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みんなちがって、みんないい

一時期仕事を辞めてふらふらしていたわたしが、病院に再就職したのは数年前の4月で、たくさんの新卒さんたちと一緒に今の職場でのキャリアをスタートさせた。
同じ部署に配属された新卒さんの中には同級生がいて、彼女とはよく話をする仲だった。

配属されて数ヵ月経ったある日、彼女は「自分は仕事が出来ない」と自責の念に駆られていた。
そのときの上司はタイムマネジメントに厳しかったので、仕事を時間内に終えられないことによく苦言を呈されていて、特に引っかかっていたようだった。

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看護師として求められる資質は、とても多いと思う。
身体に関することや治療に関する知識(まずここだけでクソ膨大)、それらに裏打ちされた観察力、身体介助や処置などの実践的な技術、緊急の場面での判断力、患者さんや職員とのコミュニケーション能力、仕事を安全に早く遂行するためのマネジメント能力、、、言い出せばキリがないが、多岐に渡るこれらを統合して行うことになる。
もちろんはじめから全てが出来る人なんていないし、経験は絶対的に必要だ。

とは言え、周りの人を見ているとベテランの先輩はもとより、1年上の先輩も同期ですらも、自分より遥かに出来ているように見える。
わたし自身もそんな気持ちを経験したから、よくわかる。

でも、わたしは知っていた。
看護師になる前に介護士として施設で働いていた彼女は、ご高齢の方々と接するのにとても慣れていたし、なによりそのコミュニケーションを楽しんでいた
そして相手の懐に自然に入り込んでいって、いろいろな話の中から患者さんの価値観といったとてもパーソナルな部分の情報を聞き出すのが上手だった
わたしから見れば、それはもう才能だ。
「これを情報として知っておくべきだから聞こう」と、「あなたの話が聴きたい」では聴く姿勢が全く違うし、それはきっと相手に伝わって、引き出せる話というのも大きな開きがあるのが実情だ。

看護をする上でその人が何を大切にしているかを知ることは、治療方針や今後の人生の過ごし方に関わってくるとわたしは思っているし、本来ならそこを引き出して一緒に考えていけるのが理想だなとも思っている。

それを彼女に伝えると「そうかなあ?単純に話すのは好きなんやけど、もっと意図をもった情報収集出来るようになりたいなあ」と複雑な笑顔を浮かべていた。

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そんなことがあってから、病棟の中を見回してみると全てにおいて完璧な人なんていないよなあと感じるようになった。
完璧な人はいないけど、みんなそれぞれに良いところというか強みといわれる部分があった
とても頭の回転が早く仕事も早い人、豊富な知識と経験で広い視野を持った人、医師とのコミュニケーションがうまい人、ズバッと意見を言うことで現状に風穴をあけられる人、とにかく患者さんに好かれる人、訪問看護師の経験があって在宅療養に関して詳しい人。
今でもそれぞれの人の顔が浮かぶくらい、そんなことを強く感じながら自分以外のスタッフのことを見るようになった。

私たちの仕事は24時間365日稼働していて、どこまでいってもひとりでは出来ない。
それがもどかしいときも時にはあるけど、チームとして成り立つとき、このそれぞれの個性こそ大切なんじゃないかと思うようになった

みんなちがって、みんないい

金子みすゞさんの『私と小鳥と鈴と』という詩のなかの一節だが、いまはこの言葉がストンと腑におちる。

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ひとりの職業人として、苦手な部分を底上げするための努力は必要だ。
でも、得意を存分に発揮して苦手を補い合えばそれはそれでいいやん、わたしたちはチームなんやから
いつの間にか、そんな風に思えるようになっていた。

胎盤と共に知識が抜け落ちていった頭と、乳と共に体力を失なった身体を携えて働いている、育休復帰後のいま。
看護師1年目だった彼女に教えてもらったことが、存分にわたしを支え続けてくれている(じゃあ今のお前の強みはなんだとは聞かないで!)(はっきり言ってニコニコしてることくらいだよ!)

家族でも、会社でも、大きく言えば社会でも、これって本質は同じなんじゃなかろうか。
みんながその意識で動けたら、もっと世界はやさしくなれるかもしれない、なんて壮大なことを考えてみたりする。


“出来ないこと”ばかりに目がいって、いつも“完璧”にならなければいけないと思い込んでいた、あの頃のわたしにこのことを伝えてみたい。
でもきっと、あのときの彼女と同じような複雑な笑顔を浮かべる気がするな。


ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。