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君を想う

毎年、木々の葉っぱが色づくこの季節が来ると思い出す。
大好きなあの子のことを。
愛に溢れたおでんの味を。

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私は学校を卒業してから5年間、小児専門病院に勤務していた。

元々看護師を目指していたわけではなかったのもあり、学生時代の病院実習は苦痛以外の何ものでもなかった。
だか、唯一楽しいと思えた実習があった。
それが小児科での実習だった。
いや、正確には実習の課題は他の科と同様にちっとも楽しいとは思えなかった。
ただ患者さんである子どもさんがたまらなく可愛くて「これなら頑張れるかも?」という気がした、というところだ。
そんな状態ではあったが、学校はなんとか卒業し、国家試験にも合格した。
そして晴れて小児専門病院への就職を果たした。

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看護師いうのはご存知の通り、交代制で勤務をしている。
そのため入院中の方を毎日同じ者が担当するわけにはいかない。
だが、その患者さんの入院中(及び退院後の生活を含めて)の看護を責任を持って考える担当者として【受け持ち】の看護師を決めていることが多い。

私の働いていた集中治療室は重症な患者さんが多く、病気への理解が深まり業務に慣れてくる勤務2年目くらいから、少しずつ【受け持ち】をさせてもらえる制度だった。

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その私の初めての【受け持ち】患者さんが、Tちゃんである。
産まれてすぐ、大きな病気を抱えていることが分かり、他院から緊急搬送で運ばれてきた。
Tちゃんのご家族の自宅は遠く、兄弟もいて、仕事も忙しい様子でなかなか面会に来られない状況が続いていた。

Tちゃんは新生児期から手術を行い、身体に管をたくさんつけた状態だったが、色々な処置・治療を続けながら少しずつ体調は安定していった。

当時の私は、まだ20台前半の若輩者。
周りに子どもがいる友達もおらず、子を産み育てることに対して、はっきり言ってなんの理解もなかった。
だけど受け持ちとしてよく担当をさせてもらっていたこともあり、Tちゃんへの愛着は日に日に増していった
もう親バカのように、可愛くて可愛くてしょうがなかった。
なかなか面会に来られないご家族に代わって、長期に渡ることが予測され制限も多い入院生活の中で、成長発達に働きかけることなど出来ることはないかと自分なりに必死に考えていた。
Tちゃんはなかなか自由に動き回れるという状況になかったのだが、くるくるまわるお手製メリーをベッドサイドに吊るしたり、手作りのぬいぐるみで一緒に遊んだりしていた。
たくさん話しかけ、身体をさすったり抱っこしたり、絵本を読んだりもした。
(母になった今となれば、もっと色々な育児書や保育系の本を読めば多彩なアプローチが考えられたのにな、と思うのだけれど、当時はそんなことも思いつかなかったし、先輩方に相談することもしなかったな…。)

Tちゃんは良くなったり少し悪くなったりを繰り返しながら(そして集中治療室を卒業し、病棟での入院生活も経つつ)彼女のペースで成長していっていた
病院での生活は苦しいことも多いと思うのだが、その中でも笑顔を見せてくれることが、それはそれは嬉しかった。

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でもある時から、Tちゃんはあまり優れない状況が続いていた。
そして色々な検査などの結果、もう手術などの治療の施しようがなく、余命はTちゃんの生命力にかかっている状態であると担当医師との話で知った。

信じられなかった。
信じたくなかった。

私には為す術がないまま、Tちゃんの体調は傾いていった。
だんだんと悪くなる、顔や手足の色。
少しずつ浮腫みの強くなる身体。
笑顔が減っていく表情。
止むを得ず増やす、鎮静剤の量。
それでもやらなきゃいけない処置。
辛いだろうな、苦しいだろうな、、、想像するだけで涙が出た。
今、Tちゃんにとって嬉しいこと、癒やされることはなんだろう。
そんなことを来る日も来る日も、悶々と考えていた。
そして可能な限り、側に付き添った。
ご家族にも面会に来られない時の様子を伝えたり、ご家族が来られた時との違いをお伝えした。
それくらいしか出来なかったのだ。

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するとある日、ご家族から
「この病院の近くに引っ越してきます」
との報告があった。

心の底から嬉しかった。
それがTちゃんにとっては一番して欲しいことであろう思ったからだ。
きっと、ご家族には勇気のいる決断だったと思う。
お父さんだけが地元に残る、逆単身赴任状態だったから。

それからはお母さんが毎日面会に来られ、状態は低迷しながらも、Tちゃんのお部屋は穏やかで幸せな空気に包まれていた。
もうその時には抱っこすることすら、簡単にはいかなかったけれど、可能な限りお母さんの腕に抱いてもらった。

お母さんに毎日会えるようになって、すっかり安心したのだろうか。
ご家族が引っ越してこられてからわずか数週間後の11月のある日、Tちゃんは空に還ってしまった。

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今でも思い出す。
腕の中にいた温もり。
目が合った時の、可愛らしい笑顔。
ご家族が面会に来られた時の、キラキラした目。
全てが私の原動力だった。

とにかく何かしたい、何とかしたいと、気持ちだけが突っ走っていた。
結局のところ、何が出来た訳でもない。
でもそんな気持ちでいることを、ご家族は受け止めてくれたんだろうと思う。
当時、頭のキレる厳しい上司にも「アンタの一生懸命さがご家族を動かしたんやと思うわ」と言ってもらったことを覚えている。

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Tちゃんのご家族のご厚意で、ご自宅でのお別れに行かせていただいた。
そして葬儀が終わって落ち着いたある日、Tちゃんのお母さんから
「入院中の娘の話をもっと聞かせて欲しい」
と連絡があり、同僚とご自宅にお邪魔した。
その際にお母さんが振る舞って下さったのがおでん。
よく煮込まれた手羽先が入っていて、大根にも味がしっかりと染み込んでいて。
優しくて温かくてほっとする、愛に溢れるおかあさんの味、だった。

この時、ご家族がもの凄く辛い思いでおられることは、もちろん肌で感じていた。
でも実は、面会にあまり来られなかった時期があったこと対して、Tちゃんのことをどんな風に捉えておられたんだろう、なんて若輩者の私は失礼ながら勝手に思っているところがあった。
だけど改めてゆっくりとお母さんとお話する中で、出生直後に大きな病気が分かって離れ離れになってしまった娘に対して、どんな風にしたらいいのかご家族にも手探り状態だったんだな、と分かった。
Tちゃんのことをずっとずっと大切に想ってこられた深い愛情が、話の端々にひしひしと感じられた。
そしてそれを、これまで受け止めていなかった自分を反省した。

美味しいおでんを食べながら、私の身体も心もじんわりと温まっていった

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私が看護師の在り方として大切にしているのは、【その人とその人のご家族の応援者でありたい】ということだ。
それは成人を対象にしている今も変わらない。
寄り添うなんて大それたことは出来ないけれど、ここに少しでも自分のことを想って、応援してくれている人がいる。
それが力になる。
そんな存在になれたらいいのに、という想いを根底に持ちながら働いている。

そんな在り方の礎を築いてくれたのは、他でもないTちゃんとTちゃんのご家族だ。
この出会いがなかったら、私は今も看護師を続けているか分からない。
Tちゃんはずっと変わらず、私の中に生き続けてくれている。

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我が家の第2子娘が、ちょうどTちゃんの最期と同じ月齢だ。
時々、その面影を娘を通して見ることがある。 
そして我が家の第1子息子がもうすぐ迎える誕生日は、Tちゃんの命日の次の日。
夫がつけてくれた息子の名前には【めぐりめぐる】という意味も込められていて、何か運命めいたものを感じずにはいられない。

Tちゃんへのありがとうと、大好きだよ、を込めて。
君を想う。

※ここまで、長文にお付き合い下さった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。思い出すと今でも涙が溢れるけれど、Tちゃんに会えなくなってから10年が過ぎ、薄れていく記憶をどこかに留めておきたいと文章にしました。
※特定の患者さん(及びご家族)と病院外でお会いするのは職業倫理に反するところではあるのですが、そこは読みとばしていただけると嬉しいです。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。