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Weekly R-style Magazine 「読む・書く・考えるの探求」 2018/04/23 第393号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

毎週、連載のアラカルト形式でお送りしている本メルマガですが、今週は特別号ということで、丸々一つが一つの記事となっております。テーマは「Scrapbox(で)の研究」。おおよそ1万字の文章ですので、ごゆるりと堪能くださいませ。

ちなみに、当メルマガはちょいちょいこういう特別号がやってきます。もし、「こういうのを読みたい」というご要望があれば、ぜひ教えてくださいませ。

〜〜〜選択に負荷がかかる〜〜〜

先日iPhoneを新しくした際、いくつかゲームアプリをダウンロードしました。前のiPhoneだとiOSが古すぎて遊べないゲームが結構あったのです。

ささ、これでゲーム三昧の日々が始まるぞ、と思いきや、結局そのほとんどは起動していません。で、いつも通りにパズドラばかりやっています。ああなるほど、これが「ジャム実験」の効果なのだなと、そのとき痛感しました。選択肢が多すぎて、選べないのです。

「増やしたら、増える」

というのは直感的に正しいように思えますが、

「増やしすぎたら、増えない(逆に減ることも)」

ということが起こりうることも把握しておきたいところです。

〜〜〜新しいサイトの準備室〜〜〜

先週まで書き綴っていた「知的生産の技術に関する新しいWebサイト」ですが、実はもうドメインも取得してWordPressでページも作成しているのですが、まだまだ雛形です。

で、これからそのサイトを作り込んでいくことになるのですが、どう調整すればいいのかはまだわかっていません。特に、カテゴリ設定などは、コンテンツが出揃ってみないことには決められないでしょう。

そこで、Scrapboxを作りました。

◇考えて、生み出す技術(TAC)
https://scrapbox.io/thinkandcreateteck/

まずここにミニtipsを集めていき、そこにどんな切り口が発生するのかを見極めようと思います。その後、きちんとした形でまとめて、WordPressに記事を書く。そういう流れを想定しています。

逆に、ここの使い勝手が非常によいならば、こちらをバックヤードにして新サイトの方は長文に注力していく形になるかもしれません。その辺の着地点は、ふわっとさせておいて、まずはコンテンツ集めに注力です。

で、現状私の他に、@akiさん(TwitterIDは@akio6o6)にメンバーとして参加いただいております。

最終的なWebサイトは複数人で運営することを想定しているので、こちらも同じように複数人での運営がよいでしょう。でもって、複数人が集まったときにでも機能するカテゴリは複数人を集めて確かめるしかありません。

なので、もし上記のような「知的生産の技術」に関するtipsを収集されていて、Scraboxへのメンバー参加に「興味あるよ」という方は、ぜひご連絡ください。このメールへの返信や、noteへの書き込み、TwitterやFacebookでのリプライやDMでもなんでも結構です。

おそらく、このScrapboxの運営が、「新しいWebサイト作り」の事始めになっていく予感があります。

〜〜〜隣町の斉藤さん名言集その1〜〜〜

「完璧な文章など存在しないよ。存在するのは、そのときの自分にとって精一杯の文章だけさ」

〜〜〜実用書における指針〜〜〜

私は、自分が書く本が、「わかる」「できる」「やりたくなる」の三要素を満たしているといいなと常々考えています。

まず、わからなければどうしようもありません。しかし、わかった(≒知識を仕入れた)だけで、実践できないなら力不足です。やはり、「できて」こそのノウハウ書でしょう。

その上で、その対象について「やりたくなる」気持ちを持って頂ければ最高です。知識だけでなく、実践だけでもなく、意欲も刺激する。そういう本が書けたら、物書き冥利に尽きます。

でもって考えてみると、これは私の基本的な指針である「読みやすく、面白く、役に立つ本を書く」に見事に対応しています。この指針をノウハウ書で実装すると、「わかる」「できる」「やりたくなる」となるわけです。我ながらなかなか興味深い対応です。

〜〜〜隣町の斉藤さん名言集その2〜〜〜

「人はコケて強くなるのさ。前に進もうとする人間は必ず一度は転けるものだよ」

〜〜〜文を練り直す〜〜〜

文章を書く際は、とりあえず思いついたように書いてみて、それを「ふむ」と眺めて書き直し、自分が言いたいことに近づけていく、という手法が一般的なように思えます。で、その修正の仕方によって文章の個性が出てくるのだと想像します。

単純に考えれば、その際書き換えのパターンをたくさん持っている書き手ほど、自分の言いたいことに近づけられるでしょう。センスの引き出しがスキルなわけです。

そこで考えました。まず、たくさんの書き手を集めます。そして彼ら彼女らに生煮えの文章を提示して、どんな書き換えの候補が浮かんだかを列挙してもらいます。いわば、文章のリファクタリングの内部を開示してもらうわけです。

で、それを一冊の本にまとめて『文体解体新書』と名付け、そこから有用なパターンを抽出し、それをセンテンス・リファクタリング・パターンと名付けるのはどうでしょうか。実践的な文章作法の技術書になりそうな気がします。

おそらくレーモン・クノーの『文体練習』や、神田桂一&菊池良の『もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら』と同じ本棚に陳列されることになるでしょう。もし作ったとしたら、ですが。

〜〜〜逆向きに考える〜〜〜

「ハンマーを手にしている人は、すべてが釘に見える」というのは、有用な警句です。道具が目的を歪めてしまう、という話ですね。

これを逆に考えてみましょう。「すべてが釘に見えるとき、あなたはハンマーを手にしている可能性が高い」。もし、世界が何か一つのもので染まっているように見えるなら、そういう風にみえる道具を手にしているかもしれません。道具を手放せば、世界の見え方が変わる可能性があります。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチがわりにでも考えてみてください。

Q. アイデアメモって、どこにどんな風に保存してますか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2018/04/23 第393号の目次
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○「Scrapbox(で)の研究」 #「メモ」の研究
 ## 研究ノートの歴史
 ## Evernoteでやっていたこと、できること
 ## アイデアを見えるようにする
 ## Scrapboxで、やろうとしていること
 ## 現代の情報カードについて
 ## 問いに対する答え
 ## 仕組み化の必要性
 ## Scrapboxではたどり着けないこと

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「Scrapbox(で)の研究」 #「メモ」の研究

最近、他人様の「研究」がそわそわと気になっています。

たぶんそれは、自分のやり方に何か足りないものがあると感じているからなのでしょう。

## 研究ノートの歴史

私はこれまで「研究」をやったことがありません。

もちろん自分なりに情報を集めたり、考えたりはしたことがありますし、だからこそ本を書いているわけですが、どこか自己流というか、本流を外れている感覚がずっとあります。

論文を書いた経験もないので、アカデミックな領域で行われる研究の実体もわかりません。本を読むことで知識は仕入れられても、肌感覚としてそれがどのようなものかはわからずじまいのままです。

よって、私ができるのは自己流の話だけです。

一番最初はメモを取っていました。その頃は『知的生産の技術』も読んでおらず、ただ考えたことを書き留めるための装置としてメモを使っていました。「知的生産」という観念もなかったかと思います。

また、ノートもよく作っていました。勉強のためなのですが、麻雀の「何切る」を集めたり、パチンコ屋さんのデータを集めたりといったサブカルチャー(というかなんというか)の探求のためです。

あと、仕事でもせっせとノートは使っていました。仕事を整理したり、売上データを残したり。しかし、それは実際的なニーズに基づいた行為であり、研究や探求とは呼びがたい行いです。

その一方でブログを更新していました。R-styleというブログです。仕事に直接関係あるわけでもなく、儲けてウハウハするためでもなく、自分の身の回りの思索を綴るためのブログです。

もしかしたらこのブログが、研究ノートに近いものだったのかもしれません。ブログに書いていたことがきっかけとなって本を書き、そこからジョブチェンジにいたりました。

物書きになってからは、さらに本格的に情報整理について考えるようになりました。業務上の要請が、知的生産への興味とぴたり重なったわけです。

とは言え、物書きになって学んできたのは、基本的に本の書き方です。研究のやり方ではありません。

一時期は、アナログノートを使って、ドラッカーの「研究」をやっていました。彼の著作から重要な部分を引用し、そのことについての考察を書き加えることをしばらく続けました。たぶんこれが、私の人生の中で唯一の研究らしい研究だった言えるでしょう。

100ページの大学ノートを使って行われたその研究は2010年10月に始まり、2012年2月に終了しています。2012年頃は、徐々にデジタルシフトが進んでいた時期で、その辺りからアナログのノートを使って同一のテーマにについて書き綴る、ということはほとんどなくなりました。

一応このノートの「研究成果」は直接世に出たわけではありませんが、その後出版された『ドラッカーから学ぶブログ・マネジメント』という本の思想的なバックボーンになりました。一応形にはなったわけです。

しかし、それ以降は情報の保存場所はどんどんとEvernoteに移行していきました。何しろそれが楽なのです。Webクリップして保存。読書メモを作って保存。アイデアメモを即座に保存。なんでも簡単に保存できます。

その代わり、あまり「研究」は進みませんでした。極めて簡単に言えば、「保存しているだけ」な状態になっていたのです。

## Evernoteでやっていたこと、できること

間違いなくEvernoteは有用なツールです。メモや資料や原稿を一カ所に集め、それらを必要なタイミングで引き出して使う。パーソナル・データベースとしては申し分ありません。私のこれまでの執筆ライフを影でしっかりと支えてくれました。

たとえば、「Evernoteをテーマに本を書きませんか?」という依頼がやってきたとします。その際私は、これまで自分がEvernoteについてメモしたことや、本文中にEvernoteが含まれるさまざまなWebクリップを取り出すことができます。しかも、そうした環境を作るための日々の手間など、あってないような極小のものです。紙ツールで同じことをやろうとすれば、頭を抱えることになったでしょう。

執筆がスタートしてからもEvernoteは力を発揮します。

書くことが決まれば、新しい資料集めが始まりますし、原稿内容に関するメモも増えてきます。当然原稿そのものも生まれます。それらを企画名をつけたノートブックに入れておけば、いつでもそれらの情報が取り出せるわけです。クラウド万歳!です。

脱稿したら、出版社さんからゲラが送られてきますが、もしそれがPDFならそのままEvernoteに放り込んでおけますし、紙ならスキャンして取り込めます。完成品が電子書籍ならePubファイルをそのまま保存することも可能です。テキストや画像だけでなく、ファイルも取り込めるEvernoteの面目躍如でしょう。

◇ ◇ ◇

上記のように便利に使えるEvernoteではありますが、一方でメモの死蔵問題があります。

先ほど覗いてみたら、私のEvernoteの「アイデアノート」ノートブックには、約4600枚のノートがありました。それらのノートはほとんどが一行〜数行の走り書きメモで、しかもほぼ活用されていません。呼び出されるのを待っている状態です。つまり、死蔵しているのです。

おそらくこの「使われていない大量のアイデアノート」の存在が、私の懸念を引き起こしています。

あらかじめテーマが準備されていて、それについて情報を出し入れするのはEvernoteでまったく問題ありません。むしろ得意分野と言えるでしょう。しかし、そのようにして枠組みが用意されていないものはどうでしょうか。大量のアイデアノートを見る限り、うまく機能はしていません。この点こそが、「研究できてない」という感覚を生み出しています。

自分からの企画案にせよ、出版社さんからの提案にせよ、明示的にテーマ設定できるものは体制が整っています。しかし、蓄積されたアイデアノートから、何か大きな思想が育っている感覚はまるでありません。

そうした思いつきはたくさんあり、しかもコンテキストを共有していると感じられるものは山ほどあるのに、それが一つの大きな塊にはなっていかないのです。

原因はなんなのでしょうか。

私は、「多すぎて見えなくなることが問題だ」と考えました。

書き留めたものが見えなくなる→書いたことすら忘れる→死蔵

こういう流れです。

で、この想定に基づいてさまざまな対策を考えました。

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