第十六回 社会に価値を生む

少し前、「金臭いブログ」が一部のブログで話題になっていた。金儲けを前面に出してくるブログの是非、といったところだろうか。

正直どうでもいい話である。でも、その「金臭い」という表現が妙に引っかかった。

議論慣れしていないのか、それともわざとなのかは知らないが、「金儲けを前面に出すブログ」を否定すると、「じゃあ、お前は儲けているブログを認めないんだな」みたいな反論が出てくる。どう考えても噛み合っていない。

重要なのは儲けているかどうかではなく、「前面に出す」という点だ。あるいは、以前書いた「プライオリティー」である。

あることのおまけとして収益を期待するのと、収益だけを期待してあることをすることは、まったく違う。似たような部分があるかもしれないが、一番大事にしていることが違っている。

「でも、どっちでもいいんでしょ」

と言えるかというと、そうは簡単にいかない。この辺は、企業についての話とまったく同じだ。拙著『ドラッカーに学ぶブログ・マネジメント』でも触れたが、もう一度書いてみよう。

ドラッカーは『マネジメント』で次のように明晰に書いている。

 利潤動機には意味がない。利潤動機なるものには、利益そのものの意義さえ間違って神話化する危険がある。利益は、個々の企業にとっても、社会にとっても必要である。しかしそれは企業や企業活動にとって、目的ではなく条件である。企業活動や企業の意思決定にとって、原因や理由や根拠ではなく、その妥当性の判定基準となるものである。

企業活動の目的は、利潤ではない。利潤はあくまで条件だ。企業が行った施策がうまくいったのかどうか、それは売上げを見れば判断できる。それが「利潤が条件」ということだ。本当に簡単な話である。考えてみれば、誰にでも納得できる。しかし、「営利企業」などという言葉が誤ったイメージを導くのだろう。企業は、利潤のために、もっと言えば利潤のためだけに活動していると思い込む人がいる。それは大きな勘違いである。

もし、それが正しければ、企業は(法律に触れない限りは)どんなことをしても利益を追求することが是とされてしまう。詐欺まがいの商品でも、その商品に対する法律が追いついていなければ、それを売ることが正しいとなるわけだ。あるいは、消費者をだましてでも1円でも利益をあげることが、労働者を酷使して1円でも経費を削ることが是とされてしまう。

もちろん、そんなはずはない。

企業は社会の中に位置し、資源を使って活動を行う。使える資源が、作る人々が、流通させる市場が、買う人々がいるからこそ、存続できるのだ。だから企業は社会に対して責任を負っている。価値を生み出す義務を持っている。

ドラッカーの有名な言葉だ。

 企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。

企業は社会に価値を提供する代わりに、利益を得る。本当にただそれだけの話だ。企業活動の目的を利潤だけと捉えると、こんな簡単なことが見えてこなくなる。

短期間だけ活動し、若干の粉飾を使ってでも数字を上げ、あとは売り抜けて知らん顔する、というのはもちろん企業活動ではない。始めから潰すつもりで資金を集めるファンドも企業活動ではないし、50年以上もその土壌を汚染することを知りながら続ける工業生産もまた、企業活動とは呼べない。

企業活動は、もちろん利潤を必要とする。別にそれは否定されない。でも、利潤が最大の目的ではない。「顧客を創造すること」__価値を提供すること。それが目的なのだ。その活動を続けていくために、利潤というものが必要とされる。

焼き肉屋さんに行ったとしよう。カルビ800円、タン950円、ユッケ650円といったメニューが並んでいるのはいいのだが、その横に、カルビ800円(これで僕たちは200円儲かります)、タン950円(これで僕たちは300円儲かりますの)、ユッケ650円(これで僕たちは150円儲かります)などと書いてあったら、すさまじく興ざめするだろう。別にそんな情報を知りたいわけではない。美味しい焼き肉を食べさせてくれたらいいのだ。

「金臭い」と呼ばれているようなブログは、おそらくこの括弧書きの部分を、むしろアピールとして出してくるようなブログなのだろう。

でも、それが悪いのか?

別に悪くはない。たぶんそれは価値を提供している。たとえば、同業者にとっての価値だ。「ふむふむ、タンが結構儲かるのだな。今度からメニューに加えよう」といった価値を。でも、その価値は美味しい焼き肉を楽しみたいと思う人に向けての価値ではない。

ここが恐ろしく大切なところだ。

同業者を集めてセミナーをしたいなら、そういう価値の提供の仕方は間違っていない。というか全面的に正しい。でも、そうではないのなら、ちょっと考えた方がいい。でないと、コノユビトマレはうまく機能しないかもしれない。

ノウハウは、「どのように?」についての話だ。たまに「なにを?」も混ざってくることもある。しかし、「なぜ?」はたいていスルーされる。特に、数字が前に出てくると余計にそうだ。

価値を提供すること。

それはわかった。価値と言っても多様だ。日本にある企業の職種が多様なように__工業からエンターテイメントまで__価値の提供の仕方はさまざまある。

では、誰に向けて、どんな価値を提供する?
そして、なぜそんなことをする?

これについて考えることは、自分なりに「成功」を再定義するということである。

いささか大げさな話に聞こえるかもしれない。しかし、日本中(ひいては世界中)に向けて情報を投げるということは、実際大きい話なのだ。

簡単にできるからといって、軽くは考えない方がいい。

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