見出し画像

感嘆→絶望→○○

生の演奏を聴いてきた。

ピアノとオーケストラが一緒に演奏する、ピアノコンチェルトというやつだ。

曲目は超有名曲。チャイコフスキーという作曲家のピアノコンチェルトで、例えば美空ひばりの「川の流れのように」くらい有名な曲。

その公演中、楽章間の短い間に、自分に鳥肌が立っていることにふと気が付いた。

「涙が止まりませんでした」とかいう宣伝文句に(何を大袈裟な)と思って冷めてしまう方なので、極力こんな表現は使いたくない。でも鳥肌は事実だったからしょうがない。今後は「泣けた!」というコメントにも優しくなれそうだ。

自分がピアノを始めたからわかる、演奏の凄まじさ。もしかしたら僕のレベルじゃまだわかっていないのかもしれない。
全ての音を高いレベルでコントロールして出している、というのが伝わってくる演奏。その上で、人と話しているときに自分の感情が動かされているときのような感覚が、音から伝わってくる。

そして、オーケストラもピアノもスケールがでかい。

なんだこれ。俺のピアノとは全然違うじゃないか。

何がどう違うって…
ロケットと紙飛行機ぐらい違う。飛んでることはかろうじて同じか。でも、スケールが、圧倒的に違う。

この鳥肌事件のときの僕の感情はというと、感嘆、そして→絶望の順に動いた。果てしない道のりだ。果てしなさすぎる。
でも絶望で止まらなかったことは褒めてあげたい。

単純な比較をすることに意味がないのはわかっている。
「小さい頃から初めて、今までの時間をピアノに使っていたら…」なんてことはよく頭をよぎりすぎて顔なじみになってしまった。近所にいるクセの強い名物おじさんみたいな、名前は知らないけどまたあんたか、みたいな。

30歳からピアノを始めて、神経の発達も、耳の成熟も、全く音楽と関係ないままに生きてきた僕の操縦する機体は、年代落ちもいいところだ。むしろ、その世代の機体で本気で飛ぼうとしている人はそう多くないだろう。
わかってる。今の僕にしかできないことをすればいい。でもね、考えちゃうんだ。
今できる最善をやればいい。でもね、ただ弾くだけじゃ嫌なんだ。

そんな風に絶望にご挨拶をしていたときに、友人の言葉が頭をよぎった。「果てしない道のりならその分たくさん経験できるね」 。

最短の道や、最上の答えや結論を急いで求めてしまうのは悪い癖だ。
ほんとうはそこに向かいたくて、でも行き着けないとわかるとどうしていいかわからなくなってしまう。

いきなり話がガラッと変わるけど、ある脱色系漫画に、めちゃくちゃ強いけど無意識に相手に合わせて自分の力をおさえちゃう、という死神がいた。
その理由は、「同じくらいの力にして戦いを楽しみたいから」。戦う理由が「勝つこと」じゃなくて「楽しむこと」なんだ、って読んだとき、その思考にびっくりしたのを覚えている。

まあ圧倒的に強いやつが言うからカッコ付くんだけどさ。ヘタクソが言ったらただの言い訳だよ、かっこわりい。
でもね、勝つこと、上手くなること、良い演奏すること、だけを目的にしちゃうのはちょっと貧しいのかもなって思ったわけです。

この30年分のブランクを埋めるべく僕は呆れるほど努力する。
でも、この今の状況をどう受け取ってどう過ごすかは僕が決めよう。

…そんなことを一瞬にして考えたコンサートでした。

スケールのでかいピアニストになりたいなあー!

#Tchaikovsky #BLEACH #ピアノ #思考の調整 #日記