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むかしのブログとnote

徳力さんの記事を読んで、自分も何か書きたくなった。

まとまっているわけではないので、雑感に留める。

noteとSNS

noteは、一応ブログサービスに位置づけていいと思うが、フォロー機能を持っている。この点は、SNSに近しいと言えるだろう。

そこで、Googleリーダーが思い出される。

昔のブログは、RSSリーダーによって読者とつながっていた。「購読」があったからこそ、読者はブログとつながることができた。言い換えれば、そのブログの「読者」となることができた。キーワードだけで断片的に摂取される検索とは、この点が大きく違う。ブログが「場」たり得たのも、RSSリーダーに依るところが大きいだろう。

しかし、Googleリーダーはなくなった。後続のツールはあるが、そもそもGoogleがさよならを告げた時点で時流は明らかだ(あるいは、Googleがそういう方向に時流を導いたのかもしれない。彼らは購読よりも、検索を好むのだから)。

ともかく、時代の流れがSNSになりニュース系アプリに傾いたことで、ブログは「読者」を失った。言い換えれば、安定して読んでくれる固定的なリピーターを獲得しづらくなった。代わりに台頭してきたのが、SNSでシェアされることを目的とした扇動的な記事と、Googleをハックすることだけに最適化された、一記事百円かそれ以下で大量生産されたコンテンツ群である。

古参ブロガーはその状況を悲しく思っただろうが、何かを言えば「老害」と罵られるのが見えている。沈黙するしかない。

しかし、noteはそこに光を当てた。

noteのフォロー機能は、RSSリーダーを介さない「購読」機能である。RSSリーダーというツールの存在すら知らない層に、バズりや検索とは別の情報伝達手段をもたらしてくれる。

この記事的なRSSリーダーの復興は、きちんと読者を獲得できる書き手にとっては、福音以外の何ものでもないだろう。

もちろん、noteを使っているユーザーに限られるというデメリットはあるものの、乱立しまくり、休止も珍しくないブログ提供サービスの悲惨な状況を考えれば、これは光明と言える。

トラックバック

そして、最初に引用した記事の「トラックバック」である。

ある時期に、ブログに記事を書くことの楽しさは、間違いなくトラックバックがもたらしてくれていた。

それによって議論が活発に進むこともあったが、そうではないほのぼのとした使われ方でも十分に面白かった。

トラックバックされる方は、自分の「言説」(広い意味で捉えてもらっていい)がどんな影響を与えたのかを知れる。その反応は、以外であればあるほど面白かった。

トラックバックをする方は、──多少勇気はいるものの(※)──既存の「言説」に対して自分の意見をぶつけることができた。ポイントは、もともとの言説の発信者に対して、自分の意見の存在をアピールできることだ。
※Twitterユーザーならコメント付きRTをする気持ちを思い浮かべるとよいだろう。

さすがにいちいち「こういうことを書きました。読んでください」とメールするのは気が引ける。しかし、黙っているのもなんとなく惜しい。そういう気持ちはよくある。トラックバックという機能は、そのしまい込まれがちな気持ちを隠さないでよい環境を整えてくれた。

これによって、ブロガー同士の交流が生まれた。もちろん、ブログ記事を介した交流であり、最近の「SNSでは仲良くやっているがブログ記事ではまったくお互いの意見に何かを足したり掛けたりはしない」という交流ではない。

この記事の中の交流は、ブログの読者にとってもメリットがあった。

まず、多様な意見を読むことができる。ある記事に「これはAです」という主張があっても、そこに「これはBです」というトラックバックがついているなら、自然と意見が相対化される。

そしてそこから、読者は新しいブログを「発見」することもできる。

現状の、アフィリエイトや広告表示に特化したブログでは、他人の面白そうなブログにリンクがほとんど貼られていないので、こういう動線はほとんど絶望的なまでに望めない。インターネットは、リンクでつながっているにも関わらず、である。

総じて言えば、トラックバックはいろいろなものを「広げて」くれた。noteのこの機能にも、同じような広がりがあることを期待してやまない。

そうはいっても

そんな素晴らしいトラックバックであるが、結局スパムの温床になり、利用する人がほとんどいなくなってしまった。

インターネット黎明期の基本的な機能の実装は、だいたいが性善説に基づいている。というか、小銭を儲けるためだけに、そんな面倒なことをやるやつはいないだろう、というような人間観に基づいて設計されている。

でも、現実の姿は違ったわけだ。

さて、noteはどうなるだろうか。運営会社というものがあることで、自由なWebと違ってスパムのアカウントを弾くことはできるだろう。それは良いことのようにも思えるし、危ないことのようにも思える。

しかし、そうはいっても、もはや牧歌的な昔のWebに戻ることはできない。少なくとも、その時代の想定を前提にはできない。

今後どんな風にnoteが広がっていくのか、そして使われていくのか。少しだけ古参なブロガーとしても気になるところである。

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