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私のデイリータスクリストの作り方・扱い方

最近は、Scrapboxでデイリータスクリストを作っている。

以下のような未実体ページにおいて、

UserScriptで追加したテンプレート作成ボタンをポチッと押せば、

じゃじゃーん、という感じで以下のようなリストが作成される。

これで、「さあ、一日の始まりだ」──というわけにはいかない。ここから調整が始まる。

リストの三つの調整

デイリータスクリストには「今日やること」を記載するわけだが、これは実に微妙な表現である。

もう少し言い換えれば、「今日やると、私が決めたこと」になるだろう。が、ここにも微妙なものが含まれている。

しかし、そこに踏み込む前に、リストの調整について見ていこう。

大きく分けて三つある。

・順番
・内容
・削除

まず、一日の流れみたいなものをイメージして、どの順番で実行するのかを大雑把にイメージする。私にとってはまったく同じ一日でも、妻が出勤なのか休日かなのかによって、結構タスクの順番というのは変わってくる。もちろん、私の体調的なものもある。そういうのを考えながら、着手した方が良いであろう順番にタスクを並べ換える。

まず、こういう操作ができる、という点でデジタルツールは魅力的である。特に、アウトライナー、Scrapbox、そして(自作の)7wriner、といったツールは項目の入れ替えが容易にできる。これは大切なポイントだ。

続いて内容。並んでいる項目には、一目で「次に何をするのか」がわかるものもあるし、そうでないものもある。たとえば、「コンビニBlog」は、実際は「コンビニBlogの更新」だし、その中にはかなり複数の工程が入っているが、私の頭の中ではワンアクションである。だから、これはこのままで問題ない。しかし「Honkure」だと不思議とそうはいかない。その日何を紹介するのかをこの時点で想定しておきたくなる。

また、「メルマガ」や「2019年確定申告プロジェクト」は、一種のプロジェクトであるので、具体的に何をするのかを決める必要がある。

でもって、これらはそれぞれの項目の、下位項目として設定される。だから、少なくとも階層的表現、あるいはその内側にメモ的なものを配置できるツールが望ましい。これも、先ほど挙げたツールはきっちりと満たしている。

最後に削除である。テンプレート的に設定してあるけれども、そこにある全ての項目を「今日やりたい」と思えるかはわからない。その他の予定や調子によっては、これはやめておこうと思えるようなものは出てくる。で、そうしたものはあっさり削除してしまう。だって、やらないから。というよりも、やろうと思えていないものをリストに加えるのは危険だからだ。「混ぜるな危険」である。

この削除が簡単にできるのも、デジタルツールの良いところである。だからこそ、テンプレートが使える。どういうことだろうか。

一昔前は、手書きでこのデイリータスクリストを運用していた。で、その際に「省力化」のために「どうせ毎日書くもの」を印刷&コピーして運用しようとしていた。が、これがダメなのだ。その日に「やろうと」決めていないものまで記載されてしまう。そして、印刷された項目を「なかったこと」にすることは非常に難しい。

だから、手書きのデイリータスクリストは毎日手書きをして、ゼロから書き起こしていた。そうすれば、不純物(つまり、今日やろうと決めてはいないもの)が混ざり込む可能性が小さくなるからだ。

しかし、デジタルツールではあっさり消せる。しかも、これらは別に「ルーチン」の項目として、「設定」されているものではない。単に、デイリータスクリストのテンプレートである。言い換えれば、「今日やること」の雛形だ。もう少し言えば、「毎日の自分がやろうと決める可能性が高いもののリスト」である。これは、「今日やることリスト」の土台にはなるが、それとまったくイコールではない。

だからこそ、上記のような調整を経た後に、はじめて「今日やることリスト」ができあがるのである。

メタ調整

のようなことを自信満々に書いていると、さぞかし一日の終わりには「デイリータスクリスト」は綺麗に完遂されていると思われがちだが、もちろんそんなことはない。100%完全に達成できる日もあるが、そうでない日もある。というか、タスクが溢れ落ちる日の方が多いくらいだろう。

なにせ、「やろうと決めること」は、「できること」を意味しない。漫画では、意志の力で実行可能性の上限が上書きされることが多いが、現実の私たちはそうではない。やっぱり、不完全で不合理な人間なのである。

が、そうであっても、私はこうして毎日R-styleを更新しているし、一年に何回か本も出版できている。そういうタスクに関しては、一日のうち、できるだけ早い時間で実行するようにしているからだ。

で、それとトレードオフ的に、後回しにされるタスクほど、実行されない確率が上がってくる。でも、まあ、仕方がない。人間だから。何もかもを手にしようとするのは、望みすぎというものだ。大筋のことをこなせていれば、十分ではないか。

できなかったらできなかったで、明日以降にやればいいし、なんならやらないで済ます選択もあるかもしれない。やらないでいたら「やらなくても問題ない」と気がつけることだってある。それだって立派な発見だろう。

書かないこと

さらに言えば、このリストにはやることすべてが書かれているわけではない。たとえば、私は2220日以上パズドラで連続ログインをしているが、「パズドラにログインする」という項目を書いたことは一度もない。書きたいと思ったことも、書かなければいけないと思ったこともない。同じように、読書するという項目もない。

そういう項目は、私は「やってもらなくてもいいこと」だと思っているし、デイリータスクリストは「やってもらなくてもいいこと」を書く場所ではない。だから、書かない。単純な話である。

そうなると、である。

ここで重要なのは、私がそれぞれの項目をどう思っているのか、ということだ。「今日やるべきだ」と思っているのか、それとも「できればやった方が良いかな」と思っているのか。あるいは「どっちでもいいな」と思っているのか。それぞれは、実行されれば「一日の行動」ということで一日のリストに載るが、実行される前の段階では性質が異なる。そして、リストというのは、同じ性質のものを集めるものだ。だから、デイリータスクリストに載せるものと、載せないものがある。それを見分けられるのは、その日行動しようとしている自分自身だけだ。

そしてもし、「今日やるべきだ」と思えることが、一日の時間量を超えているならば、これはもうお手上げである。Magicを使わない限りは解決できない。テクニックでどうにかなることと、そうならないことがある。

私の場合は、ながらくこの方式を使っているので、「無理しないでできるだいたいの作業量」を理解している。でもって、ここ10年は仕事の内容がまったく変わっていない(≒毎日文章を書くだけ)。だから、私がデイリータスクリストのテンプレートに設定していることは、それほど大幅な修正は必要としない。(降水確率と同じ意味合いでの)80%の確率で達成可能な分量だ。

しかし、状況が変われば、話も変わってくるだろうことは頭に留め置きたい。

さいごに

本当にひどいときなどは、私はデイリータスクリストの項目から「朝棚」と「R-style」以外をすべて削除し、一切無視してしまうことがある。だって、それくらいしか「やろう」と思えないのだから、仕方がない。そこで嘘をついてもあんまり意味はない。

私は別に理想の自分として生きたいわけではなく、なるべくなら少しよく生きたいと考えているだけだ。だから、スタート地点はいつでもそのときの自分になる。

で、そうやって項目を削除しても、ついついメモを整理したりはする。それはそれでいいし、実行した後でタスクリストに追加してもいい。あたかも「私は前からこれやるつもりでしましたよね」みたいな顔をしてリストに紛れ込ませるのは、嘘でも何でもない。チェックマークがついた項目は、ただの実行済みリストなのだから。

以上のようなリストを巡る話は、『アウトライン・プロセッシングLIFE』で語られていることと非常に近しいように思う。「こうなればいい」という理想が一方にありながら、「でもできるのはこれだけ」という現実も依然としてある。それにいかに折り合いをつけていくのか、というといかにも消極的に響くのだが、実際は「でもできるのはこれだけ」を少しだけでも「こうなればいい」に引き寄せる、という形が近いのかもしれない。

まあ、所詮それは捉え方の話にすぎない。でも、先ほど考えたように「どう思っているか」によって扱いが変わってくる、という点は気に留めて置いた方がよいだろう。

というわけで、今回は「私のデイリータスクリストの扱い方」を紹介した。基本的にこの話は、それ以上でもそれ以下でもない。汎用性などどこ吹く風である。

※この記事はR-styleに掲載した記事のクロスポストです。


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