第十五回 枯れ木は良く燃える

「ネットは、ネガティブなコメントや短絡的なコメントが山のようにつくところが嫌だ」

という話を聞いたことがある。僕は首をかしげた。

たしかにそういうコメントが付くことがないわけではないが、「山のように」ではない。そもそも、ここ最近の僕のブログは、二つ名を「枯山水」にしてもいいくらい落ち着いた雰囲気を見せているので(あんまり人気がないことをかっこよく修辞してみた)、実際ネガティブなコメントや短絡的なコメントはほぼまったく付かない。

ようするに、その人と僕のネットワークが違っているのだ。

ダンカン・ワッツの『偶然の科学』が面白い。ネットワークが生み出す流行について、火事をたとえにして説明している。

乾燥している木材が大量にあれば、たとえ小さな火であっても、大火災を発生させることができる。その事件を後から分析すれば、マッチの火が「原因」だと言われるだろう。しかし、枯れ木が大量に集まっていなければ、どれだけマッチを擦ったところで火事にはならない。それがガスバーナーでも同じだ。だから、重要なのは枯れ木の集まりの方である。それさえあれば、火を起こすものはなんでもいい。わずかでも火を発生させるだけの力があれば「原因」として機能する。

このようなたとえで彼は「インフルエンサー」と呼ばれる影響力を持つ人の概念に疑問を挟む。

ようするに、インフルエンサーに大きな力があるわけではない。影響されやすい人がその人の周りに集まっていることが、インフルエンサーをインフルエンサーたらしめているのだ。

だから、その人にお願いして「これを流行させてください」とお願いしても、うまくいくとは限らない。見込んでいる客層が影響されやすい人たちとは限らないからだ。また、その人の経済予測発言には影響受けるが、文学的発言には影響を受けない人が集まっている可能性もある。その場合、経済書の口コミをお願いすることに意味はあっても、文学作品のバズりには役には立たないだろう。

ネットワークに注目することが重要、ということだ。

バイラルメディアというのがある。あるいは、それに近いブログがある。短絡人な人を集めるメディアだ。そういう人たちは、感動的な話・感情的な話にストレートに反応する。情報を咀嚼せず、そのまま鵜呑みにして、レスポンスを返す__シェアしたり、コメントをつけたりするということだ。だから、バズらせるのはたやすい。

しかし、それはそっくりそのまま返ってくる。そのメディア自身に何かネガティブなことがあれば、熟慮せずネガティブなことが口にされる。文句を言う、イチャモンをつける。エトセトラ、エトセトラ。なにせ、そういう人たちの反応によって、アクセス数を稼いでいるのだ。その数は「山のように」なるだろう。

基本的に、知名度が大きくなれば、反応を返す人の母数も大きくなる。その中には、とにかくネガティブなことを言う人も混じっているだろう。ベーシックな価値感がずれている人もいるに違いない。

発信することは、ネガティブなことを言われる可能性を引き受けることとイコールだし、さらに言えば有名になるということは、その数が大きくなる可能性も引き受けることだ。

しかし、この話と「山のようにつく」のとは別の話である。

ようは感情的・短絡的なリアクションによって、バズを生んでいることには副作用がある、という話である。

拙著『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』の中で、安売りしすぎたスーパーの話を書いた。

大特価の安売りをすることで客数を増やしたが、増えたのは「安い商品を買いたいだけの人」であり、その他の商品は買ってくれず、客単価が上がらない。しかも、そういうお客さんが増えたことで、これまでの常連客が減ってしまって、セールしないと経営が続けられないような体質に陥る。そういう寓話だ。いや、実際にあるのかもしれない。

「メディア的に生きる」上でも、その点は必死に考えた方がいい。アクセス数1000は、1000回のアクセスがあった、ということでしかない。広告料ビジネスでみれば、それがどのような人なのかは(広告主以外は)気にしないのかもしれないが、「何かと何かをつなげたい」と願っているならば、その中身に注意を向けなければいけない。

コノユビトマレと大声で叫んで、その指に掴まった人が、期待していた人たちと全然違うということは十分あり得る。

ネットは自由だ。誰にでも読まれえる。だからこそ、コンテンツの内容や見せ方によって、「誰に読まれるのか」をある程度制御しなければいけない。「たとえ誰にだって、読まれればそれでいい」というのは、媒体的な活動ではない。何かと何かをつなげたい活動ではない。

これは「量か質か」という問題ではない。質ではなく、種類なのだ。種類があって、その次に量と質の話が出てくる。

自分が展開したいことが、情報商材まがいのビジネスであれば、もちろんダマされやすい人を集めればいい。そういうコンテンツの作り方はたしかにある。でも、そういう方向を目指していないのであれば、また別のコンテンツの作り方をしなければいけない。ビジネス的な視点ではごく当たり前の話である。

「枯れ木も山の賑わい」などと言う。

でも、そこに火が付けば大惨事になるかもしれない。そいうことは一応考えておいた方がいい。

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