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Scrapboxで研究生活/序/扱いたい情報/ツール組み

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/04/08 第443号


はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

新刊が発売して、一ヶ月と少しが経ちました。

これまでの本だと、発売直後はランキングがぐいんと上がって、そこからじわじわと減少し、そのまま継続的に右肩下がりになって、後は野となれ山となれ状態になることが大半でした。特に、紙版は、一度深い谷に嵌り込むと、そのままの状態が続く傾向が強かったです。

しかし、今回のやるおわに関しては、減少する速度も遅く、しかもたまにクイっと戻すこともあります。興味深い現象です。

ランキングの高さで言うと、そんなに高いところまでは上っていないのですが、あまり下がっていない(特に、急激には下がっていかない)というのは、売上げの多寡には関係なく、グラフマニア的には面白く感じています。

ちなみに、同時に発売された星海社新書の『コミュ障のための面接戦略』という本は、四月に入ったからか、一気にランキングを上げておられます。やっぱり、本が手に取られる時節というのはあるんですね。

やるおわは、どうなんでしょうか。一応一年中読める本だとは思いますが。

〜〜〜〜選挙カーと宅急便〜〜〜

先週は、やたらめったら選挙カーが走り回っていました。端的に言ってうるさいものですし、ポッドキャストを録音しているときなら迷惑以外の何者でもありません。

で、そういえば、コンビニで働いていたときのことを思い出しました。夜働いて、朝から昼間で寝る、という昼夜逆転生活をしているときに、選挙カーが通りかかると、怒りゲージが急激に上昇します。「誰が、お前に、入れてやるか」みたいな気持ちがプンプン高まります。

でもまあ、それは私が「世間一般」の生活のリズムからずれているから起きる現象です。

そうなんですね。そうして選挙カーで走り回り、大声を上げる人たちには、深夜コンビニで働いて昼間にようやく寝る時間を確保できる人たちの生活が「見えて」いないんですね。あるいは見えていたとしても、選挙活動としては迷惑を掛けるのもやむを得ない、と判断している。そういうことなのだと思います。

こういうとき、私は、疎外、という言葉を強く想起します。

あと、平日の昼間に、何の予告もなく家に宅配便が配達される、という状況も、夫婦二人が共働きで、昼間家にいないことが当たり前、という環境ではまず受け取れませんが(だから私はできる限りコンビニで受け取るようにしています)、そういう仕組みもまた、旧来的な「家庭」を前提に仕組みが組み立てられているのでしょう。

でも、時代は変わりつつあります。選挙カーも変わって欲しいものです。

〜〜〜たくさんのメモ術本〜〜〜

書店にいくと、だいたい何かしらの「メモ術」の本が、新刊・話題書のコーナーに並んでいます。

で、メモ取りというシンプルな行為に、それほどのバリエーションがあるはずもなく、それらの本は、細かいパッケージが違うだけで、だいたい言っていることは一緒です。「メモを取りましょう」

こういう状況を見ると、何か定番本一冊だけあればよく、みんなそれを読めばいいじゃん、みたいに感じてしまうのですが、おそらくそういうことではないのだろうな、と最近感じつつあります。

たとえば、車を買うのでも車種があり、オプションがあり、車体カラーがあります。どれも交通手段として見れば同じ「車」ですが、だからといって車種が一種類だけで十分とは言えないでしょう。

それと同じで、いろいろな人が興味を持ち、また実践しようという気持ちになりやすいパッケージがたくさなることは有用なのでしょう。言い換えれば、同じ場所に辿り着く入り口がたくさんあれば、そこに向かう人の総数は増える、とういわけです。

もちろん、「同じ場所に辿り着く」という前提は必要でしょうけれども。

〜〜〜晩ご飯作りを拒否する〜〜〜

うちの夫婦は、結婚した当初〜半ばまでは妻が夕食作りを担当しており、半ば〜現在は、私が夕食作りを担当しています。

で、お互いに、仕事で疲れているときにご飯を作ることのハードルの高さを認識しているので、「今日は無理。晩ご飯作らない」と宣言したら「じゃあ、コンビニで」とすぐに落ち着きます。

気後れも気遣いも配慮も「べき」論も、一切顔を出しません。非常に気楽です。

〜〜〜5年という年月〜〜〜

以前、拙著新刊の書評記事をエゴサーチで発見したので、喜び勇んでお礼のツイートをしたところ、意外なリプライを頂けました。

このときの、私の感情は、とても一言で言い表せません。喜びがあり、意外性があり、混乱があり、納得感があり、やっぱり喜びがありました。

何がどう転んだら、『アリスの物語』を読んでブログを書き始めることになるのかわからなかったので、いろいろリンクを踏みまくっていると(インターネッターの手癖みたいなものです)、以下の記事を見つけました。

二つだけ、思うことを書いておきます。

・アウトプットすることは、たとえそれがどのようなものであれ小さいことではない
・何かを目的として継続してくことは、たとえそれがどのようなものであれ小さいことではない

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

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 地震予知、市場予測、技術評価、人口予測など、科学技術的手法を取り入れた予測は、現代社会のさまざまな領域に深く浸透している。本書では、諸領域における予測がどのようにして社会をつくるのか、その見えざる過程を明らかにし、予測と社会の複雑かつ多面的な関係性を考察する。
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 「ニホン人は昔から刺し身を食べていた」だって? ジョーダンじゃあない、食べていたのは海沿いの高貴な身分の人たちだけ。冷蔵・冷凍流通網が整った戦後になってから、新鮮な魚が日常的に食卓にのぼったのだ!
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 クールベの《世界の起源》が書かれた1866年から、オルセーに寄贈される1995年のあいだに、この絵画がたどって来た数奇な運命を、オークションの記録、個人の日記、往復書簡、企業の帳簿、雑誌論文、新聞記事、最新の学術論文等、あらゆる資料から綿密に跡づけ、その全貌をあらわにする型破りの“探偵小説”。
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〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 毎日確認している数字(あるいは指標)は何かありますか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、一つの大きなお話をお送りします。

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2019/04/08 第443号の目次
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○「Scrapboxで研究生活 序」
○「Scrapboxで研究生活 扱いたい情報」
○「Scrapboxで研究生活 ツール組み」
○「Scrapboxと研究」

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

○「Scrapboxで研究生活 序」

最近は、Scrapboxでアイデア管理をしています。

◇倉下忠憲の発想工房
https://scrapbox.io/rashitamemo/

この「発想工房」という名前は、ちょっとした思いつきでしかありませんが、それでも少しずつ「名は体を表す」ようになりつつあります。

もちろん、情報の総合置き場は今でもEvernoteです。これが変わることはしばらくないでしょう。しかし、私の発想の最前線は、たしかにこの工房にあります。これまで私が望んできた多くのことを、この場所で実現できています。

そこで今回は、私が構築しつつある、Scrapboxでのアイデア管理について書いてみます。しかも、かなり本格的に書いてみます。二時間映画をがっつり観るくらいの気概でご覧ください(おおげさ)。

全体の分量が多いので、三つのパーツに分けましょう。

まず、私がアイデア管理で扱いたいものを検討します。その後、実際にどのようにツールを運用しているのかを紹介し、最後に「研究生活」についてまとめてみます。

○「Scrapboxで研究生活 扱いたい情報」

まずは、「アイデア」についてです。アイデアとは何か?

安心してください。ここで原理的考察を経て、アイデアを定義づけようというのではありません。そうではなく、私が何を「アイデア」として扱っているのか、というお話です。

まず、総体としての「思いつき」があります。かっこよく言えば「着想」、簡単に言えば「頭に思い浮かんだもの」です。

この「思いつき」を書き留めていくことが、知的生産の一歩となるわけですが、その思いつくことにもいろいろあり、一様ではありません。

たとえば、「やること」があります。「あっ、ワイヤレスマウス用の電池が切れているんだった、買いに行かないと」という類の思いつきがそれです。

同様に「4月中に各種Webサービスに登録してあるクレジットカードを新しいものに切り替えないと」・「毎日少しずつ読書メモを作っていこう」・「来月発売されるあの本買わないと」といった思いつきもあります。

これらの「思いつき」は、私の情報管理システムの中では、すべて「タスク管理部門」が担当しています。簡単に言えば、行動に関する「思いつき」はアイデアではありません。タスク(関連)となります。

■タスク/アイデア的存在

上記のような「やること」とは、少し毛色の異なる思いつきもあります。

たとえば、「〜〜というアプリがあったら面白いかも」というのは、アプリに関するアイデアです。これはタスクではありません。

ただし、未来のある時点で「〜〜というアプリを制作しよう」と思い立ったら、これは「やること」、つまり行動に関する情報に変身します。「アイデア」が「やること」になるわけです。

アプリ開発のような大仰なことであれば、この区別はハッキリしているのですが、粒度が小さく、実行可能性が高いものだと、案外それがわかりません。

たとえば、Scrapboxを使っていて、何かしら機能の不足を感じたときに、「こういうUserScriptを書けば解決するな」と思いついてしまうと、急にこの区別が難しくなります。

やろうと思いさえすれば、それは明日にでも、いや次の瞬間にでもそれを「タスク」にできます。一気に取りかかって、仕上げて、はい終了と、達成が可能です。しかし、そういう選択もしない可能性も、やっぱり存在しています。

タスクでもありうるし、アイデアでもありうる。少なくとも、私が何かしらの決定を下すまでは、両方の可能性が並行して存在している「思いつき」があるわけです。

タスク管理の視点だけを取れば、そうしたものは「いつかやりたいこと」リストに放り込まれるのかもしれません。しかし、このレベルの「思いつき」を「いつかやりたいこと」リストに放り込んでいけば、あっという間にその数は膨大になります。

それ以上に、そうした思いつきは、別に「いつかやりたいこと」ではない、という点が大きいのです。必要となったらやるし、そうでなければ、永遠にアイデアのままで漂っている。そのような類の「思いつき」を、「いつかやりたいこと」に入れてしまうと、「混ぜるな危険」の原則にひっかかってしまいます。このアプローチは使えません。

■企画案いろいろ

別の事例を考えてみましょう。

私は職業柄、本の企画案をよく思いつきます。「○○の続編」みたいな実現可能性の高いものから、『知的生産の技術を総まとめする本』のような野望を通り越して、もはや無謀の領域に達しているもの、あるいは、どう考えてもジョークとしか思えないようなものまで、いろいろです。

これらの仕分け(分類)は簡単ではありません。

タスク管理の視点を取れば、今実際に着手している企画案については「プロジェクト」に納め、近々着手したいものは「いつかやりたいこと」リストに放り込み、どう考えてもジョークとしか思えないようなものは、ゴミ箱か専用のリストに入れることになるのでしょう。

しかし、それらの企画案について、今ここでこうして書いているようには、簡単に区別はできません。少なくとも、原材料シールを確認して、「これはプロジェクト、これはいつかやること、これはゴミ箱」といった、客観的な判断はほぼ不可能です。

どうしても、そのときの自分の感覚で、恣意的な判断を下す必要がありますし、恣意的な判断は揺れるものです。

これが整理に混乱を引き起こします。どこに保存したのかがわからなくなるのです。

■タスクに紐付いてしまうアイデア

「アイデアとタスクは分けるべきだ」という情報整理に関するアドバイスがあります。これは、まったくもってその通りなのですが、実行するのは口でいうほど簡単ではありません。

たとえば、私が「電子書籍をセルフパブリッシングする」というプロジェクトを抱えていたとしましょう。そうなると、あらゆる企画案が、このプロジェクトの関連情報として格納されることになります。

もし、アウトライナーで情報を管理していたら、

仕事
 プロジェクト
  電子書籍をセルフパブリッシングする
   『』という企画案
   『』という企画案
   『』という企画案
   『』という企画案
   ・・・

みたいなものが延々と続くことになります。10や20ではきかない「企画案」がずらずら並ぶことになります。これは、タスク管理的には非常に使い勝手の悪い状況です。

しかも、ジョークのような企画案は、これとは別の場所に保存されることになります。ギリギリジョーク以上本気未満、みたいなお互いを意識し始めた高校生男女みたいな企画案については、このどちらにも置かれる可能性が出てきます。

これもまた、整理上の混乱を引き起こします。

そして、これまで使ってきたツールでは、実装の形は違えど、似たような問題が常に発生していました。「タスク」でも「アイデア」でもありうるような思いつきを、どう管理すれば最適なのかについて悩み続けていたのです。

■アイデアとネタ

もう一つ、別種の「思いつき」についても考えてみます。

たとえば以前、「話平方根に聞く」、ということを思いつきました。「話半分に聞く」のアレンジバージョンで、半分よりももっと割り引いて話を聞いた方がいいのではないか、ということを意味するフレーズです。

私はこういうフレーズをよく思いつくのですが、こういう思いつきには、「何か(たとえばアプリ)を作ろう」といった行動に関わる要素が一切含まれていません。単に、そういうフレーズ・そういう概念を思いついただけです。「やること」に変換されることはまずありません。

よって、このようなものは安心して「アイデア」として扱えます。実際、Evernoteにも、WorkFlowyにも、上記のような益体のない書き込みが山のようにあります。私がアイデアノートと呼ぶときに指すものは、だいたいこうした「思いつき」の書き込みを指しています。

で、こうして思いつく益体ないものの中には、「あっ、これR-styleで記事にできるかな」と思うものが一定量混ざってきます。一見すると、これはタスク(寄りの)情報に思えますが、私の中ではタスクではありません。

タスクと呼べるのは、「○月○日に、新刊が発売されるので、その告知記事を書こう」という思いつきです。ここまで強いコミットメントがあるならば、この思いつきはタスクとして扱えます。しかし、さきほどレベルの思いつきでは、そこまで強いコミットメントは発生していません。

で、そうしたものをタスクとして扱ってしまうと(タスクに混ぜてしまうと)、タスク管理は失敗することを長年の経験から学んでいるので、そうしたものはタスクではなく「ネタ」として扱うようにしています。特定の用途(使用先)が規定されているアイデアが、ネタです。

また、「これは今書いてある本に何か使えるかもしれない」と感じた思いつきに関しては、その本の執筆に使っているツール(たとえばScrivener)に放り込んでおきます。たいていそういうツールには、「メモ」という項目を作ってあるので、そこに保存しておくわけです。

本に関する思いつきが、もし「第三章をもう一度頭から読み返してみよう」であれば、これはタスクになりますし、「第四章の構成は前後を逆にした方がいいかも」なら、これはメモになります。

いま自分で書いていても感じますが、これは非常に細かいというか、ややこしいですね。

でも、頭の中って、こういう混沌状態が普通なんじゃないでしょうか。「分類」に合わせて、適切な形で「思いつき」が浮かんでくることは、たぶんないでしょう。

だから、処理に関する手間は絶対に発生します。脳を「改造」しない限りは避けられそうもありません。

■育てたいアイデア

思いつくものの中には、次のようなものもあります。

「プロセス型アウトライナーを使うことでゆさぶられるもの」

これも「行動」ではなく、また、どこかのプロジェクトに属することのない「アイデア」なのですが、先ほどの「話平方根に聞く」とは違いがあります。それは「育成」の必要性の有無です。

「話平方根に聞く」は、基本的にそれだけで完結しています。私がこのフレーズを思いついた時点で、その内容ははっきりしていまし、それを記述すればこのフレーズに対する処理は終わります。

しかし、「プロセス型アウトライナーを使うことでゆさぶられるもの」はそうではありません。

このフレーズを、もう少し現実の私が思いついた形に近い状態に直せば、「プロセス型アウトライナーを使うことでゆさぶられるものが何かきっとあるはずだ。それは何だろうか」となります。つまり、その内容はまだはっきりしていません。後々の内容の肉付けを必要とします。

しかも、です。

この内容は、私が他にいろいろ考えているアウトライナー周りの話とつながってくるでしょう。しかし、この時点ではそのつながりがどのようなものになるのかはわかりません。

『アウトライナー読本』みたいな本の一節として組み込まれる可能性もありますし、「プロセス型アウトライナーを使うことでゆさぶられるもの」というタイトルの文章を書くことになるかもしれません。言い換えれば、この時点で組み込むべき構造が、見出せないのです。

「話平方根に聞く」のようなアイデアについては、それまでの仕組みでも対処できていました。しかし、「プロセス型アウトライナーを使うことでゆさぶられるもの」のようなアイデアについては、ほとんど処理できていなかったのです。あるいは、どう処理すればいいのかわからなかった、というのが正確なところかもしれません。

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