最初から、最後まで読む
※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。
本を読むのなら、最初から最後まで読む方がいいと思います。
途中でぽいっと投げ出したり、拾い読みするんじゃなくて。
もちろん、それは退屈な本でも最後まで付き合え、という拷問を要求しているわけではありません。くだらない本は、読むのを止めればよいのです。人生はそんなに長いものではありませんので。
が、それはそれとして、一冊の本ときちんと向き合うならば、最初のページから始め、最後のページまできちんと著者の書いたことを追いかけるのがよいと思います。それはつまり、コミュニケーションの姿勢と同じことです。
誰かの話を途中でさえぎって、「それは、こういうことでしょう」と横やりを入れる人がいますよね。だいたいにおいて、人の話を最後まで聞かない「要約」は的外れなものです。実体験としてもそう言えます。
本を読む場合でも、たぶん同じようなものでしょう。
書き手がどういう理路で話を展開していくのか、それを補強する材料はどれなのか、想定される反論にどのように備えているのか。そういうことを確認しないと、「その本を読んだ」とは言えないと思います。
もちろん、その本を読んだと言わなければ、途中で本を読むのを止めるのはOKです。あと、途中で読むのを止めたなら、パブリックな場で、その本を評価するのも差し控えた方が大人な態度と言えるでしょう。
そうして、本を最初から最後まで読んで得られるものは、本に対する深い理解だけではありません。むしろ、よりインパクトが大きいのは、「考え方の組み立て方を学べる」という点です。
私たちは、幼児の頃、周りの人が話すのを聞いて、言葉遣いや文法を体感的に学んでいきます。結局の所、生まれたばかりの頃は、脳の多くは「白紙」なのです。それを、模倣なりなんなりで、色づけていく。それが学びということでしょう。
何かを考える力も同じです。言葉を学べば、即思考力が育つわけではありません。
思考だって、そのアプローチは他者から学ぶものです。だから、誰かが考えているプロセスをたどらないかぎり、「考え方」(考えの作法と言い換えてもよいでしょう)を得ることはできません。あるいは、広げたり、増やすことができないとも言えます。
その場合、小さい頃に周りにいた人たちが持っていた「考え方」からずっと抜け出せない、といった事態に陥りかねません。その人たちが、豊かな「考え方」を有していたのならばよいのですが、そうでなければ……。
最初から最後まで本を読むのは時間がかかります。それも、じっくり内容を追いかけるなら、なおさらです。
こればっかりはショートカットが効きません。なぜなら、考え方を変える(広げる・増やす)ということは、脳の回路を組み替えることだからです。そんなことが2時間で安易に起きてしまったら、私たちの生活(およびアイデンティティ)はぐちゃぐちゃになってしまうでしょう。
脳を変えるのは、時間がかかるのです。かかるべきなのです。
だから、短期間で効能を謳うものには、近寄らない方が(あるいは真に受けない方が)賢明でしょう。
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