じれなかった。今期は受注実績・金額やコンペの結果、サイトデザインもやるなど、調子はよかったのにだ。
自分のやった仕事ではあるが、やって当然、頑張って当然だとも思うし、仮に業績が良くても良くなくても次から次へと仕事は来る。
そう思うと、手ごたえというより、「なんかおまけがもらえたラッキー」くらいなのかもしれない。

友人との会話に手ごたえを感じた

反対に手ごたえを感じたのは、久々に複数の友人と会ってとき。
いつもどおり談笑していると友人たちからふと「やっぱ話やすいなあ」「こんな喋れるやつ、面白く話すやつ周りにおらんわ」と言われた。
普段通り話していたし、久々に会えたというバフ効果はあるものの、特別盛り上げようともしていなかった。
そんな中、友人からもらったコメントがやけにうれしく、手ごたえを感じた。自分のパーソナリティーが褒められたと思えたのだ。
もともと性格的にできるだけ相手も楽しませようだったり、笑ってもらおうという気持ちが強く、どんな話題を話すかとかできるだけリアクションするとかは半分脅迫観念的くらいにやってきた。
やらされたというよりやらずにはいられないところなので、自分の性格に密接しているところなんだと思う。

ここで私の「手ごたえ」を整理

手ごたえあり
・自分の性格上ついやってしまうことへの評価
・仕事とか役職でない私自身への評価

手ごたえなし、または弱い
・やるしかなかったことへの評価
・「私自身」でなく、「役職」上の行動への評価

ほんでどうなる

手ごたえを感じる機会があるほうが、気持ちいいし自分が自分でいる甲斐がある。
この手ごたえを感じる機会を、日々の暮らしや営みの中に、すこしづつ増やしていきたいなあ。今自分の人生を良くするために一つ確実な糸口はこれなんじゃないか。

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