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背中の記憶

昨日の朝はなんだかイライラしていた。

いつものこととは言え、まころ(息子・3歳)がきぷく(娘・10ヶ月)にちょっかいを出している。
マイペースでひとり遊びに集中したいまころにとって、きぷくがズリバイで周りをうろちょろしたり、おもちゃを触ったりするのが気にくわないらしい。
それできぷくを押しのけたり、押さえつけたりするのだが、3歳児のそれは加減が出来ないのか結構激しい。
しかも最近は牽制するためなのか、何も手を出されなくてもグイグイやっている。
息子のジャイアン化が止まらない。

それを制するのに、エネルギーを食われる。

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まころの朝ご飯は、きぷくの動きを監視していたり、うんちが出そうで手が止まったり、単にダラダラと食べたりでなかなかに時間がかかる。
それでも保育所までは歩いて行きたいらしく、9時までと決まっている登所時間に間に合わないことが何度か続いた。
それで7時には食べ始め、8時までに食べ終わって着替えを済ませ、家を出るようにしている。

昨日もヤキモキしながら何度か声をかけ、なんとか8時過ぎに身支度が整い、靴を履いてさあ出発と外に出たところで
「うんち出る〜」
と言われ、慌てておまるに座らせ、何とか事なきを得た。
さて再出発としばらく歩いたところで、昨日お昼寝の時におねしょで濡れたシーツと毛布を洗濯したものを、忘れて来たことに気がつく。
自分の準備の悪さを呪いながら、まころを抱いてダッシュで自宅に戻り、シーツと毛布を詰め込んだ袋を手に取る。
ああ、再々出発、気が重い。
時計も8時20分を過ぎている。

「もう車や、車!車にしよう!!」
と自分の過失を棚にあげてまころに提案するも、
「あるいていくの〜」
とギャン泣きの抵抗。
「んじゃ、超特急で走って行こう!走れば間に合う!!」
と無茶振りの提案も
「ちょうとっきゅうできない〜」
と敢えなく却下。
そして
「…おんぶでいく」
と。

おぇえええ…?おんぶ…!?
と心の中では叫んだけど、少しずつ冷静さを取り戻してきて、イライラをまころにぶん投げそうになっていたことに気がつく。
いかんいかん、こりゃいかん。

「えーーーじゃあ今日は特別!普段はアカンで!!」
と散々勿体をつけて、まころを背負う。
あれ、思ってたより軽いし楽勝。
そういえば普段おんぶを求められる保育所の帰りは、片手できぷくのベビーカー押してるから大変に感じてたんや、と気付く。

むしろ、ほかほかほかほかで背中が温かくて気持ちいい…!
なんなら毎日おんぶでもいい…!
と勝手なことを思いつつ、ああこんなことなら素直におんぶすればお互い気持ちよかったよな、とひとり反省会をしながら保育所へと向かった。

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そんなことがあっての今朝、夢を見た。

夢の中で私は、見知らぬおじさんの背中にいた。
見知らぬおじさんだけれど、全然覚えていない夢のストーリーの中で、人に気遣いの出来る素敵な方だったという印象だけが不思議と残っている。
だからか、とても安心した気持ちで背負われていた。
おじさんの背中は広くて温かくて、歩くリズムでゆさゆさと揺れていた。
その背中から、周りの流れていく景色をぼんやりと眺めていた。

そんな幸せな気持ちのまま、目が覚めた。

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3歳頃までの記憶は、大人になると覚えていないことが多いと聞く。
だが、触れ合った記憶というものは、肌に残っているのだそうだ。

小さい頃の写真に、おばあちゃんにおんぶしてもらっているのがあったことを思い出す。
甘えん坊だった(らしい)私のことだから、色々な場面で家族におんぶしてもらったことだろう。

そんな意識下にない記憶の引き出しから、昨日夢は出てきたのかもしれない。

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今はおんぶする方の背中の記憶を積み重ねているんだろう。

おんぶする方も、おんぶされる方も、ほかほかほかほか。
心の中もほかほかほかほか、だ。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。