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メディア的に生きる

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越えてはいけない境界線と進化

越えてはいけない境界線と進化

以下の音源を聴きました。有料なので、気になる方はご購入くださいませ。

情報発信をする際に、誰が、どのような立場でという境界線は切っても切れません。これをうやむやにしてしまったのがGoogleですが、それでも越えてはいけない線があるという話

発端となったのはおそらく、コロナウィルスが話題なのでそれについてブログで書こうぜ、それが情報発信だろうヒャッハー(悪意ある要約)的なツイートだったと思いま

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ステマって何でダメなんだろう

ステマって何でダメなんだろう

ステマが話題になっていました。

「アナ雪2」Twitter感想漫画に「ステマ」疑惑 7本ほぼ同時投稿され炎上 ディズニーは「ステマという認識はない」と弁明 (1/2) – ねとらぼ

ステマ検証 アナと雪の女王 アベンジャーズエンドゲーム キャプテンマーベル(後半メンタンタンドン) – Togetter

「アナ雪2」騒動で批判されたPRタグの無い広告マンガ やしろあずきも過去に投稿認める :

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第三十回 メディア的に生きる

この連載では「メディア的に生きる」ことについて考えてきた。

現代、そしてこれ以降の社会では個人が直接社会とつながっていかなければならないような環境が待っている。そこでは、個々人が「メディア的」に振る舞うことが大切なのではないかと考えた。よって、「メディア」周りの事象をいろいろ見てきたが、まだまだ十分とは言えない。

たとえば、地方メディアと個人メディアの可能性の検討が済んでいない。また、貧困とメ

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第二十九回 社会におけるメディア(5)

前回では、「情報の流し方が、自分の価値としても返ってくる」といったことを書いた。

情報の流し方にもいろいろある。事実をそのまま流したり、解説を加えるなどを加工を行ったりと、さまざまな。その当たりは工業的産業が原材料をどのように扱っているのかをイメージすれば、おおよそは理解できるだろう。

で、その「流し方」が発信者の価値として返ってくる、というのが今回のテーマである。

具体的な例を使ってみよう

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第二十八回 社会におけるメディア(4)

人は情報に囲まれて生活している。情報から影響を受け、価値観を醸成し、行動に結びつける。

どのような情報が周りにあるのかは、想像するよりも重要である。

その重要性は、情報化社会を生きる(あるいは構成する)市民一人ひとりが認識しておきたい。

(1)で、メディアは聖職者であると言った。数字では評価できないその影響に向けて行動を続けるという点、そしてそこに宿る矜恃、そういったものだ。

どこかでテロ

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第二十七回 社会におけるメディア(3)

メディアは情報を移動させる。

では、情報の移動には何が伴うだろうか。

シンプルな例で考えてみよう。

AがBに、Xという情報を教える。情報が伝達された。これでAもBも共にその情報を知ることになる。さて、価値はどうなっただろうか。

もしその情報に価値があるならば、知る人が一人増えたのだから社会全体での価値は増加したことになる。素晴らしい。

これを拡大したらどうなるだろうか。

AはB1からB

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第二十六回 社会におけるメディア(2)

再び梅棹忠夫氏の『情報の文明学』より引く。収められている「放送人の誕生と成長」からの文章だ。

しかし、ときたま虚業意識が心をかすめることはあっても、日常は、放送人がこのような自己否定の論理を採用しているわけではない。けっきょく、なにに生きがいをもとめて、あれほどのエネルギーを注入するのかといえば、番組の商業的効果ではなくて、その番組の文化的効果に対する確信みたいなものがあるからではないかとおもう

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第二十五回 社会におけるメディア(1)

梅棹忠夫氏の『情報の文明学』に「放送人の誕生と成長」という文章が収録されている。1961年に書かれた論文だ。

今でこそ「放送」に関わる仕事は、やや特殊ではあるものの珍しくはない。しかし、NHKがテレビ放送を始めたのが1953年。その当時では、放送に関わる仕事をする人々は、まだ十分な定義と認知を持たない人々であった。そにを梅棹は「放送人」と名前を与えた。

そして、その「放送人」が持つ特徴について

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第二十四回 ファストコンテンツからコンテンツファーストへ(4)

前回は、「コンテンツファースト」、つまり「コンテンツ第一主義」について触れた。

言い換えれば、それは「コンテンツ」を始点にする、ということでもある。プラットフォームに頼り切るのではなく、またPVのために書くわけでもない。そんな姿勢が「コンテンツファースト」だ。

では、その「コンテンツファースト」を支えるものとは何だろうか。疑問を変形すれば、「コンテンツ」を始点にするとはどういうことだろうか。

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第二十三回 ファストコンテンツからコンテンツファーストへ(3)

工事現場では、「安全第一」が掲げられている。英語で言うと「Safety First」。ちなみに米国で誕生した標語らしい。

ウィキペディア に面白いエピソードがある。

1900年代初頭、アメリカ国内では不景気のあおりを受け、労働者たちは劣悪な環境の中で危険な業務に従事していた。 結果、多くの労働災害に見舞われていた。

当時、世界有数の規模を誇っていた製鉄会社、USスチールの社長であったエルバー

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第二十一回 ファストコンテンツからコンテンツファーストへ(2)

前回は、ファストフード産業とその変化について書いた。

ある環境に最適化し、大きな業績を上げている企業でも、環境そのものが変わってしまえば力は発揮できず、さらに過剰な最適化のせいで次の変化にうまく適応できない。そんなお話だった。

さて、本題であるメディアに話を移そう。

ちかごろのコンテンツ、特にウェブコンテンツは明らかにファスト化していた。質は気にしない。ともかく値段(無料)や量で押していく。

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第二十回 ファストコンテンツからコンテンツファーストへ(1)

異なる産業を比較して眺めるのはなかなか楽しい。

流通しているものは違っても、人と商品が関わり合う構造そのものは同一だ。何かを作り、売り場をセッティングし、それを誰かが買う。人が動き、物が動き、お金が動く。そうした骨子は同じなわけだ。

だから二つの産業を注意深く観察すれば、何かしらの知見が得られる可能性がある。

ファストフード業界が苦戦している。売上げの低迷もあるが、マクドナルドやゼンショー(

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第十九回 断片化の進行と関係性の醸造

FacebookやTwitterでは、たまに「いい話」が流れてくる。結構なことだ。

しかし、そうした話がまったくの事実無根だったり、かなり「事実の厚化粧」をしていることがある。要はねつ造だ。

それに対して、「ねつ造は良くない」という意見もあるし「感動してるんだから、水を差すなよ」という意見もある。私は前者だが、まあ、それはどうでもいい。

少なくとも、私たちは小説という虚構を、つまりねつ造され

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第十七回 ブログと読者と広告と

一時期、「広告ブロック」なるものが話題に上がっていた。最近は下火である。少なくとも、そういう気がする。まあ、そんなものかもしれない。こういうのはデフォルトでないとなかなか広まらない。

しかし、「広告ブロック」問題は、ブロガーに一つの問いを突きつけた。「あなたのブログにとって、広告とは何なのか?」という問いだ。

僕はGoogleのAdsenseをずいぶん前に外した。今使っているのはAmazonの

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