見出し画像

復職のことを考えると、どうにもモヤモヤが止まらないのだよ

!今日のnoteは巻き込みモヤモヤを発生する可能性があります、ご注意ください!

昨日、久しぶりに職場である病院に行った。
娘の4月からの保育所の入所が無事に決まり、復職に向けて上司と面談をするためだ。

面談と行ってもそんなに堅苦しいものではなく、現在の家族の状況と、いつから、どのように働くかと、希望部署を伝えるための簡単なものだ。事務的な手続きも含めて、30分くらいであっという間に済んだ。

だけどそれから、ずーっと胸がザワついている。
夜中も授乳で目覚めた後、ついつい色んなことを考えはじめてしまって、どうにも眠れなくなってしまった。

 * * * * * * *

はじまりがどうあれ、今は看護師という仕事を悪くないなと思っている。
体力勝負でいつもヘトヘトだし、命を預かるプレッシャーですり減ってはいる。とても時間内に終えられるとは思えない業務量に暗澹たる気持ちになったり、理不尽(と思える)クレームに腹がたったり、医師とのやりとりにヤキモキしたり、自分の至らなさに涙が出たりもする。
だけど患者さんがホッとした笑顔で病院を後にする姿を見送るのは、いつだって嬉しい。とてもプライベートな話をさせてもらい、その人の根幹に触れられたとき、こちらがたくさんのものいただいている。そして病気や入院という人生の中の大きな一幕に関わらせてもらい、その中で名前を覚えてもらえるような存在になれることは、何にもかえがたい歓びだ。

大変な仕事だよね、と声をかけていただくこともよくあって、うん、大変だよと思う部分もあるし、ちょっと特殊な体験をしているな、と思うところはある。
でも、仕事というのは何であれ、どこかで人の生活や人生に関わってくるもので、何をしたって責任が付き纏って大変なものだから、この仕事が特別って訳じゃないよと同時に思う。

交代勤務という特性から、正職員でも週3回×8時間という育児短時間の働き方を選択出来る(週5回×6時間も制度上はあるが、どうしたって周りに迷惑がかかるので誰も選ばない)。
女性が殆どを占める職場ということもあって福利厚生面はわりと整っているし、客観的に見ればとても恵まれている。

実家の近くに住んでいて両親の協力も得られるし、自宅にいる限りは夫とも家事育児を分担している。
すでに息子が通っている保育所も、信頼のおける先生方がいると分かっているので、安心して子どもたちを預けられる場所だ。
そう考えれば、布陣としては盤石の体制だ。

それでも不安になるのは、自分のキャパシティの狭さを知っているからだ。今のバタつきながらも平穏な生活が崩れるのが目に見えて、息子と保育所で覚えてきたお歌を一緒にヘラヘラ唄えるのかな、とか、娘とひたすらモフモフきゃっきゃと遊ぶ時間を取れるのかな、と思って、なんとも寂しい気分になる。

 * * * * * * *

何が一番不安かって、どの部署になるか分からないことだ。そのロシアンルーレットの結果を知るのは、働く直前になってからだったと記憶している。

部署がかわれば看る病気も、患者さんの状態も、仕事のスタイルも、周りにいるスタッフも、全然違う。
分かりやすいところで言うと、目の前で心臓マッサージをしながら生死を彷徨うような状態の方に一刻を争って点滴をすることと、慢性的な病気と付き合っていくためにどんな風に今後の生活を変えればよいか一緒に考えていくこと、どちらも私達がする仕事のひとつだ。
どこに居たって看護の本質的なところは変わらないし、自分が大きく目標にするところも同じなのだが、目の前にして実践していくことには開きがあるのが実情だ。
そしてその目の前のことに経験があるかどうかは、私の心持ちに大きく影響する。
息子の育休明けは全く経験がない部署だったのと、程なくして娘を妊娠して想像した以上に体調が優れなかったのもあって、週3回でも全てがギリギリで回っていた感じだった。

部署によって定時で帰れるのか、残業を余儀なくされるのかという違いもある。

でも何より不安に思っているのは、人間関係かもしれない。
文字に書くと「ああ、自分ってしょうもない奴やな…」と自覚せざるを得ないし前回のnoteと矛盾するなと思うのだけど、使えない人だと思われることも、空気が読めないやつだと思われることにも、しょうもない人間やと見抜かれることにも、とってもビクビクしている。
だから、また一から人間関係を築かなければならないかもと思うと、身体の中に鉛がズドンと居座っているような感覚になる。

 * * * * * * *

そして、時間的にも体力的にも気力的にも余裕がこれっぽっちも無くなることが予想されて、自分にとって第一優先であるはずの子どもたちに大幅な皺寄せがいくのであろうことに胸が痛む。
朝は全ての行動を急かすことになるのだろうし、夜もゆっくりする間もなく消灯までの時間を駆け抜けるだろう。キリキリ舞で頑張っても、今より起床は早く、就寝は遅くならざるを得ない。
突発的にくる抱っこの要求、今日はご飯じゃなくてパンが食べたいというささやかな希望、絵本をいつもより多く読みたいという想い…そんな小さなものに応えられないどころか、むしろイライラする自分に落ち込むんだろう。
今でさえ余裕がなければそうなってしまうのだから、そんな光景が目に浮かんでしまう。

だったらもっと休めばいいじゃん、なんなら辞めればいいじゃんと思われるかもしれないが、それはそれで踏み切れない。経済的なことや、キャリア的なことももちろんある。
でもそれ以上に、ずっと子どもと家の中という狭い世界だけで暮らすのは、息を抜く場所を見つけづらく、時にとてもしんどいものであることも体感して知っているからだ。
仕事という家庭以外の場所に身を置くことは、妻でも母でも子でもない「私」を確認出来る、とても大切な行為なのだ。
それをやすやすと手放すことは、私には出来ない。

 * * * * * * *

結局は、余裕がなくなるのなんか当たり前のことなんやし、自分がどう受け止めていくかの問題なんやろうと思う。
そして実際にやりながら試行錯誤して、みんなが気持ちよく過ごせるところのバランスを取っていくしかない、なんとかして乗り越えていくしかない。
そうは分かっていても、2人目の育休復帰はいろいろとリアリティーがあり過ぎて、やっぱり今日はモヤモヤする。
贅沢な悩みだと言う人ももしかしたら居るのかもしれないけれど、それでも今の正直な気持ちとして、このモヤモヤをそっとここに置かせて欲しい。

働きながら子育てをすることも、専業主婦(主夫)として家庭で子育てをすることも、子育てをする人達を温かく見守ったり手伝ったりしてくださることも、とてもとても尊いことに感じた、ということも一緒に残しておきたい。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。