Weekly R-style Magazine 「読む・書く・考えるの探求」 2018/08/13 第409号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

ブログでは紹介しましたが、「StudyWalker」に寄稿することになりました。

シゴタノ!のように毎週ずっと、という形になるかどうかはわかりませんが、とりあえず何回分かの原稿はもう書き上げてあるので、8月・9月くらいは連載が続くと思います。

ちなみにテーマは「プレイング・マネージャーの心得」です。コンビニ時代に散々体験してきたことですが、そういえばこの手の話はこれまでほとんどしてきませんでした。この連載でバシバシ知見を共有していこうと考えています。

〜〜〜悲しいお知らせ〜〜〜

日本ではニュース記事になっていませんでしたが、タイムラインでジェラルド・ワインバーグさんの訃報を見かけました。

読みやすく、面白く、役に立つ本を書く、というのが私の執筆のモットーです。そして、ワインバーグさんはまさにそのような本を書かれる方でした。

ご冥福をお祈りします。

〜〜〜知的生産と知的生活〜〜〜

「知的生産」という言葉においては、「知的」という言葉の読解に重きが置かれます。「生産」は消費の対比として明確に位置づけられ、あとは何をすれば「知的」と言えるのか。それがポイントとなるわけです。

一方で、「知的生活」という言葉では、「知的」ではなくむしろ「生活」の読解が重要な気がしています。なぜならば、生活に対比できる言葉が、明確ではないからです。

つまり、

・「知的に」生産するとはどういうことか?
・知的に「生活」するとはどういうことか?

こんな風にフォーカスが違ってくる印象があるのです。

本を読むこと。これは紛れもなく「知的」な行為でしょう。人の頭を働かせているのだからそこに「知」が関与していることは間違いありません。では、本を読めば、それだけで「知的生活」を送ったことになるのでしょうか。

そういうことを考えるのが、「知的生活」について考えることなのだと感じます。

〜〜〜inspiration stepping〜〜〜

Twitterで以下のようなつぶやきをしました。

 >>
 そうか、斜に構えるというのは、「構え」の話なのか。
 <<

突然ふと思いついたのです。そして、その後にこうツイートを続けました。

 >>
 ほとんど無意識的に発生する「構え」をいかに崩すのか。って前にも書いたな。
 <<

上のツイートの少し前に、似たようなことをつぶやいていました。

 >>
 自然に発生してしまう「構え」をいかに崩すのか。タスクの着手や発想法にも言えることではないか。
 <<

このつぶやきが8月4日で、最初のつぶやきが8月6日です。一日飛んで、少し関連することを思いついたのでした。人の「思いつき」方には、こんな風に少し間を置くインスピレーションというのがときどき(あるいは頻繁に)発生します。

このような発想の仕方について自己認識すると、なるほどScrapboxならこういうときにリンクでつなげられるな、と感心します。

おそらく8月4日のツイートは以下のようになるでしょう。

・自然に発生してしまう[構え]をいかに崩すのか。[タスクの着手]や[発想法]にも言えることではないか。

そして、次のツイートはこうです。

・そうか、[斜に構える]というのは、[構え]の話なのか。

これだけで、二つのツイートはつながりを持つことになります。ここから[構え」についての考察が広がっていくかもしれませんし、そうならないかもしれません。ともかく、Twitterならば見逃されていたかもしれないつながりがそこでは生まれていたわけです。

この話はたぶん地味に聞こえるでしょう。空いている期間はたった二日、しかもつながったのはしょーもない断片的ツイートでしかありません。でも、そのつながりの数が重なるところに、大きな変化が待っているのではないか、という予感があります。

そればかりは実際に試してみるしかないわけですが。

〜〜〜語り方〜〜〜

たとえば、自分が何かしら新しいノウハウやツールを知っていたとしましょう。そして、周りにはそうしたノウハウやツールを知らない人がいっぱいいたとします。

あなたは、できるだけそのノウハウやツールを知らせたいと考えています。だって、そのノウハウはとっても役立つからです。それに比べれば、旧式のノウハウなんて、ぜんぜん役立たずといっても過言ではないくらいです。

しかし、そこで絶対にやってはいけないのが、「あなたは間違っています。今すぐこれを使いましょう」という言い方です。こういう言い方をすると、話が前に進まないばかりか、むしろ膠着してしまう可能性が大です。

逆の立場で考えてみましょう。「あなたは間違ったことをしています」と言われて気分が良いでしょうか。そう言う相手を好きになれるでしょうか。なれる人もいるかとは思います。でも、そうでない人もやっぱりいます。で、そうなると話がこじれていきます。

言われたことに反感を感じると、ついつい反対意見を述べたくなります。心のどこかでは、「そういうのもいいかな」と思っていたとしても、反発心から「いや、私は今使っているこれがいいんです」と力説してしまう。すると、心の方がその発言に引っ張られて新しいツールを検討する余地を無くしてしまう。言い換えれば、どんどん意固地になってしまう。そういうことが人間対人間の会話ではよく起こります。

だからこそ、「あなたは間違っています」という言い方は避けた方がよいのです。

そういう言い方が功を奏するときもあるでしょうが、確率で言えば100回に1回あるかないか、というところでしょう。

「こういう方法もありますよ」「これは便利かもしれません」「私はこうしています」

などといって、相手が興味を持ってくれるのを待っておくくらいが平穏な進め方だと思います。

さて、この話は「あなたは間違っています」という言い方になっているでしょうか。なっていたとしたら、すいませんと謝っておきます。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 知的に「生活」するとはどういうことでしょうか?

では、メルマガ本編をお送りします。今週はひさびさに5つの連載のアラカルトです。目次は以下の通り。

――――――――――――――――
2018/08/13 第409号の目次
――――――――――――――――

○「うまく仕事を進めるには?」 #ノート道の歩き方
 新しい企画について考え始めました。

○「考えるについて考える」 #リベラルアーツ再考
 〈自由に考える〉ということについて考えています。

○「次の本の冒頭への足がかり作り」 #物書きエッセイ
 次の本の執筆準備をご紹介。

○「一つの産業の終わり」 #「本」を巡る冒険
 書店と雑誌メディアのこれからについて。

○「かっこよくはないライフハック」 #今週の一冊
 最近読んだ本を紹介します。

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

――――――――――――――――――――――――
○「うまく仕事を進めるには?」 #ノート道の歩き方

妻が、「仕事でやることがたくさんある」と嘆いていたので、「ノートに書いている?」と尋ねると、ものすごく潔く首を横に振られました。

私はそういうとき、強い衝撃にとらわれます。火事が起きているのに、消火器を使わずにウチワでそれを消そうとしている人に遭遇したのと同じような衝撃です。

中期的に達成したい目標が三つあり、新人の育成があり、近々昇進試験があり、店長から言い渡された仕事もある。それらすべてを頭一つで管理することなんて、私には到底不可能に思えます。もちろん、可能な人もこの世界にはいるのかもしれませんが、私を含めた一般人はおそらくは無理でしょう。

何かしら、頭以外の道具が必要です。

ノートを使わないと、次のようなデメリットが生じます。

・忘れてしまう
・常に気になる
・優先順位が適切に判断できない
・成果が積み重ならない

まず単純に「忘れてしまう」ことです。項目が多すぎるのも問題ですが、中長期的なスパンでの進捗管理が必要な作業を、脳一つでやっていくのは相当ハードです。

また、そのことが「常に気になる」という状態も引き起こします。あれやこれやが頭の中で片付いていないので、常にメモリを占拠しているような感覚になります。実際、能率もあがらず、ストレスは溜まる一方でしょう。

さらに、頭だけだと複数の項目を同時に評価することができないので、着手する作業をうまく選択できません。だいたいは「目に付いたもの」「気になったもの」「誰かから言われたこと」を優先することになり、それが本来的な優先順位を狂わせてしまいます。気がついたら、一週間後に昇進試験で、ほとんど勉強できていない、といったことが起こってしまうのです。

また、ノートを使わないと、過去の体験が再利用できない問題があります。毎回毎回一からのチャレンジになり、「成果が積み重なって」いきません。うまくいったことはテンプレートにして有効活用したり、うまくいかなかったことはチェックリストにして再発を防ぐ、といったことができていれば、同じ業務に関しては徐々に効率化が進み、手間と労力と使用するメンタルエネルギーが減少します。それが、次なる一歩に進むための土台にもなるわけです。

というようなことを切々と妻に説いてみると──私と共同生活をすると、三日に一回はこういう話を聞かされることになります──、「何を書いていいのかわからない」という答えが返ってきました。

なるほど。

たしかに、そうした状況でのノートの書き方は、義務教育ではならわないかもしれません。いや、高等教育内であっても、怪しいでしょう。

何かしらの興味から、「ノート術・手帳術」にアクセスした人は、そうしたノートの使い方を学んでいる可能性は高いものです。逆に言えば、「ビジネス書」に興味を持たない人は、なかなかそうしたノートの使い方を知る機会はないのかもしれません。

だとすれば、自分がそれについて書いてみてもいいのではないか。そんなことを考えました。

とは言え、まだ企画のコンセプトは固まり切っていません。仮のタイトルは「問題解決のためのノート術」ですが、このままだと「ビジネス書」の文脈になってしまいそうなので、何かしら変更は必要でしょう。書き方も、普通の説明文ではなく、別の仕掛けが必要ということもありそうです。

が、そうした部分は後から詰めるとして、まずは「勉強のためではないノートの使い方」という観点を固めてみたいと思います。

というわけで、しばらくこの #ノート道の歩き方 では、勉強のためではないノートの使い方」について書いてみます。

(つづく)

―――――――――――――――――――――――――

この続きをみるには

この続き:10,000文字
記事を購入する

Weekly R-style Magazine 「読む・書く・考えるの探求」 2018/08/13 第409号

倉下忠憲

180円

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとうございます!またのご贔屓を。
3

倉下忠憲

倉下忠憲のWRM 「読む・書く・考えるの探求」

本の読み方、文章の書き方、何かについての考え方。その実際例を、舞台裏を含めてお見せしています。本を読むのが好きな人、文章を書くのが好きな人、何かを考えるのが好きな人が楽しめるコンテンツが盛りだくさんです。毎週月曜日配信。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。