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朝っぱらからビールを飲む母

ってどうなんだろうね、という話。

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年始の記事にも書いたのだけど、年末に酷く落ち込む事象があった。でもそれに対する自分の本心が見えなくて、ずっと表面だけ撫でてる感じのまま、動く方向が見えぬままに、この1ヶ月を過ごしてきた。
それがようやく数日前動いて、やっとやっと自分の心の深いところにたどり着けて、目指す方向が見えたし、頭も身体もフル稼働で折り合いをつけることが出来た。
久しぶりに心の中がぱあっと晴れ渡っていった。

だけどじっと耐えてきた心と、フル稼働した頭と身体の反動が、どぉおおおんとやってきた。
ここにきてまた頻繁になってしまった娘の夜泣きが、どうにもこうにもそれに拍車をかける。
好きなものを食べてみるのだけれど、どうにもこうにも埋まらない。
音楽を聴いても、お笑いを見ても、本を読んでも、続かない。どこかに行く元気も、誰かに会う余裕もない。
エネルギーが足らない。というより枯渇している。

電池を使い果たしてシャットダウンしたスマホのようで、再起動にはどうにも時間がかかりそう…。
でも日々の暮らしは続いていくもので、ご飯を作るのも、洗濯をするのも、掃除するのも、片付けるのも全てにスイッチが入らなさ過ぎるし、子ども達にいちいちイライラしてしまって、そんな自分にヤキモキする。

ああ…なんとか……ブースト出来るもん………と考えていたら、ぱっと過ったのが生ビール。

しかもファミレスで出てくるそれではなく、ニューミュンヘンとかで出てくるようなアレ。
手入れの行き届いたサーバーとか、フレッシュな樽とか、キメの細かい泡とかなんやらかんやら拘りで構成されているアレ。
(ちなみに一応断っておくとファミレスの生ビールがダメだとかそういう話ではない。私も飲むよ。でも今はその気分じゃなかったという話。)

子どもができるまでは、ずっと側に寄り添って居てくれた生ビール。
今でも近くにいるようで、なんとも遠いユートピア。

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朝おむつ替えておしっこさせて身支度しながらご飯と離乳食作って自分も食べながら息子と娘に食べさせて途中でなんか出たと言われてトイレ行ってうんち見守ってパンツ洗ってまだなんか食べるとゴネられてリンゴと干しぶどうで決着して着替えさせて洗濯回して保育所の準備してはい行くよ行くよ今日は豆まきやから遅刻出来ひんでと急かしてふたりを車に乗せて保育所まで送り届けて、その帰りにふと思いつきで、たんまりおつまみと甘いものとビールを買った。

帰るなりビールをプシュっと空けて、娘におっぱいあげながらそれを飲んだ。

単純にそこだけを切り取ってみたら、世の中の人はどんな反応をするんかなあ。そうぼんやり考えた。

「ええ…!小さい子どもがいるのに朝から飲酒!?言語道断、あり得ない…!!」
という人もいれば

「いや…まあ…なんか事情があるんだよね、ね?」
という人もいるのだろうし

「え?別に普通じゃない?」
という人もいて

「コイツ、ヤベぇ奴だな、病んでんな」
と思う人もいるかもしれないし

「フゥーーー!やっちゃったの!?ヒャッホーファンキーガールだね!!」
みたいな人も…いるのか…?わからんけど

「まあ、そのへんは個人の自由だよね」
という人もいるだろう。

大半は
「へー(そんなに興味ない)」
くらいの感想かもしれない。

ちなみに以前の私だったら
「朝からじゃなくて、せめて夜子どもが寝たときに飲めばよくない…?友達と飲むとか特別な状況じゃないんやし…お酒が入った状態で子どもの世話するとか母親としてどう…」
と思っていたやろうし、他人がそう言ったとしたら自分の中で自分のほうが優れた母親や、ってマウント取ってた、気がする。
そう思う以上、到底自分では出来ることじゃなかった。

 * * * * * * *

私の両親は教師で、二人とも如何にもという感じの真面目さと、世間体を気にする目を持っている。もちろん世代的なものもあると思う。
だから(両親の価値観が作られた時代の)世の中的に多くの人が「正しい」としていたことが、両親の「正しい」であり、私自身もそれを「正しい」と教えられて育ってきた。
私はその「正しい」の価値観を少しずつ覆しながら大人になったんやけど、それでも大半は両親の「正しい」の価値観に縛られていた。
それは子育てと向き合う中で、自分で自分を苦しめることになるものもたくさんあった。

でもいつからかそういうのに疲れてきて、自分を変えたくなった。
その頃に、noteを始めた。
そしたらいろんな人が、(きっと建前じゃない)本当の心の内を書いていて、ああ、いろんな価値観があるやんなあと思えた。
この世の中の多様性を、と言う程多くの方のものを読めている訳じゃないけど、少しずつ少しずつ違う価値観を、心の引き出しにストック出来ている気がする。
不思議と、マウントを取りたい気持ちも薄れていった。

それぞれの人にそれぞれの「正しい」があっていい。むしろ「正しい」ことばかりじゃなくていい。
そんな風に思えるようになってきた。

そうやっていたら、私の心の師匠からの教えが腑に落ちて、「人からどう見られるか」よりも「どうすれば自分が心地よく居られるか」を見つめるようになった。
すごく、楽になれた。

まだまだ元の価値観に縛られるところはたくさんあるし、人の目が気にならないという訳でもない。相対性の中で生きる人間である以上、絶対ゼロにはならないだろう。

ただ言えることはビール飲んだらその後、娘の様子を見つつ洗濯干して洗い物しておむつ替えてミルク飲ませて寝かしつけて、今書けない書けないと思っていたnoteが書けている。

私の今の状況では、夜ご飯も二人に食べさせながらで全くのんびり出来ひんし、夜にビールを飲むと夜泣きの対応におっぱいの選択肢がなくなって辛い。
日中の娘はご機嫌で哺乳瓶でミルクも飲むし、保育所のお迎えは歩いて行けば済むし、ビール1本で酔っ払いになれるほど燃費よくないから、人に迷惑かけることもないよなあ…たぶん…。
だから平日の日中がベストタイミングやったんやなあ、と思う。 

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ザックリまとめると、朝っぱらからビールを飲んでよかったよ、元気になったよ、満たされたよ、という話。
少なくとも私にとっては。
念願のおいしい生ビールじゃなくても、人からどう見られようとも、陽だまりでゆっくりと飲むビールは最高に幸せだった。

100%の欲望を満たせるものでなくても、10%でも20%でも満たせるものを見つけて、人の目よりも自分の心に忠実に積み重ねられたら、幸せに暮らしていけるのかもしれないな。

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