シンプルでいて複雑(SS)

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神様がくれた謎(シチュエーションお題SS)【創作の本棚】
よりお題をいただいたショートショート
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「ねえ、なぜ神様は世界をこんなに複雑にしたんだと思う?」
 そう質問してきた彼女に視線を向ける。すっかり読書モードは終わったようだ。文庫本には栞が挟み込まれ、彼女のもう一つの魂であるかのように机の上に鎮座させられている。
 彼女にあわせて僕も読んでいた本を閉じた。栞はないので、代わりにカバーを挟み込んでおく。
「複雑? むしろこの世界は恐ろしいほどシンプルにできていると思うけどね。僕としては」
 ふむ、と小さく彼女が言う。そしてしばしの沈黙。
 僕の発言をさまざまな角度から検証しているのだろう。目を見ればわかる。 今、彼女のCPUは検証・反証・吟味・連想・さらなる連想……とさまざまな思考アプリを走らせているに違いない。
「でも、私たちは未だに解明できていない謎があるわ。これだけ科学技術が進んでいるにも関わらず。それに未来を確定的に予測することだってできない。私たちがこうやってメッセージを交換することにすら、ノイズが付きまとう。これって複雑じゃないのかしら。そういうものがなかったら、もっとシンプルに私たちは生きてけるのに」
「それは僕たちが、この世界を複雑に生きているだけじゃないのかな。犬はこんな世界でもシンプルに生きていると思うよ」
 ふむ、と再び彼女が言う。わん、と僕が答える。
 彼女は何も言わない。深く沈んだ目は、僕の見通せない世界を覗き込んでいるようだ。
 僕は再び本に手を伸ばした。沈黙は苦痛ではないが、本の続きも気になる。事務所をオープンしたばかりの探偵のもとに一通の手紙がやってきた。しかし、彼宛のものではない。この場所を以前使っていた人間に送られた手紙だ。封筒には「至急」と大きく筆で書かれているのだが、一枚だけ入っていた便せんには、何も書かれていなかった。ただ隅の方に桜のスタンプが一つ押してあるだけ……
「だったら、なぜ神様は私たちをそんな風にしたのかしら。つまり、この世界を複雑に生きるようにしたのはなぜかってことよ」
 突然彼女が質問を返す。僕の読書モードは何一つ尊重されないらしい。いつものことだ。
「別にそんなことはしてないんじゃないのかな。ただ見守っていたら、人間たちがそういう風に生きはじめただけで」
「それは逸脱ということ?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。もともと、かくあるべしなんて無かったんだよ。ただ、見守っていただけ。だから逸脱とは言えない。でも、人間が飛び抜けて変な存在になったことも確かだ。宇宙の存在について議論する動物は他にはいないからね。だから逸脱しているとも言える。結局の所、それも視点の問題じゃないかな」
「あなたは、いつだって相対主義者ね」彼女は笑みを浮かべて言う。
「絶対的な相対主義者」僕は答えを返す。
「ほら、やっぱり複雑じゃない」
「それは僕が複雑であることを示しているだけで、この世界の複雑性にはなんら関係のない話だ」
 わざとらしくメガネを直しながら僕が指摘する。ハカセキャラの定番ポーズだ。
「でも、あなたはこの世界の一部なんでしょ」
「そうとも言えるね」
「だったら、この世界は複雑だよね」
「複雑性を含んでいるものがシンプルに振る舞うことだってあるし、シンプルなものが集まると複雑性を持ち始めることだってある。一部を証明しても、それが全体まで波及するとは限らない」
 ふ〜ん、と彼女が言う。飽きてきたのだろう。30秒もすれば、きっと__
「コーヒー飲みたくない?」
と言うに違いない。というか言った。
「だね。カフェに行こう。たしかバナナを使った新商品が出ていたはずだ。ああ、罪深き我が欲望よ。カロリーの過剰摂取を許したまえ」
 僕は大げさに祈りを捧げる。それを見て彼女は「シンプルでいて複雑」と言った。そう、人生とはそういうものだ。
 家から20分ほど散歩して、僕たちはお目当てのカフェにたどり着いた。新商品は美味しく、会話は楽しく、時間は流しそうめんのように過ぎていった。シンプルでいて複雑。複雑でいてシンプル。人生とはそういうものだ。

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