境界線をぼかす(ガウス)

※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。

雑なことを書きます。

先日のライフハックライブショウで、本番中だったか、配信終了後だったかにいしたにさんが、大学の授業の話をされていました。

その授業を取ったら、1テーマに関して、毎週違った教師の講義が受けられるというもの。

卑近なたとえを作れば、

今週は、地味なブログの書き方で私。次の週は、人気ブログの作り方で堀さん。その次の週は、炎上ブログの書き方で……

というイメージでしょう。

こういう授業って楽しいですよね。何が楽しいかって、「自分が価値があるとは思っていなかったもの」に触れられることです。まあ、世界中の価値なんて、だいたいそうなんですが。

普通に授業をセレクトしていけば、「その時の自分にとって価値があると感じるもの」しか選ばないわけですが、世界の土俵はそんな思い込みよりは遙かに広いので、上のような授業で得られるものは、単なる情報以上のものがあろうかと思います。

と、ということをふと考えてみると、たとえばこのnoteでいしたにさん、堀さん、コグレさんが実施されている「交換ノート」にも、何かしら近しい印象を覚えました。

コンテキストをかき乱すような、そんな意図です。あるいはその人の中にある境界線をぼやかせると言っていいかもしれません。

それぞれ誰かをフォローしていれば、その他の人のノートだって気になってくるわけですから、そこから新しい発見があるかもしれません。

たとえば書店では

ガジェット通信さんで以下のような記事を見つけました。

ジャンル問わず並ぶ本棚のフシギ 京都・北白川のガケ書房ってどんな本屋さん?

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 また、商業出版の一般書籍と取次流通では扱われない同人誌やジンも区別なく並べられています。「お客さんは面白い本を探しているわけで、それが商業かどうかというのは関係ありませんから」と山下さん。
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 トラディショナルな文芸書もありますが、あえて専門のコーナーを用意するのではなく他の本に混じって置かれているのがガケ書房流です。
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書店好き、本好きな人はいろいろな棚を巡り歩きます。でも、ごく普通の人はそうじゃありません。新刊コーナーとか自分の好きな棚だけをチェックして帰るでしょう。これでは、境界線はぼやけません。新天地へ足を踏み出すこともありません。

サイズ、出版社、著者別、エトセトラ、エトセトラ……

書店で本を並べる方法はいくつもあります。基本的には、整理しやすい方法が採択されるのでしょう。そんな「生産性」のない作業は徹底的に効率化するのが吉です。

そして、一定の作法で並べられていた方が、本を買う人が本を探しやすい効果もあります。

でも、その効率性の代わりに失っているものって結構ありそうです。境界線がはっきり定まってしまって、読者が新しい本__その人が「自分が面白いと思うとは思っていなかった」本__と出会えていないかもしれません。

それは、やっぱり長期的に見れば本の販売数の減少に結びついてしまうでしょう。

探している本がさっさと見つけられる本屋さんも、もちろん便利なんではありますが、その路線はネット書店ともろに競合してしまうわけで、中長期的に大丈夫かな、と心配になる点はあります。もちろん、理想だけで運営できるほど簡単なものではないでしょうが。

意図的に行う

なんというか境界線って、自然に、時間が経てば固まってしまうものだと思います。基本的にそれは「合意」によって成立するものであり、人々の意識は惰性で動いています。

だから、何かしら意図的に掻き回さないといけないのでしょう。

雑誌、というコンテンツは、その掻き回しに一定の貢献をしてきたように思います。しかし、Webでは「気になった授業だけをセレクト」するような情報摂取が可能です。

世界はなかなか広がりません。

雑誌の再興というよりも、雑誌なるものの再興が必要ではないでしょうか。

まあ、再興の前に、再考が必要なんでしょうけれども。

以上、雑なことでした。

※このページの内容は以上です。「投げ銭」歓迎しております。

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