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「日記」の研究ことはじめ

「あなたは日記を書いていますか?」

という問いに答えるのが難しいのは、何をもって「日記」とするのかが現代では自明でないからでしょう。

昔はもっと単純でした。日記帳があり、そこに書き込まれたものが日記と呼ばれました。もちろん、日記帳として販売されているものだけが日記帳だったわけではありません。大学ノートでも手帳でも、書かれるものはなんでもよいのです。書く当人が「ここに日記を書くのだ」と決めればそれが日記帳となり、そこに書かれるものが日記でした。

現代の多用なメディア環境では、話はそんな単純には進みません。

私たちの身の回りには、書き込むツールが満ち溢れています。技術革新は、コミュニケーションと情報発信のためのメディアの境目をわからなくしてしまいました。パソコンに書かれる業務日誌、ライフログ、ブログやSNSに綴られる日々の記録は、当人がそう自覚していなくても、日記的な性格を帯びてきます。

そうした新しい日記と古き良き日記は同じなのでしょうか。それとも違うのでしょうか。明らかに内向きに書かれた記述と、若干外向きを書かれた記述。意識的に残された記録と、意識外で残っていった記録。一口に情報と言っても、その性質は大きくことなります。その差異は、私たちと日記の関係にどのような変容をもたらすのでしょうか。

気になることは尽きません。

だからまず、私はこの問いから始めたいと思います。

「あなたにとって日記とはなんですか?」

切り口はいろいろあるでしょう。

自分にとって日記とは何か。どんなツールか。何を目的とし、どんな意義があるか。日記をどうしていきたいのか。どんなことを求めているのか。

こうしたものを集めることで、総合的な日記についての立体図が浮かび上がってくるかもしれません。それが「日記」の研究の小さな一歩になりそうです。

さて、あなたにとって日記とはなんですか?

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