私たちはなぜ本を読むのだろうか? #burningthepage

本は死なない』の第七章『読書文化の存在意義』より。

私たちはなぜ本を読むのだろうか?

なぜ私たちは「本」を作り、そしてそれらを読むのでしょうか。

まず情報伝達手段としてのバランスの良さが、本書では主張されています。製造コストと耐久性のバランスが抜群、というわけです。

物的メディアとしてみればその通りですね。製造コストが低いのは、もちろん大量生産するからであり、逆にそれができないと書店に並ぶような本の値段にはできません。

それでも、固有の情報を伝達するためだけに新しいガジェットを作るよりは遙かに安くすむでしょう。単純に安さを追求すれば、チラシの裏に書いたものをホッチキスで綴じれば良いわけですが、今度は耐久性の面で問題が出てきます。長期的な保存には向きません。

そうしたもろもろの要素を踏まえると、本というメディアの選択肢は抜群にバランスが良い、というのは確かです。

では、情報メディアとして見た場合はどうでしょうか。

本の場合は、概念を記号化する方が解読するよりも時間がかかる。文章を書く方が読むよりも時間がかかる。

実際に書いたことがある人はご存じでしょうが、本を書くのは本当に時間がかかります。でも、それを読むのは一瞬、とまでは言わないものの比率として考えれば大変短いものです。執筆に三ヶ月かかるような本でも、2〜3時間あれば読めてしまう。そんな話はザラです。

そう考えると、あまり効率的なメディアでは無いような気もしてきます。

でも、現実として本を喜んで書く人がいますし、喜んで本を読む人もいます。そこには、伝達の効率性以外の(あるいは以上の)何かがあるのかもしれません。

一つには、以下のような理由があるでしょう。

読書には一つの答えがあるわけではない。さまざまな解釈が考えられるし、一筋縄ではいかない厄介なものだ。

いろいろな読み方ができる。これが読書の面白さ&奥深さです。映画だって解釈の余地はいろいろありますが、本に比べればそれは限られたものです。

画面にトム・クルーズが映っていたら、それはもうカッコイイわけですが、本で描写されるカッコイイ男性の解釈は本当にひとそれぞれでしょう。

著述に力があるのならば、その人が自分の頭の中で想像する一番カッコイイ人がイメージされるはずです。そんな人は、どれだけ優れた役者がいても代替できるものではありません。これは恐怖についても同じことが言えます。

ある意味で、本の面白さは、その人が内的に持ちうる豊かさと共に増えていきます。その可能性は、陳腐な言い方で申し訳ありませんが、無限大です。

読み手が、頭の中で情報を解釈し、世界を立ち上げなければいけない手間がかかる分、その奥行きはどこまでも広がりうるのです。だから、本読みの沼に一度でも嵌ってしまうと、なかなか抜け出ることができなくなるのです。そういう人はもちろん本を楽しんでいるのですが、本を楽しめるようになって言っている、とも表現できます。

つまり、自分自身が変化しているのです。

よく有名人などのインタビューで「人生に影響を与えた本は何ですか?」といったものがあります。私たちはこの質問に違和感を覚えません。それはつまり、本というのは人生に影響を与えるぐらい強い力を持ったメディアだ、ということに疑問を持っていないわけです。

もちろん音楽や映画でも、人生に影響はあるのでしょうが、より強いコミットが必要という点において、本は頭一つ抜け出たメディアと言えるかもしれません。

何を感じるか、何を考えるか、何をどう思い浮かべるのか、そこにどんな物語を見出すのか。

そういったことに強く影響を与えるメディアなのです。

一方的に受け取るメディアと違い、読者は脳を動かして世界を立ち上げる必要があります。コンピュータを例えに出せば、その瞬間メモリへの参照が起きているはずです。つまり、読み書きともにできる状態です。

脳科学の研究でも、人は記憶を思い出そうとするときに、何か気が散る要素が介入すると、思い出そうとした記憶そのものを忘れてしまう可能性がある、なんて事例が報告されていましたが、これはメモリのメタファーを支える要素と言えるかもしれません。

ともかく、読書をしていくと、脳の配線が徐々にではあれ変わっていく可能性があります。もちろん、どんな本を読むのかも、そこには関わってくるでしょうが。

もし人生というものが、誰かが感じる物語であると仮定するならば、物語を感じる力は、そのままアイデンティティに影響を与えることでしょう。

実際にそれが検証される日がやってくるのかどうかはわかりませんが、良き物語に触れることで、悪しき物語を遠ざける力は身につくような気はします。

知識だけでは、それを遠ざけることができないのは、日本の歴史で起きたいくつかの事件を覗くことで理解されるでしょう。

「私たちはなぜ本を読むのだろうか?」

その問いに対する正確な答えは出せません。しかし、「本を読むことでしか得られない体験」というのがおそらくあるのでしょう。時間つぶしのメディアならば他にいくらでもありますが、今のところまだまだ本を読む人が多いのは、やっぱり理由があるはずです。

ただ、その「本を読むことでしか得られない体験」が、本当にひとりの人間、ひいては人類全般に必要なのかどうかは私には判断できません。個人的には、きっと必要であろうと思いますが、自分自身が本読みだから起きているバイアスの可能性もあります。そのあたりは時間と科学技術の発展が解明してくれることでしょう。

今回は本を読むという行為について考えました。次は本を書く方にフォーカスしてみましょう。

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倉下忠憲

『本は死なない』を読む

ジェイソン・マーコスキーの『本は死なない』の感想を綴っていくマガジン。
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